第10話丑の刻〜きゅう〜
午後1時5分前、林で別れてから充分な睡眠を取ったので、てきぱきとした動きで縁側に怪しげな術具や札を並べていた。
既に虚無は庭の木の上で、足をブラつかせて零の到着を待っている。
「満、零様、来た」
木の上から零がやってきたのが見えた虚無が零の来訪を知らせる。ただ、木の上からやっと見え始めたということはまだかなりの距離があるのに違いなかった。
時間もある事だしこの機にどうでもいいが僅かに気になっていた事を尋ねよう。
「ねぇ、僕のことは満って呼ぶけど零のことは様付けだよね。僕、君の使役主だよ、言わば雇い主だよ。なんで?」
「満は満。零様は零様」
「意味不明なんだけど」
言葉足らずに説明を終えてしまう虚無に満はもっと詳しく答えるように求める。
「零様には、恩がある。満にもあるけど、最初に……」
虚無の話に耳を傾けていると紡がれていた言葉が不自然に途切れ、虚無の方を見やる。虚無は庭の入口の方に顔を向けていた。
目線の先を追えば庭の出入口である腰ほどの高さの扉を開けるのを手こずっている零の姿が。
虚無は零を助けようと木から軽々しく飛び降りると一目散に駆けていく。
木製の扉に鍵はかかっていないが1年間使われなかったためか立て付けが悪くなっていた。開けるのにコツがいるようになってしまったのだ。
虚無も慣れていないはずなので零と同じく開けるのに苦労しそうだが、動くのが億劫なので声をかけるだけにしとく。
「零、おはよう〜。その扉軽く持ち上げて押すと開くよ」
聞こえていないのか扉の建付け具合にイラついて聞き流しているのか定かではないが、零から反応は無い。
僕の一応口添え程度の助言だけではやはり開かないのか扉を叩いたりしている。
何か考えついたのか虚無が零に何かを告げると零は扉から離れ、虚無が扉に勢いよく走り出す。次の瞬間、虚無の破壊力抜群な蹴りによって大きな音を立てて扉が木っ端微塵となった。
珍しく虚無に説教をしながらこちらにやってくる零を眺めながら、ある程度は予想していたが、あちゃーっと苦笑する。嫌な予想が当たってしまった。
虚無は可愛らしい見かけによらず脳筋なのだ。少なくとも今いる3人の中では一番。僕は完璧な頭脳派だし、零も意外に頭脳派である。
無言で背負っていた布の棒を横に置いて呪具を挟んだ隣に零が座った。
「よぉ、いい天気だな」
僕も何も喋らないでいると白々しく明後日の方向を向きながら挨拶をする零。
虚無なんて扉を壊したことなんて至極どうでも良いという風に空を見上げて突っ立っている。
あくまでも扉の破壊は流す意向らしい。
しかし、
「壊しちゃったんだからどっちかが弁償してね」
「あ〜」
ド直球の言葉を受けて気まずそうに零が言葉を濁す。
立て付けが悪いのが悪いとか虚無のせいだから虚無に言えだとか文句を言いたいところだが、前者は自然現象だし、後者は零の為にやったのだということが分かっているのだろうから言葉が見つからないといった様子だ。
変な理屈を持ち出して是が非でもシラを切ればに、零らしい。
「まっ、今日は丑の刻参りの解決だろ。それは置いといて早く解決しようぜ。折角祢々切丸も持ってきたんだし」
「仕方ないな。扉は、どうせなんかの術で消すつもりだったからいいけど、後で木片は掃除しといてね」
安心したように息を吐き、大きく頷く零。
「おう」
「承」
「一寸待って、準備するね」
ついでに費用なんて後で請求しておこう。これぞ終わりよければすべてよし。
気分を切り替えると、横に置かれていた呪具を近くにひきよせる。
縁に万葉仮名のような崩れた文字が彫られている四角い基盤だ。
ポケットから薄い和紙で作られた袋を取り出し、紙を開いていく。中には夜に拾った例のイヤリングが入っている。
「これに、この子をここにおいてっと」
それをつまみ上げると中央に落とし、
「まって」
呪文を紡ごうと口を開いたのだが虚無に遮られ、予定していた言葉を変更する。
「なに?」
「今付喪神を具現化する術を使おうとしてた。この子には宿っていないから意味無い」
「付喪神になる年月が足りてないのは分かってるよ。けど、大切にされていたみたいだし少し時を進めれば付喪神になるはずだ。そうしたら具現化出来るはず」
付喪神の基は万物に宿るが、付喪神になるには、通常100年の年月がかかる。付喪神になる前の命の気配が感じられるようになるのは大体90年。
