136.顛末三

「まさか、死んだんっすか?」


 それが一番あり得るように思えた。

 自分が生きていることですら、田後たご達は信じられないと言う表情を見せていたのだから、一緒に飛び降りた女が共に生きていると言うことはないのかもしれないと黒鉄くろがねは一人納得する。


「いえ……。」

 ただ、それでも結城ゆうきは頷かなかった。


「彼女は少なくとも死んではいないです。」

「どういうことです。」

「実は崖の下で黒鉄くろがねさんを見つけた時には、ふでさんの姿も形もなくって。」

「はぁ?居なかったってことですか?」

「ええ、黒鉄くろがねさんのかたわらから一人分の足跡が続いていたので、既に立ち去っていたんだと思います。」

「いや、そんな馬鹿な……。」


 狼狽うろたえるような声を上げて黒鉄くろがね結城ゆうきの顔を見なおした。ただ、その表情は全く嘘をついているようには見えない。


「あの崖から落ちたんっすよ?動けるわけがねえ……。」

 信じられない心持で結城ゆうきへと問い返してしまう。


「お前さんが生きてるのだって、奇跡みてえなもんだよ。」

 結城ゆうきが返事をするよりも前に、傍らから田後たごが口を挟んできた。


 その混ぜっ返すような言葉に煩わしさを覚えながらも、黒鉄くろがね自身もそう感じてしまうために素直に頷いた。

 それを見て田後たごは気に乗ったのか、「だからよ」と言葉を続けた。


「話を聞いただけの俺からすれば、みんなして狐にでも騙されてるんじゃねえかと思ってるよ。お前一人がとち狂って、突然崖から飛び降りたって方がいくらか信じられる。」

「そんなことはありません。彼女は確かにいました。」

 短いながらも結城ゆうきははっきりと答えた。


 それにちょっと驚いたのか、田後たごは僅かに気まずそうにして顔を逸らしていた。

 田後たごには悪かったが、多少なりに悪辣に言われたことへの腹いせにもなって、黒鉄くろがねにとってはすっとするような心持にもなる。

 なによりもふでと言う女が確かに存在していたことには、黒鉄くろがねも疑いを持っていなかった。


「それで……どうやって無事だったのかは知らないっすけど、ふでとか言う女は逃しちまったってことなんっすね……。どこに行ったかとか、今何してるとか、手掛かりとかなんかないんですか?」


 そう黒鉄くろがねが尋ねてみると、結城ゆうきは「えっと……」と言葉を惑わせると、もじもじと両手を重ねて視線をそらした。

 余りにも挙動が不自然であるために、黒鉄くろがねは思わず問い詰めるようにして口を開いてしまう。


「まさか、何も分かってないんですか?」

「いえ……手掛かりと言うか、情報はあるんです。と言うかありすぎると言いますか……。」

「どういうことっすか?何かあったんです?」


 その問いに、結城ゆうきは口をねらせた。

 それは機嫌を害したと言うより、単純に言うに困って悩んでいることから来る表情であった。


「何と言うか……私たちもあまり話の整理が付いていなくて……。」

「どういうことです?」


 言葉を濁す彼女の言わんとするところが理解できず、不思議そうな顔をする黒鉄くろがねに、横から田後たごが口を挟んできた。


「いや、実はな。お前が崖から落ちた後に、一人の男が寺へとやってきたらしいんだ。」

「男?それがふでとか言うやつになんか関係あるのか?」

「あると言えばある。ただ少しばかり話が持って回ることになるんだが……とりあえず順番に聞いて貰った方がよくてな。」

「ふむ。分かったから話してみてくれ。」


 田後たごの言葉に、黒鉄くろがねも頷く。


「寺に来たっていう男は目と足に怪我をした不審な輩でな。あんな寂れた寺に、しかも斬り合いのあったところにわざわざ来るなんて事件に関係してるだろうと当たりをつけたんだよ。それも隊員たちの姿を見て酷く狼狽ろうばいしていたものだから、屯所とんしょへと来てもらって、ちょいと無理やりに話を聞いてみたんだ。そしたら妙なことが分かってな。」

「無理やりって……。」


 思わずも黒鉄くろがねは顔をしかめる。

 ちょいととは言っているが、無理やりにと言っているのであれば、恐らくは随分と荒っぽいことをしたのだろうと推測できてしまった。

 鷹揚おうようとした言葉遣いをするのとは裏腹に、田後たごと言う男はそう言う手合いの人間であった。


「まあ、ちょっとぐらいな……。それでだ。その男が言うには、寺にあった死体と言うか、寺に居た男どもは全員が全員、藩の家老である成瀬重里様を殺すために集まった暗殺のための集団だったんだっていうんだよ。」

「はあ!?」


 黒鉄くろがねは困惑して頓狂とんきょうな声を上げた。


 正直な話、黒鉄くろがねにとっては田後たごの言ったことが荒唐無稽にしか聞こえなかったからだった。家老の暗殺などと話が突飛に過ぎるし、何よりもそれが事実であるならば、あの女が男達を斬ったことにも正当性があることになってしまう。斬られた男達を哀れと思ったからこそ、ふでと言う女を捕えようと隊員と共に追い詰めたのだ。被害者と思っていた男達が、その実、悪人だったということを黒鉄くろがねとしてはにわかに信じたくないと言う気持ちがあった。


「それ、本当かよ?」

 半信半疑と言った黒鉄くろがねの問いに、田後たごは神妙な面持ちで頷いて見せる。


「事実だろうと俺は思ってるよ。男からは、かなり痛めつけて聞いたからな……。」


 彼がそういうのであれば、それは相当なほどに痛めつけたのだろう。傍らで結城ゆうきは眉根を顰めて、渋い表情すら見せている。荒事を好まない彼女からすれば余り歓迎したくないことなのだろう、ただそれでも、自分たちの活動には必要なことだと理解していて、殊更に田後たごを非難するようなことは言わなかった。

 田後たご田後たごで、結城ゆうきが好んでいないのを分かっているのか、彼女の前では自分のしたことを事細かく口にはせずに「それよりも」と言葉をひるがえす。


「男の証言だけじゃなくて、寺の境内に並んでいた死体の中に気になるものがあってな。」

「気になるものだ?そりゃなんだ?」

唐傘からかさ陣伍じんごって男だよ。」

「そいつぁ……。」


 黒鉄くろがねは右目を僅かに細めて苦々し気に口元を歪める。


「最近お前が探し回ってた奴だろう?それなりに名の通った人斬りだって言う。だからな、家老様を暗殺しようとしてたって男の言葉は本当なんだろうよ。」

「そりゃそうかもしれねえが……、だとしたらよぉ……。」

「あん?」

「そのふでとか言う女は家老様の暗殺を防ぐために男どもを斬ったってことになるのか……?」


 仮にそうだとすれば、斬った女の方に理があることになる。ともすれば剣華けんか組の方が妙な難癖をつけてきた輩でしかないかもしれない。

 多少なりに狼狽えた声で呟いて黒鉄くろがねが顔を顰めると、田後たごは首を捻って禿げた頭を二三度掻いた。


「そうも考えたがな。仮にそうだって言うんなら、お前らに問われた時にそう答えりゃ良いだけの話じゃねえか。その場で潔白何ぞ証明はできんから真偽を確かめる必要があったろうが、わざわざお前らとやり合う必要もねえ。」


「そりゃそうだ……。確かにその通りだ。」


 言われてみればと黒鉄くろがねは頷く。



「だがな。だからこそ、みんなで頭を捻ってたんだよ。なんで男達とふでとか言う女が斬り合うことになったのか。そこが分からねえ。お前はどう思う?お前が一番その女とやり合った経験があるわけだろ?」


「やりたくてやったわけじゃねえが……。」


 不満げに黒鉄くろがねははんっと鼻を鳴らす。



「理由なんざ、目が合ったってそれだけで斬り合いになる様な手合いだろあれは。分かるわけねえよ。」


「そうか。」


 肩を揺らして田後たごは軽く笑った。



「ま、そっちの件の理由は、それでもいいんだがな。」


「そっちの件だ?何だ、まだなんかあるのか?」


「まあ、何というか……だと言うか……更に厄介と言うか。」


 僅かに言いかけて、田後たごは困ったような表情で結城ゆうきへと視線を向ける。



「更に厄介?」

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