135.顛末二

「がっ!?いてえっ!!」


 背骨の中心として指の先から頭の髪の毛の先までの末梢まっしょうの隅々へと渡って、まるで亀裂が入ったかのごとく体中が鋭く熱いものが走り抜けていく。そして痛みの後に、その割れたひびに粒子でも挟み込んで擦れているかのように、節々に何とも不快な感触が残っていく。余りにもの痛みと不快感に、のた打ち回りそうになりながら、男は歯を食いしばって、全身を僅かに縮こまらせた。それでも、じんじんとした痛みが引かずに、ぐぐぐっと喉の奥からうめき声を漏らしてしまう。


「あ!黒鉄くろがねさん起きましたか!?」


 痛みで思わず男が上げた叫び声に気が付いたようにして、寝そべっていた布団の近くから声が掛けられた。

 その声は男にとって耳馴染みのあるものであり、激痛に苦しみながらも、聞き違えることの無い特徴的な幼い響きがあった。


 黒鉄くろがねと呼ばれた男は、痛みで殆ど体を動かすことが出来ないながらも、何とか眼球だけを右へと向けて、声のした方向へと視線を向ける。丁度、部屋へと差し込んでくる陽射しが逆光となってしまい、先程まで目を瞑ってたこともあってか、随分と眩しく感じて目を細めた。薄っすらとぼやけてしまう視界の中で、声の主の影は徐々にながら、それでも次第とくっきりとしていき、その姿が顕わになっていく。それは髪の真っすぐ長く、ずいぶんと背の低い幼い少女であり、黒鉄くろがねの所属する剣華けんか組の局長である結城ゆうき紅葉もみじ、その人であった。


 未だ面影おもかげ童心どうしんを色濃く残した少女は、酷く心配そうな表情をして、黒鉄くろがねの顔を覗き込んできた。眉尻を下げて悲しみの色を顔にたたえながらも、それでも黒鉄くろがねが気を取り直したことに安堵したのか、その表情は徐々に柔和にゅうわなものへと変じていく。


 ただ幼い少女が酷く悲痛な表情を浮かべていたと言う事実に、黒鉄くろがねは多少なりとも胸が痛くなるのを感じてしまっていた。荒くれ事には慣れていたが、どうにも女子供の相手は苦手であった。石動いするぎのようなむしろ食って掛かってきて、ずけずけと物を言う人となりであれば気にもならなかったが、結城ゆうきのような手合いは何をどうすればなだめさせることが出来るのか分からずに弱ってしまう事も多かった。そして何よりも、結城ゆうきの幼い顔が悲しそうにしているのは、どうにも堪らなく、腹の座りどころが悪くなってしまう。彼女の幼い容姿は、人に侮られる欠点でもあったが、剣華けんか組の中では言うことを聞かせるという意味で武器ともなっているのだろうと黒鉄くろがねには何となく感じていた。正味なところ、他の隊員たちも酒に酔った時には似たようなことを零している。そういうものなのだ。