このイヤリングはデザインからして大体80年前のものだろう。90年には及ばないはずなのに付喪神になりかけているような気配が僅かに感じる。
人に負の感情であれ明の感情であれ思われることによって付喪神が形成される年月が早まったりすることもあるのでこのイヤリングが大切にされていたことがわかった。
「それって付喪神の負担になったりしねーの?」
「無理やり時を進めるのはそんなにかかんないはずだけど、具現化するのは一寸力を使うかな。生まれてから直ぐに具現化するんだったら掛かるだろうね。ああ、もう。分かったよ、時を進める術だけにする。あくまでも具現化するかしないかはこの子の自由だ」
負担が付喪神に掛かるといった言葉に眉根を寄せた零を見て、術を変えることにした。案の定、僕の言葉を聞いて微かに安心した雰囲気を出す零。
こんのお人好しめ。
「そうか」
「もう質問はいいよね。この呪文短縮出来ないから僕もあんまり好きじゃないんだよね。ゴホン」
軽く咳払いをして喉を整えてから今度こそ呪文を完全に唱え終える。
盤上にのったイヤリングが淡く光り、イヤリングの隣に光の微粒子たちが手毬サイズの小さな女の子を形作っていく。
「よし、成功。やっぱり出てくるよね〜。付喪神にとって使用者の……」
「ちょっと黙ってろ」
成功を喜び、意気揚々と付喪神が自ら具現化した理由の推測を話そうとするが、零に一喝され、渋々閉口する。
折角懇切丁寧に説明してやろうと思ったのに、今日は全部言わせて貰えないことが多い気がする。
しばらくして光が収まってくると瞼を閉じていた女の子は瞼を上げた。イヤリングの石のような緑色の瞳を覗く。パチリ。透明な滴が溢れていく。
「マドカを助けて」
少女はうわ言のように必死に繰り返す。
「は?」誰が漏らした声だろうか。虚無は有り得ないので零であろう。
普段だったら喧嘩を売ってると受け取られるような単語だが、少女がその綺麗な緑色の瞳に涙を浮かべて僕たちからしたら意味の分からないことを尋ねてくる状況には相応しい。
「ん」
いち早く混乱から抜けた虚無がどこからか取り出したのか片手に鯨柄の手ぬぐいを差し出す。
「ありがと」
少女がお礼を小さな声で言うと器用に端で涙を拭う。手毬サイズの少女には、人間用の手ぬぐいは少し大きく布団のようになっている。
体にまだ慣れていないのか少しぎこちない動作だ。
客観的に見るといたいけな少女を成人男性らが泣かせているという通報案件確実なある意味危険な状況である。ふむ、実に面倒臭い状況だ。
ポロポロと流れていた涙が止まり落ち着いたと判断した零が心配そうに声をかける。
「少しは落ち着いたか?」
少女は零の問いかけにコクリと頷くと、今度は俯いて動かなくなってしまった。
「大体、予想つくけど。一応、聞いたあげるよ。どうしたの?自分の無力さに打ちひしがれていたとか?」
「満っ!お前は……」
「うん……」
零が僕を非難するように声を上げ叱咤しようとするのを少女が遮って止める。
虚無は僕を非難するわけでも少女を慰めるわけでもなくそれをぼんやりと見つめて静観してる。
「マドカがこのままじゃマドカじゃなくなっちゃうの。私が出来ることなら何でもするしあげるからっ。オニーサン達、円香を止めてっ!」
少女がまたしゃくりをあげながら訴えかける。
イヤリング自体がよくあるデザインのせいかサイズ感と瞳の色を気にしなければ、公園で駆けずり回って遊んでいそうな少女だ。
実際は何十年も生きている付喪神だがそんな少女が懸命に訴える姿は零の心を打ったらしい。
「大丈夫だ」
わけもよく分かっていないはずなのに穏やかで優しげな笑みを浮かべて零は続ける。
「大丈夫。任せていいぞ。俺たちが何とかしてやるから。自称最強の呪術師もいることだしな」
小さい子を安心するような声で真剣に告げた後、茶化すように僕を引き合いにだす。どことなくしんみりとした空気は胡散したので、流してあげるが、自称は余計だ。
零にだけいい格好はさせてられないな。
不純な動機をもちつつも僕もそれに乗っかって、ついでに少女の精神安定にも繋げてやる。
「その通り。最強の呪術師、芦屋満様にまかせておきなよ」
ドヤ顔でそう言い放ち人差し指で小さな額をつつく。
後ろにふらついた付喪神の少女は、馬鹿面でぽかんと頭上の救世主たちを見上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます