129.緊縛の女囚七

「はぁ?」

 突然の家令かれいの言葉に、成瀬は戸惑って間の抜けた声を上げてしまっていた。


「何だ?どういうことだ?」

「あのっ、賊がっ!賊が入り込みました!!」

「賊だあ!?」

「は、はいっ!手前てまえが見たわけではございませんが、家人の者共が伝えてきました!どこから入ったのか。賊が家の中を徘徊はいかいして、家人達を殺して回っておるとのことです!」

「なっ……!一体どこの手の者だ!?」


 咄嗟とっさに成瀬の脳裏をよぎったのは、江戸から暗殺者が差し向けられたという事実であった。

 名古屋に来ていた者たちは妃妖ひようによって全て討ち果たされたと聞いたが、残っていた者共が襲ってきたのか、と、それとも、自分に怨恨えんこんを持っている武家が乗り込んできたのか。

 戦乱と言うべき戦乱は収まった時分じぶんではあったが、家同士の小競り合いなどは未だ日常茶飯事に起きてもいた。


 だからこそ成瀬は狼狽うろたえて、敵の素性を家令かれいに厳しく問いつける。


「そ、それは分かりませんっ……。」

「何ぞ!?なんと使えぬ奴め!!」

「申し訳ありませんっ!」


 苛烈な成瀬の言葉に、家令の男は打ち震えると、必死な勢いで頭を下げた。


「やっ、せ、せめて手前てまえは今から賊を迎え打ちに参ろうと存じます!」

「ふむ……。そうだな。その身で不逞者ふていものを打ち取ってこい。後は飯を食わせてる食客どもが何人か居ただろう。たたき起こせ。」

「は、はい……。それで恐らく問題はないかと思いますが、旦那様につきまして、念のためにお逃げいただければと!」


 そう言うや、家令かれいの男はきびすを返して、部屋から出ていった。

 余りにも慌てていたためなのか、男は戸を閉めるのも忘れてに跳び出していってしまい、大きく開いたままの入口を眺めながら嘆息を漏らす。


「あ奴め、戸の始末ぐらい出来ぬのか。全く。あれも使えるには使える男だが、肝心な所で事を急きおる。おい。」

 呆れ声で成瀬は言って、顎をしゃくって戸の方へを指し示すと、虎丸とらまるは首を捻って顔を渋らせる。


「逃げなくても?」

「逃げる必要が?」

「まあ、いらんとは思いますがね。」


 鼻で嘲笑わらいながら虎丸とらまるが戸の方へと向かう。

 丁度、部屋の外からは、家令かれいの男が走るとっとっとと言う軽い音が伝わってきていたが、不意と、その足音がばたついたかと思うと、がたんと踏鞴たたらを踏むような音が響いた。


「なっ……、もうこんな所まで……。」

 廊下へと出ていった家令かれいの男の、息を呑む音が戸の隙間からすらも聞こえてきた。


 ほんの小さなうめきのような声であったが、それが部屋の外からの音にも拘わらず、くっきりと聞こえてきて、僅かに部屋の中に居た二人は目を見合わせる。


 気が付けば。

 そう、気が付けば、いつの間にやら、あれほど騒がしく聞こえてきた家人達の慌ただしい足音も、騒々しい叫び声も聞こえなくなり、屋敷全体がひっそりと余りにも静かになっていた。


 静寂の中で、鞘から刀の抜ける金属音が一つ鳴った。

 次いで直ぐに、ぎいんっと金属と金属とが衝突し擦れあう長い音がうなりを立てるや、重ねて二度三度と刀のぶつかり合うのが聞こえてきた。


 そして唐突に刀の重なる音が途切れたかと思うと、一瞬、屋敷の中がしんっと静まり返り、そして次の瞬間、

「ぎゃああああああ!!」

 と、男の悲鳴が廊下から鳴り渡ってきた。


「なっ……。」

 余りに大きく悲痛な叫び声に、虎丸とらまるが小さく声を漏らし、近くに居た成瀬も何が起きているのか理解できずに、ごくりと喉を鳴らしてしまっていた。


 そして途端、

ダンッ――

 と、大きな音がして、その音のした方へと成瀬が顔を向けてみると、部屋の入口へとしな垂れかかるように、家令かれいの男が倒れ込んでいた。


 敷居をまたいで男の腕が部屋の中へと垂れ下がり、顔はあらぬ方へと向かい、眼鏡はひび割れて欠片が落ち、まぶたはカッと見開かれその目は白目を剥いてしまっていた。開いた口からはでろりと赤い舌が飛び出して、締まりなく唾液を垂れ流していた。しかし何よりも異常だったのは、その男の体が先ほど見た時よりも明らかに小さいことだった。


