第19話虎の刻〜ぜろ〜

花見といったら何を思い浮かべるだろうか。


僕は真っ先に桜を思い浮かべる。

自分の思考傾向が1部でも不特定多数の人間と同じというのは癪だが、大抵の人はそれを思い浮かべるのではないか。


それだけ有名な桜が人々に広まったのは、平安時代のことだ。

それまで人気であった梅に代わり登場したのが桜。

日本初の花見を行なったのは嵯峨天皇と言われている。

平安時代の歌人、西行が好んだというのも有名な話である。


日本の警察の紋章は桜だし、硬貨にだって描かれている愛されっぷりだ。

そう、綺麗で儚げな印象を時として与える桜は人々に愛されてきた。

しかし、桜には綺麗であるからこそ人を惑わせる力があるらしい。


梶井基次郎の「桜の樹の下には」では、桜の木の下に死体が埋まっているのではと言われ、坂口安吾の「桜の森の満開の下」では人々を惑わす木とされた。


時には、桜に攫われる、つまり神隠しにあうということもある。


元々、桜は神様が山から降りた時に宿る依代とされていたからあながち間違いではないのかもしれない。


それに、桜の精というのは桜と一緒で、美しいが、それ以上に気ままな厄介な奴らである。

沼御前といい桜の精どもといい綺麗なものにはトゲがあるというのは、そういうセオリーなのだろうか。

ああ、間違えた。沼御前は若作りなだけだったか。


さて、僕が、何故こんなつまらないことをつらつらと考えているのか。


僕らしくもないのだが、俗に言う、現実逃避というやつだ。


残念ながら、桜に惑わされた馬鹿な人間がまた一人でてしまったのだ。

そして、ここに、とばっちりを喰らった者が。


作り物じみた清々しい青空の下、桜吹雪が僕の周りを取り巻く。


「勘弁してよ……零」


少しだけ盛り上がった緑の芝生が広がる丘の上で、頭上の桜を見上げる。

視線の先には川らしきものが見えるが、辺りには人っ子一人見当たらない。


こんな状況でもなければ、三色団子でも片手に花見でもしたいところだ。

が、残念ながらそうもいかない。


巻き込まれていることが面倒すぎて、深いため息を吐く。

頭に幾つもの打開策が微睡みの中で見る夢のように浮かんでは消えていく。

いつもなら、普通なら、損害もしがらみも縁も気にせず力技で解決する。

それか真っ先に問題放棄を選ぶ問題だが、それら選択は浮かび上がりもしないのが厄介なとこだ。


「何でこんなことになるかなぁ。かったるい」

やり場のない無い文句を空にぶつける。

強制的に向き合わせられる問題を素直に解くこと程、性にあわないことはない。

「さあて、どうしてやろう」


僕が項垂れる原因は、二週間前に持ち込まれた依頼に遡る。

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