六 瓶割刀

 弥五郎が自斎の弟子になって、最初に言われたこと。それは、

「そのむさ苦しい髪を切れ」

 だった。


 今の今まで、まるで山に住んでいる隠者のように、ぼさぼさに伸ばし続けてきたその髪はすでに背中の中ほどにまで達しようとしていた。

 自斎はこの獣のような男の髪を切り、真新しい着物を与えた。


「ほう。意外といい男だな」

 髪を切り、着物を着た弥五郎の姿を前にして、自斎はからかうように微笑んだ。

「意外は余計だ」

 ムッとして口をとがらせる弥五郎の顔を見て、しかし自斎は、まだまだ子供と変わらないと内心、思うのだった。


 そんな折、小田原にいる弥五郎の元に、三島神社の神主、矢田織部から書状が届いた。

「近頃、盗賊がはびこっていて困っている。折を見て、三島神社に来て欲しい」

 手紙にはそう書かれてあった。


(あの神主め)


 弥五郎は、人を使い走りのように、使っている神主の顔を思い出して、苦々しく思ったが、かと言って放っておくわけにもいかないと思った。

 これで、矢田織部が死んだりしたら、後味が悪い。


 仕方がなく、まだ弟子にしてもらったばかりの師匠、鐘巻自斎に事情を説明し、了承を得て早速、弥五郎は三島神社へ向かった。



 久しぶりに、三島神社に着いた弥五郎。

 矢田織部は、神社の中の本殿にいた。

「おう、弥五郎か」


 さすがに、むさ苦しい頭を、短くし、総髪の着物姿で現れた、弥五郎に織部は驚愕していた。

「随分、さっぱりしたな。こうして見ると、いっぱしの侍に見えなくもない」

 などと、柄にもない世辞を言っていた織部だが、弥五郎にはそんなことなどどうでもよかった。


「それで、賊に襲われたと聞いたが」

「ああ。そうなんじゃ」


 話を聞いてみると、近頃、この三島神社が盗賊に狙われているらしい。

 ところが、織部によれば、その盗賊の風体ふうていや目的がいまいち掴めない、ということらしい。

 盗賊の割には、金目の物を奪うこともほとんどなく、まるで誰かを探して暴れている感じだという。

 神社の本殿は荒らされ、いくつかの壺やかめが壊されたが、それ以外に大きな被害はなかったという。


「相手は何人いた?」

「さあ。暗闇で、しかとはわからなかったが、恐らく七、八人といったところかのう」


 織部はそう言った後、言葉を切って、表情を曇らせた。

「どうも、ただの盗賊には見えんかったがのう」

「どういうことだ?」


 織部によれば、一瞬見たその姿は、盗賊らしからぬ、体捌きで、その身のこなしが侍のように見えた。つまり、ただの金目当てのごろつきには見えなかった、と。


 弥五郎の中では、すでにある程度、見当がついていた。

(狙いは恐らく俺だ。しつこい奴らだ)


 そう、彼の予想では、盗賊に扮している男たちは、かつて斬った富田一放の弟子たちだった。

 師匠が殺され、仇討ちに弥五郎を襲った三人の若者は殺された。だが、一角ひとかどの剣豪である一放にはまだまだ弟子がいるのだろう。

 こういう闘争は、剣豪の間では実際によく起こった。

 結局は、殺し、殺され、の怨恨の連鎖の世界だからだ。

 

