132.緊縛の女囚十

「さて、最後は手枷てかせをつけて捉えましたこと、痛めつけましたこと、恐怖を味わわせましたこと、諸々のけじめをつけてもらいましょうか。」

「何をするつもりだ!」

「何、生き恥をさらしていただこうってだけですよ。私は貴方様がたほど悪趣味でもありませんのでね。」


 そう言ってふでが伏せた虎丸とらまるの体に向かって刀を数度振るうと、足の根元、両腕の付け根から、ぷしゅっと血が噴き出した。

 不意と、それまで立ち上がろうと藻掻もがいていた虎丸とらまるの四肢が急に力を失って、ぱたりと床の上へとしな垂れた。


「なんだこれは……。手が……足が動かねえ……。」

 床に伏しながら虎丸とらまるは懸命に体をのたうたせていたが、その手足は石となったかの如くに、鈍重としな垂れたまま、ぴくりとも動く様子がなかった。


 虎丸とらまるが動かなくなったのを見てとって、ふでは踏んでいた掌から足を離して、軽く足首を振るう。大仰に息を吐きながら首を振るうと、ふでは冷徹なままに虎丸とらまるの顔を見下ろす。


「もう、動けやしませんよ。指の一本も動かせませんでしょう?」

「お前、一体何をしやがったっ?」

「なぁに、四肢の腱を切らせていただいただけです。もうこれから貴方様は這いずり回るしか生きようがないんですよ。」


 ゆるりとふでは足を上げると、今度は虎丸とらまるの頭の上へと載せて、ぐりっと額を踵で踏みつける。


「貴様っ!!」


 激昂して虎丸とらまるは部屋中に響き渡る様な叫び声をあげるが、四肢は動かずに、もぞもぞと体をのたうたせるばかりで、そこには一切の恐ろしさも、そして威厳すらも感じられなかった。体が動かぬことが余計に怒りを助長させたのか、顔を真っ赤にしながら虎丸とらまるは体をもぞもぞと這わせるが、それも額を踏みつけるふでの足によって妨げられ、ばったばったと音を鳴らすばかりで、ぴくりとも前に動かない。


「おやまあ。まるで芋虫のようでございますね。」

 くすくすとふで虎丸とらまるの有様を見下して嘲笑あざわらう。


「ぐううううううっ!!貴様ぁぁぁぁぁ!!」

 虎丸とらまるの顔は耳の先まで真っ赤に茹り、顔中に血管を浮き立たせて、今にも憤死ふんしするのではないかと思える程に興奮して唸り声を上げていた。


「何故こんなことをする!!」

「何故?何故って……そりゃあ貴方様が自尊心が高そうですからですよ。これぐらい味わった方が貴方様にとっては死ぬよりも苦しいってものでしょう?これが貴方のしたことの応報おうほうです。これから一生、人に見下されて哀れまれ、そして虫のように這いずり回って、情けなさを味わいながら生きて行ってくださいな。」

「なにを馬鹿な!!殺せっ!!」

「誰が望んでいる人を殺しますか。どうせ貴方様がたは、桔梗ききょうさんが助けを求めた時に鼻で笑ったのでしょう?」

「ぐうぅぅっっ……。」

「貴方は切腹も出来ずに惨めったらしく生きて行くんです。糞尿すらも垂れ流してねえ。」


 一層にふでは面白そうに笑い、一層に虎丸とらまるは目を見開いて悔しがる。ただ、その怒りも何の役にも立たず、虎丸とらまるは無様に体をうごめかせるだけだった。


「さあて……、お待たせしましたご老人。お次は貴方様ですよ。」

 虎丸とらまるの頭から足を下ろすと、そこでようやくふでは、壁にへばりついてわなないていた成瀬へと向かって視線を移ろわせた。


「お……うぉ……。」


 護衛も居なくなった今、ふでに鋭い目つきで睨まれて、成瀬は狼狽ろうばいしながら小さく声を漏らすことしかできなかった。恐怖におののいて脚をかくかくと震わせた成瀬は、思わずも腰を抜かすと、桔梗ききょうの視線から逃れようとわたわたと、部屋の隅を這いずり回る。そうしてはたと、その指先がとある柔らかいものに触れたの気が付いて、成瀬は顔を上げた。そこには手枷てかせに囚われて、動けず部屋の隅へと留まっていた桔梗ききょうが座っていた。


「ひぃっ……。」

 足元へと成瀬が触れたことに恐怖を感じ、桔梗ききょうは咄嗟に身をよじらせて逃げようとするが、められた手枷てかせが腕を捕えて、その場へと体は繋ぎ留められてしまう。


「ちぃ、そこを除け!」


 逃げようとした先に邪魔が居たことで、成瀬は忌々し気に舌打ちを鳴らしたが、はたと思いなおして自らの胸元へと手をつっこんだ。直ぐ様に懐の中から取り出された手には、反尺ほどの長さをした短刀が握られていた。鞘を抜き取って鈍い光沢をした刀身をあらわにすると、成瀬はその柄を握りしめて刃先を自らの眼前へと突き出すや、ふでを威嚇するように成瀬は手首を返して、短い刀身をきらめかせて見せる。


「そんな短いものでお相手するというのですか?」

 ふでが尋ねると、緊迫した面持で成瀬は首を横に振る。


「誰がお主の相手なぞするものか。」

「では自害でもするのですか?」

「こうするのよ。」


 くるりと成瀬は体をひるがえすや、近くにいた桔梗ききょうの腕を掴み取り、右手に持っていた短刀の切っ先をその首元へと迫らせた。


「それ以上、わしに近づくな。近づいたら、こいつがどうなるか分かるだろう……。」


 刃零れの一つもなくさらに鋭利な切っ先が、室内のあかりを反射して怪しく光り、桔梗ききょうの喉へひたりと触れる。刃先が肌へと触れた途端、その切っ先の鋭さに皮膚が裂け、僅かに血がにじみ出て、つうっと短刀の先から成瀬の指にまで流れていく。

 微かな痛みと金属の冷ややかな感触が肌へと伝わってきて、桔梗ききょうは思わず息を飲む。



「っ……!!」


 僅かでも体を動かせば、たちまち首の動脈が切れてしまいそうで、桔梗ききょうは出しかけた悲鳴を無理やりに飲みこんだ。


 きゅっと身を固めて恐怖におのの桔梗ききょうの様子を見て、多少も正気を取り戻したのか成瀬は口元を微かに緩ませて、肺腑はいふから大きな吐息を漏らした。臓物由来の臭気を纏わせた空気が鼻孔へと漂って、僅かに桔梗ききょうは顔をしかめるが、喉に突きつけられた刃先が食いこみそうで僅かにも身をよじることが出来ず、ひゅうひゅうと小さく呼吸を繰り返して喉の奥を鳴らした。


 成瀬へと向かい歩みかけていたふでは、一瞬立ち止まり、目を見開いて瞳孔の開いた視線を見せる。



「貴方。」


 それは酷く冷ややかな声だった。



「貴方。そんなことをして、どうなると思います。」


 そのふでの口ぶりは、激昂こそせずに呟くような雰囲気ではあったが、今までに無いほどに真剣で険しい響きがああった。


 その余りに低く恐ろしい口調に、成瀬はびくりと肩を震わせてしまい、思わずぐっと刃先を桔梗ききょうの肌へと押し付けてしまうと、途端、桔梗ききょうの喉元からつうっと僅かに血が溢れ出て、ぽたぽたと滴り床へ落ちていった。

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