131.緊縛の女囚九

 差し出した右手の掌に刀のつかを沿わせると、親指と小指、それと手の平で握りしめ、虎丸とらまるは更にそれを布で縛り付ける。そうしてしまえば、握りの指が足らぬことなど問題ではなかった。手首のくびれの部分で布地の先を結び留めると、ぎゅっと音を立てて一層につかを握りしめた。そして左手を添えてふでに向かって刀を構える。


 対するふでは興味のなさそうに顔を反らしながら、未だにじっと桔梗ききょうの方へと視線を向けていた。

 それでもと、わざとらしく虎丸とらまるの言葉に首を振ってみせた。


「何とも色気のない物言いをするものです。貴方様、そうも陰気ですと他人から嫌われていますでしょう?」

「楽しみの最中に押し入ってくるような無粋な輩に言われることじゃねえな。」


 不敵な笑みを浮かべて、虎丸とらまるふでへとにじり寄る。

 そんな虎丸とらまるに対しても、全く怖気も感じさせずふで桔梗ききょうを見つめたままに口を開く。


「時に――」

「ん?」


 刀を構えたままに虎丸とらまるは首をかしげる。


「楽しみの最中だったと言うことですが。あれ、をやったのは貴方様ですか?」

 視線も合わせぬままにふでは腕をすっと持ち上げると、指先で桔梗ききょうの方へと指をさした。


 問われてようやく虎丸とらまるは指の指し示す方へと視線を向けると、下卑げびた笑みを浮かべて頷いた。


「俺があいつの指を折ったかっていうことか?」

 はんっと、虎丸とらまるは鼻を鳴らす。


「そりゃ俺がやったよ。随分と具合が良かったぞ。泣いて、喚いて、助けてくれってせがんできてな。堪らずにいきり立ったほどだ。」


 けひひっと随分と野卑な声を上げて粋がる虎丸とらまるに、途端と、ふでは僅かに見せていた笑みをすっと消して、垂れていた目端を鋭く細めると、酷く冷徹な表情を見せた。

 にわかに、髪が浮き立つ程に、その肌を逆立たせると、ふではその身に怒気を膨らましてく。


「そうですか、そうですか。分かりました。そう言うことでしたら、貴方様の相手をしてあげましょう。ですがね。それを口にした以上は、貴方様。これからどれだけ後悔することになっても知りませんよ。」

「はん、何を。脅しているつもりか?俺はお前が逃げようが何しようが、どうやったってやるつもりよ。」


 左足を前に出して指先でしかと床を踏みしめると、虎丸とらまるは八相に刀を構えさせる。

 八相と呼ばれる構えは流派によって形は違うが、虎丸とらまるのそれは、刀を縦に構えながら、上段のように腕を振り上げることはせず、脇本で柄を握りしめる、丁度船頭が水面にかいを突き立てるかのごとき格好のものだった。上段では天井に切っ先がつっかえてしまうだろう状況において、最も早く斬撃を繰り出せる構えだと言っても良い。


 一方でふでは刀の切っ先を床に向けたまま、構えることもせずに、ただ腕をだらりと垂らし脱力しているようであった。

 虎丸とらまるは、そんなふでの様子を眺めて内心ほくそえみながら、足をにじりと近寄らせる。


 何も虎丸とらまるは一度指を吹き飛ばされた相手に、そのまま勝てると過信していたわけではない。内心では油断していたが故に、女に打ち伏せられると言う醜態しゅうたいを晒すことになってしまったのだと考えてはいたが、それでも相手の力量を認めないではなかった。それは不承不承ふしょうぶしょう、苛立ち混じりの感情ながらも、立ち会うことに危険があることは重々に認識していた。


 それでも、と虎丸とらまるふでの腹部へと視線を向ける。そこには服が裂けて一際に血が濃く滲んでいるのが見える。成瀬家の手の者から唐傘からかさ陣伍じんごと戦った仔細を聞いた時に、脇腹を突き刺されたことは聞いていた。いわば手負いである。しかも、この屋敷の郎党を含めて何人もの男を相手にしたうえ、あまつさえは崖から飛び降りたのだと言う。はっきりと言えば、その体は満身創痍と言うものだろう。何よりも剣華けんか組に追い詰められた時に、ただ逃げ回るだけだったと言う。ならば自分に打ち倒せぬはずがなかろうと、虎丸とらまるの中には、そんな自負があった。


 今一歩、足を踏み込ませて、虎丸とらまるは八相の構えのままに距離を詰めていく。

 二人の間はおおよそに四尺ほどへと狭まっていた。


「ふっ…ふっ……。」

 小さく虎丸とらまるが息を切る。


 後半歩も踏み込めば刀の切っ先が届くのだろう。

 見る見る間に虎丸とらまるの体は、筋肉の怒張どちょうで一回り程大きくなり、その周囲に緊張感を満たしていく。


 傍らで見ている桔梗ききょうからすると、周囲の空気がひりついて、二人の間が歪んで見える程だった


 不意に虎丸とらまるは浅く息を吸い込むと、重心を軸足へと載せた。

 誘うようにして握りしめた刀を虎丸とらまるは僅かに揺らしてみるが、ふではその動きにぴくりとも反応をせずに茫洋ぼうようとしている。


 それが単に自分の動きを誘いと見做みなして反応していないのか、それとも疲労から反応することすら出来ないのか、虎丸とらまるには判然としなかったが、眼前の女は未だに構えを見せておらず、これほどまでに近づいているのに、身にまとわせる緊張感も増しているようには感じられない。

 踏み込むならば今だろう、と、虎丸とらまるは思い切りにその細長い足先で床に足先を突き立てると、太ももを大きく膨らませるや、発条ばねの如くに脚を跳ねさせて飛びかかった。


 そのまま、虎丸とらまるは相手の胸元へと目掛けて斬りかからんと、手元をひるがえらせる。


 虎丸とらまるが先に仕掛けた。


 少なくとも部屋の片隅から事態の推移を見つめていた桔梗ききょうからは、間違いなくそう見えた。


 ただ、その刹那であった。

 いつの間にかふでの体が前傾姿勢となっていたかと思うと、またたき程の間に、まるで彼女の体は陽炎かげろうの如くにその外形をおぼろげなものへとへんじて、はたと姿を消した。


「えっ……消えっ……?」


 思わずも桔梗ききょうは息を漏らした。彼女は、にわかに自らの目で見たものが信じられずに、何度も目をまたたかせてしまっていた。

 そこに居たはずのふでが、確かに姿を消したのである。


 慌てて桔梗ききょうが視線を巡らせると、いつの間にかふで虎丸とらまるの懐へと体を寄せていた。

 すっとふでは手を伸ばすと、今にも振りかからんとしていた虎丸とらまるの腕へと掌をそっと添えて、軽く払った。


 それだけで虎丸とらまるの斬撃は空を切って、何もない空間を刀身が滑っていくと、そのままの勢いに床へとぶつかって、その切っ先を沈み込ませた。

 掌へと伝わってくる衝撃によって、虎丸とらまるは初めて自分が空振ったことに気が付いて、「うっ」と目を見開く。


「なっ、どこへ……!?」


 わなないて虎丸とらまるが後退しようとした時には、既にふでの体が半身をひるがえし、弧を描いた軌跡を描き拳が滑り込んでくるところであった。

 間の抜けた虎丸とらまるの頬へと思い切りに拳が減り込んだ。


「ぐがっ……!!」


 下から突き上げるように振り抜かれた拳に、虎丸とらまるの体は跳ね上がるや、もんどりうって床へと倒れ込んだ。男の体躯が床板へとぶつかった衝撃で、部屋の中へと鈍い音が響いて僅かに揺れる。


「一体何が……。」


 自分が殴られたことも理解できずにのたうって、虎丸とらまるは軽く首を振るうと、うめき声を上げながら立ち上がろうと床へ向かって指を突き立てる。

 その掌を不意に上から足が踏みつけた。


「ぎぅっ……!」

 小さな悲鳴を上げて虎丸とらまるが顔を上げると、冷徹な顔で見下してくるふでと視線がかち合った。



「差しあたって、今のは桔梗ききょうさんの顔を殴った分の仕返しでございます。そしてこれが……。」


 言うやふでは掌を踏みつけていたかかとへと重心をかけて、足を内向きに強く捩じりこんだ。


 途端、虎丸とらまるの指先が反り上がって、いくつかの骨が同時に折れる音がした。



「ぐぁぁぁぁぁっっ!!」


 体を跳ねさせて虎丸とらまるは叫び声をあげる。



「こちらは桔梗ききょうさんの指を折ったあだでございます。」 


「ぬぐぅ……何をっ……。指はお前が俺のを弾いたのが先だろうがっ……。」


「そも。あの時、貴方様は私を殺そうとしていましたでしょう。指はその応報というものですよ。逆恨みも甚だしい。」


「それは……。」


 ぐぐぐと虎丸とらまるは奥歯を噛みしめて、口元を大きく歪ませた。

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