 弥五郎は、仕方なく、何日か三島神社に逗留し、様子を見ることにした。



 そして、ある日の夜。

 三島神社の離れにある一室で眠りについていた、弥五郎は不審な物音で目が覚めた。

 境内から人の気配がした。

 相手は、声こそ殺していたが、そのわずかな足音や足さばき、気配で、獣のような感性を持つ弥五郎はすぐに気づくのだった。


 時刻は丑の刻(午前2時)を回っており、辺りは静寂に包まれており、しかもその日は新月だったから、より一層暗い。


 弥五郎は、静かに体を起こし、身支度を整えると、矢田織部から与えられた、三島神社の宝刀を腰に差して、ゆっくりと神社の本殿へ向かった。


 盗賊の目的が本殿であると織部から聞いていたし、何よりも獣のような弥五郎の直感と、相手の足先の動きで、連中の目的地が本殿だと気づいたからだ。


 本殿には正面の扉以外に、裏手にも勝手口があった。

 その勝手口付近には、生活に必要であろうと思われる、大きな瓶や食器などが置いてあった。

 そのすぐ隣が台所だったからだ。


 当然、賊ならばそこから侵入すると読んで、弥五郎は正面入口に向かった。鍵はすでに織部から預かっている。


 本殿の正面入口の大きな扉を弥五郎は、開けた。

 その瞬間、奥にいた人影が動いたのが見えた。


 弥五郎は、すばやい動きで、真っ先に勝手口に駆けつけ、いきなり刀を鞘から抜き放ち、一人の男を肩口から袈裟斬りに斬っていた。

 小さく悲鳴を上げて、男は倒れ込む。


 周りに男たちが六人ほどいた。

 全員、いきなり現れた弥五郎に驚いていたが、一人の壮年の男が、

「ようやく見つけたぞ、鬼夜叉」


 そう、わずかにうごめき、低い声を出した。

 灯りもない、暗い本殿の中だったから、はっきりとは見えなかったが、目をこらしてみると、男たちの姿が浮かび上がるように見えてきた弥五郎。


 その風体は、盗賊らしい、みすぼらしい格好ではなく、身なりのいい武士のようだった。かろうじて、頭に頭巾をかぶって、顔を隠してはいるが、弥五郎にはその言葉の意味と、格好ですぐにわかった。


「富田一放の弟子どもか。しつこい奴らだ」

「抜かせ! 貴様のせいで我らは、餓鬼に負けたと評判を落とした。この恨み、そして師の仇。ここでまとめて晴らさせてもらうぞ!」


 その男の合図で、六人の男が弥五郎を取り囲んだ。

 情け容赦のない、一対六の多数対決だ。


 三人の男が同時に襲いかかる。六人が同時に襲いかかると、かわされた時に、同士討ちになる危険性があるからだろう。


 弥五郎は、わずかに突出してきた一人目の男の刀をかわし、その手に持った日本刀で男の脇腹を払うように斬った。


 次の瞬間、残り二人の刃が弥五郎の目の前を通過する。

 そのまま、身を沈めた体勢で、驚いて体勢を斜めに崩している二人の男のうち、一人の脇腹から肩口までを逆袈裟さかげさに斬り上げ、返す刀でもう一人の首を斜めに斬っていた。


 あっと言う間に三人の男が倒れ、最初の男も含め、総勢七人だった男たちは、残り三人になる。


 首領らしき、壮年の男が震えたような声で、

「さすがだな、鬼夜叉」


 血の匂いが、狭い本堂に漂っていた。


「だが、ここまでだ!」

 男が走り出す。


 連中は、時間差で攻撃を仕掛けてきた。

 一人の男が右側から薙刀なぎなたで立ち向かい、その得物の長さという利点を生かして、範囲外から弥五郎を威嚇するように払いの攻撃を仕掛けてきた。


 一方で、首領の男は、正面から日本刀で、袈裟斬りに凄まじい執念の籠ったような、斬撃を繰り返してきた。


 そして、左側からは小太刀を持った若い男が、ゆっくりとした動きで、牽制しながら近づいてくる。


(富田一放の小太刀の教えはどうした?)


 相手は、薙刀に、大刀に、小太刀だ。

 まともに富田一放の小太刀の流儀通りなのは、一人だけだった。


 だが、彼らも仇討ちに、なりふり構ってはいられないのだろう。

 鬼気迫る勢いで、三人が時間差で弥五郎に襲いかかってきた。


 ところが。

 右側の薙刀の得の部分を狙い、弥五郎は右側に足を進め、一気に柄を斬り落としていた。

 驚きのあまり固まり、咄嗟に腰の刀を抜こうとする男だったが。


 その前に、すばやく男の懐付近まで移動した弥五郎によって、この男は腹部から胸部を斬り裂かれるようにして、深く斬られ、そのまま仰向けに倒れていた。


 一方、正面にいた首領の男は、すぐに動きに気づいて、弥五郎を追ってきた。

 が、この男に対して、二合、三合と刀を受け止めた後、弥五郎は。


 低く身を沈めて、男の胴への払いを避けると、驚いている男の顔面に刀を突き刺していた。

 苦痛と恐怖に歪んだ表情のまま、男は倒れ込む。


 そして、ただ一人、残った男は。


「ひぃぃぃ!」

 恐怖にかられ、逃走していた。


 それも男は勝手口の瓶に向かって走り出した。


 弥五郎は、夜深いのと、首領の男に対峙していたから、逃げた男の、情けない悲鳴しか聞いていなかった。


 いつの間にか、男の姿はなかった。

 だが、弥五郎には確信があった。


(奴は逃げていない。どこかに隠れている)

 それも恐らくこの近くにいて、どこからか弥五郎が近づくのを待っている。

 そして、隙を見て、弥五郎を不意討ちに斬りに来る、と。


 弥五郎は辺りを見回した。

 まずは隠れられそうな場所の選定だ。


 本殿には、小さな祭壇と、神像があり、他にはいくつかの壺や瓶が、勝手口に置いてあった。逆に言うと、それ以外に特段、隠れるような場所はない。

 弥五郎は、迷わず勝手口に向かった。


 瓶はいくつか置いてあった。舶来の唐物と思われる、大きな瓶がおよそ五個ほど置いてあり、この神社が決して貧しくないことを物語っていた。


 瓶には、人一人くらい中に入って隠れることができそうだったし、たとえ瓶の中にいなくても、瓶と瓶の隙間くらいなら隠れられそうだ。


 子供の「かくれんぼ」のような状態でありながら、弥五郎は、殺気を感じ取るように、瓶に近づく。


 瓶が五個、横に並んでいた。

 そのうち、弥五郎は真っ先に気づいた。


(右から二番目が怪しい)

 と。


 そこに人の気配、そして殺気を感じた。


 だが、そうはわかっていても、もちろん確信はなかったし、下手に近づけば、逆に不意討ちされかねない。


 弥五郎は思案した。

(よし、こいつで斬ってみるか)


 矢田織部から授けられた、三島神社の宝刀。それは立派なこしらえをつけた刀だったが、斬れ味もまた一流のそれだった。

 事実、これだけ斬っても、まだ刃こぼれしていなかった。


 弥五郎は試してみたかった。

 この刀がどれほどの斬れ味があるのか、そして、どれくらい威力があるのか、を。


 ゆっくりと右から二番目の瓶に近づく弥五郎。

 そして、これ以上近づくと、恐らく瓶から男に斬られる、というギリギリの状態で、刀を大上段に構えた。


 男の気配がする。奴が動き出すか、と思った瞬間。


 弥五郎の構えた刀が勢いよく、振り下ろされた。


 瓶が盛大に割れる大きな物音が響き、同時に、断末魔の男の叫び声も本殿どころか、境内にまで達していた。

 同時に、瓶の中に入っていた、酒のような液体が床に流れ出していた。


「弥五郎!」

 後ろから聞き覚えのある声がする。

 振り返ると、寝間着姿の矢田織部が本殿入口の正面に立っていた。


「よう、遅かったな」

 そう言って、血のついた刀を振るい、血を落とすと、弥五郎は鞘に刀を入れて、ゆっくりと神主に近づいた。


「賊は?」

「全員、斬ったよ」


「瓶が割れるような音がしたが」

(目ざとい野郎だ)


 内心、瓶のことを心配している、織部にそう思った弥五郎だったが。

「ああ。賊が瓶の中に入ったからな。瓶ごと斬った」


 すると、織部は、無念そうに顔を歪めた。

「瓶ごと斬った? 相変わらずの剛剣だな。瓶がもったいないのう」


 弥五郎は、それとは別のことを考えていた。この「剛剣」と呼ばれた技の名前だた。

「つまんねえこと気にしてんじゃねえ。それよりこれを『瓶割刀かめわりとう』と名付けることにした」


「そのまんまじゃな」

 織部が呆れたように、肩をすくめていた。


 「瓶割刀」。そう名付けられたこの剛剣の技は、後に一刀流の御子神典膳にさずけられ、一刀流の代々の宗家に受け継がれたと言われている。

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