 家令かれいの男の体には足がなかった。

 膝がなかった。

 下腹部がなかった。


 へそから下が千切れてしまって、下半身の一切が無くなり、溝色をした裂け目からは、色黒い指ほどにも細長くうねったはらわたと、腕ほどの太さをした芋虫の腹が如き形の臓物ぞうもつとが溢れだして、ぶくぶくと泡を立てて体液が流れ出していた。桔梗ききょうの漏らした尿の臭いで満ちていた部屋を塗り替えるようにして、内臓と糞尿の強い匂いが漂ってくる。


 ありていに言って異常とも言える男の有様を眺め、そこでようやく成瀬と虎丸とらまるは全身に緊迫感を満たし、僅かに身構えた。


 その二人から僅かに離れた所で、部屋の壁に肩を寄りかからせながら桔梗ききょうは、痛みで乱れた息を切れ切れにさせながら、目の前で起こっている出来事を呆然と眺めていた。


 痛みで意識が定かではなく、全ての会話が理解できたわけではなかったが、駆け込んできた賊が来ているのだと言うことは聞き取れた。


 正直な話、桔梗ききょうには賊に襲撃されているのだと言うことに、ホッと心が撫で下ろされる気持ちがあった。

 少なくとも、今この時に男共に加虐されることのないという事実が有難かった。そしてもしも賊が入り込んできて自分も殺されると言うのならば、それもそれで、今感じている痛みから解放されるならば、その方が益しだと、そう言う心持があった。


 部屋の外からは、ずるり、ずるり、ぴちゃぴちゃっと、何か水気の帯びたものが這いずり廻る音がして、徐々に徐々にと近づいてくるのが分かる。


「あ、あ゛……あぐ……。」

 部屋の入り口では下半身を失った家令かれいの男が、何かを言おうと呻きながら成瀬の方へと手を伸ばす。口から唾液を垂らして虫のように這おうとして、床へと指を突き立てると、白目をむいた瞳をくるりと一回転させて、成瀬へと向けて不意と焦点を合わせた。


「逃――」

 何かを言いかけたその刹那。


 唐突に、

ズンッ――

 と、男の頭へと刀が突きたてられた。


 部屋にいた者たちは、刀の突き抜けた音に思わず体を戦慄おののかせる。


 左蟀谷こめかみから突き刺さった刀は、右の頬へと抜けて切っ先を飛び出させ、その刀身には肉なのか臓物ぞうもつなのか脳漿のうしょうなのかも分からない赤い何かを纏わりつかせ、大量の血を滴らせていく。


 家令かれいの男は蟀谷こめかみを貫かれた直後に、びくりと体をうねらせると、それで事切れたのか、成瀬へと向けて上げかけていた腕をかくんっと床へと垂らし、半身から力を抜け落とさせた。


 戸の向こう側から、すっと草鞋わらじを履いた足先が現れると、男の体を思い切りに踏んだ。そうして、足先で体を押さえつけると、ずるりと音を立てて刀が抜けて、その剣先から脳漿のうしょうの一部が零れ落ちて、滴る血とともに床へと落ちていった。


 体を踏みつけていた足が、すっと太ももを持ち上げて開いた戸の隙間から消えたかと思うと、やにわに振り子の如く勢いをつけて足先が男の体を蹴り飛ばした。


 ぐしゅりと内臓と肉の潰れる音を鳴らして、男の上半身はそれで、入り口から廊下の向こう側へとすっ飛んでいった。


 そうして勢いよく壁へガツンッとぶつかって、屋敷全体を軽く揺らす。



 半身とは言え人の体がまりの如く蹴飛ばされたことに、虎丸とらまるや成瀬をしても信じられないものを見た心地で目を見開く。


 廊下からは水気の帯びた布地が、床をずりずりと擦れていく音がして、入り口から差し込む光に人影が落ちた。

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