137.顛末四

 訝しんだ顔で黒鉄くろがね結城ゆうきへと視線を向けると、彼女を両手で頭を抑えながら苦々しい表情で頷いた。


「それが今、みんなで慌ただしくしている理由ですよ。実は、その寺に居た方々が命を狙ってたと言う成瀬様の屋敷が、昨夜何者かの襲撃を受けまして。成瀬重里様ご本人が命を落とされたらしいんです。」

 その言葉に黒鉄くろがねは目を見開いた。


「ああ!?じゃあ、まさか、その陣伍じんご達の残党でも居て、そいつらがやったっていうんですか?」

 話の筋からすれば、それが一番考えられることだ。

 だがそれを田後たごは首を振るって否定する。


「いや、捕えた男に検分させたが、暗殺に来た男どもの人数は斬られた男どもの死体で丁度らしい。それはない。」

「はぁ……?つまり?どういうことだ?」

「えっと……それが……。」


 結城ゆうきは言い淀んで、弱った表情を見せる。これから自分の口にすることが、にわかに信じられていないと言った躊躇ためらいが見て取れた。

 まどうように二三度視線を左右に移ろわせた後、結城ゆうきはふうっと溜息をついて続きを口にする。


「成瀬様の屋敷を襲ったのは、一人だったらしいんです。」

「はぁ!?一人!?」


 黒鉄くろがねは今まで一番に戸惑った声を上げた。

 成瀬家と言えば、この地域で最も家格の高い家の一つと言って良い。当然ながら家も大きければ、そこに奉公している人の数も増える。武家であるのだから、それなりに戦える人数も多いだろう。それが一人に襲われて家主が死んだというのは信じがたかった。


「ちょっ、ちょっと待ってください。本当に一人ですか?」

「ええ、生き残った家人に話を聞いたところによると、その容貌ようぼうは目の垂れて、下瞼したまぶた黒子ほくろのある女性だったと言うんです。」

「なあ……?そりゃ……。」


 一層に頓狂とんきょうな声が黒鉄くろがねの喉から漏れた。


 その特徴的な顔を黒鉄くろがねははっきりと覚えていた。崖へと引きずりこまれて、揉みくちゃのまま落ちていった時に、眼前にあったその顔。目端の垂れて、くっきりとした黒子ほくろのある女の顔を。頭から振り払おうとしても、不意に浮かんできて、むかむかと胸を苛立たせてくる、僅かににやりと笑った憎たらしいその表情。


 結城ゆうきが口にしたのは、間違いなくふでとか言う女の容貌ようぼうだった

 しかし、それが事実だとすれば、黒鉄くろがねは困惑するより他がなかった。


「いや、そりゃちょっとおかしかないですか?どういうことです、それが本当なら、あのふでとか言う女は、俺と一緒に崖から飛び降りて、それから、その日のうちに成瀬様の屋敷に乗り込んだと?」

「話を聞く限りは、そういうことになりますね……。普通なら有り得ない話ですが。」


 言いながら、結城ゆうき自身も信じられないと言う様子を隠そうとしていなかった。


「んな馬鹿な……。いや、どういう……。」


 うめいて黒鉄くろがねは自分の体へと視線を向ける。全身が包帯に巻かれて、恐らくは足辺りが折れてしまっているだろう、添え木が当てられているようで、力を籠めても動きそうにもない。あの高い崖から落ちれば当然のことながらこうなるはずだ、それをふではその日のうちに歩いて、それも屋敷を襲撃したと言うのだ。信じられるはずがない。

 そうして、ふと黒鉄くろがねは話の違和感に気が付く。


「あ……、だが、それだと話がおかしくないような。寺に居た奴らがご家老の命を狙ってたっていうんなら、それを斬り殺した女が、なんで助けたはずのご家老の屋敷を襲うなんてことになるんっすか?」

 黒鉄くろがねの問いに、田後たごは肩を竦めて、結城ゆうきは弱ったように首を振るう。


「それが分からないから困ってるんです。一体どうやって事が進めば、そんなことになるのか……?ぜんぜん分からないんです……。」

「家老を狙う暗殺者を寺で斬り殺して、うちの組とやりあって崖から落ちて、んで、最後には屋敷を襲って家老を殺した……。それが昨日一日に起きた出来事だっていうんですか。」


 そこに居る人間にとってみれば、ふでのやったことは全く筋が通らない。しかし、通ってはいないが出てきた話をまとめると、どうしても事実はそういうことになってしまう。結城ゆうき田後たごたちも混乱している様子であったが、それを今々いまいまに聞かされた黒鉄くろがねにとってみれば、混乱することしかできなかった。そもそも黒鉄くろがねは頭の良い方ではない、正味な話、理解することなど放棄して、「ただの気狂い」がやったことと投げ出してしまいたい気分であった。


「さしあたって、隊員の方々にふでさんを探し回ってもらっているところです。」

「そうするしかないでしょうね。」


 殆ど顔を動かせないながらも、黒鉄くろがねは床の上で軽く頷いて見せる。

 結局のところ本当のことは、当の本人に聞くより知るすべはないであろうし、藩の家老の屋敷を襲ったと言うことが本当ならば、一族郎党を皆殺しにせねばならぬほどの大罪であった。どうやっても捕まえなければならない。恐らくは剣華けんか組だけではなく、尾張藩でも人を駆り出して、そのふでとか言う女を探し回っているだろう。


 黒鉄くろがねからすれば、今のこの体では、その捜索に加われないだろうことが口惜しかった。出来ることならば、自分の手で捕えるか、斬り捨てるかしてしまいたい心持であった。

 ただ、それも心に引っかかってはいたが、何か妙なことが気にかかって、心がわだかまりを抱えているような気持ち悪さがあった。


 何かを聞き逃している気がする。

 端目に眺めていた結城ゆうきの顔から視線を外して、天井を見上げた黒鉄くろがねは、ふと思いついて口を開く。


「そう言えば局長、さっき生き残ったって言いましたか?」

「え?何のことです?」

「いや、屋敷を襲った犯人の容姿は生き残った家人に聞いたって。」


 問われて結城ゆうきは素直に頷いた。



「あ、はい。生き残った人に話を聞きました。」


「生き残ったって、どう言うことっすか……?ご家老が死んだだけなら、普通そんな言い方しませんよね。」


 ああっ、と声を上げて、結城ゆうきは自分の言葉が足りなかったことに思い至った。



「昨夜、成瀬様の屋敷が襲われた、さっき話しましたよね。」


 黒鉄くろがねは頷く。



「その結果として、成瀬様の屋敷に住まわれていた方々の、その殆どが斬り殺されていました。」


「なっ……はあ……?」


 何度目か分からぬ、間の抜けた声を黒鉄くろがねは漏らしていた。


 結城ゆうきの傍らでは田後たごが額についた手で頭を叩きながら、苦々しい表情を浮かべている。


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