「おう、起きたか黒鉄くろがね。あそこから良く生きてたもんだ。呆れた生命力だよ。」

 遠くから低く渋い声が響いて来たかと思うと、結城ゆうきの背の方から、のそりと禿げた男が顔を覗き込ませてきた。

 つるりとまんまるとした頭に、厚ぼったい唇は一目に蛸を思わせる、背丈の高い男であった。


 禿げ男はわざとらしく自らの頭をぺしぺしと叩くと、片眉を上げて憎たらしい顔を見せながら言葉をつづける。


「憎まれ者は世にはばかると言うが、お前のはそれだな。」

「うるせえ、田後たご……。」


 か細い声を絞り出すようにして黒鉄くろがねは悪態をついた。


「俺が生きてちゃ、困るか?前に貸した酒代返してもらってねえからな。」

「いや、お前が生きてたおかげで幾分か儲かったからな。俺としては嬉しい限りだ。」


 そう言って田後たごは親指と人差し指で輪っかを作って、銭を意味する仕草を見せた。

 恐らくは黒鉄くろがねが生きるか死ぬか賭けていたと言うことだろう。


田後たご、てめえ、賭けやがったか。」

「こういう時の賭けってのはな。願掛けみたいなもんだ。おかげで助かっただろう。俺は賭け運があるからな。」


 ちっと黒鉄くろがねは小さく舌打ちをならして、はたと言葉の別の側面に気が付く。


「てめえが勝ったってことは、死ぬ方に賭けた奴もいるはずだな。」

 眼球しか動かせない状態で、黒鉄くろがねは視線を左右へと巡らせる。睨まれた男達は僅かに気後れした表情を見せるどころか、中には視線があっただけで顔を伏せる者が居る始末であった。そんな者達を横目で眺めながら、田後たごは引っかかりどころのなさそうなつるつるの頭を二三度掻いた。


「そりゃあな、だが恨むなよ。俺達のような者の生き方ってのはそういうもんだろいつ自分が死ぬか分からぬから、身内の生き死にも余興の一つだとでも思ってないとやってられんもんだ。」

「恨んじゃねえよ。ただ、誰が賭けやがったかなとだけ思ってな……。」


 渋々気に言いながら黒鉄くろがねは周囲に居る男達の顔を見ようと、床へと手をついて無理やりに体を引き起こそうとする。途端に再び体中へと痛みが走って床の上でのた打ち回った。


「がぁ!いてええっ……!!」

 顔を歪ませながら、黒鉄くろがねは今更ながらに自分の体へと走る痛みが理解できずに、視線を胴から足先へと見える方へと向ける。気が付いてみると体中には包帯が巻かれていて、まるきり重症患者の様相を呈していた。


「これは……、俺は一体……。」

 痛みにうめきながら何故ここまで包帯まみれになっているのか黒鉄くろがねが記憶をたどろうとすると、横から結城ゆうきが心配そうに顔を覗き込ませてきた。


黒鉄くろがねさん。まだ動かない方が良いですよ。崖から落ちて一日気を失ってたんですから。」

「全く持ってな。一日で気を取り直したのが信じられないくらいだ。」

 傍らで田後たごも肩をすくめる。


「崖から……?」


 言われてようやく黒鉄くろがねは意識を失う前に何をしていたのかを思い出した。


 日の暮れて暗くなった時分、朽ち果てかけた寺の裏手、隊で追い立てて切り立った崖にまで追い込んだあの時だった。

 目の下に黒子のある女に胸倉を引っ張り込まれ、高い崖から飛び降りた、その瞬間の光景が脳裏に蘇ってくる。


 宙を舞って、加速しながら森の中へと飛び込んでいく瞬間の感覚が再び襲ってきて、思わず黒鉄くろがねは目を見開き冷や汗を垂らしながら叫んでいた。


「おああああ!!あの女!!クソッ!!」

 やにわに黒鉄くろがねは怒りに囚われて、自分の寝ていた床へと拳の腹を叩きつける。その衝撃で全身が揺れて、骨がきしみ、痛みで黒鉄くろがねは再び体をのた打ち回らせる。


「いってえええ!!!糞があ!」

 かごに盛られた海老えびのごとくに跳ねる黒鉄くろがねの有様をみて、田後たごは呆れるように笑う。


「おうおう、何とも元気なもんだな。死にかけていたとは思えねえな。ま、この様子なら、もう大丈夫だろ。死ぬことはあるまい。」


 からからと笑う田後たごの言葉には、峠を越えたとでもいうような気楽な響きがあった。

 僅かに耳に煩わしいその声を聴きながら、全身の痛みが治まってくるのを感じて、黒鉄くろがね結城ゆうきへと視線をむける。



「局長。」


「なんですか?」


「あの女はどうなったんですか?俺と一緒に落ちたんでしょう?」


ふでさんのことですか……。」


 僅かに言い淀んで、何故か結城ゆうきは視線を床の方へと外した。



「名前は憶えてねえっすけど……。捕まえているんですよね?」


「それが……。」


 言葉を詰まらせると、結城ゆうきは片目を瞑って、まるで渋るような表情を見せる。


 何か言いにくそうにしているようで、その表情に黒鉄くろがねはおやと感じてしまう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る