128.緊縛の女囚六

「大丈夫でしょう。たとえ死んだとしても、それでいいではありませんか。」

「……まあ、死ぬ間際の顔は一番の見物ではあるがな……。」


 僅かに顔を渋らせながらも、成瀬は結局、

「ま、やるが良い。」

 と、虎丸とらまるの言葉に頷いて見せた。


 これから一体何をしようというのか理解できずに、桔梗ききょうが顔を上げて二人を見つめてみると、その表情は今までよりも期待を孕んだ視線をしていて、ぞくりと背筋に寒いものが走るのを感じる。


 虎丸とらまるは再び桔梗ききょうへと近づくと、手枷てかせに吊るされている彼女の右手の、その一の腕を握り絞める。手首の近く、腕の一番細くなっている部分を、虎丸とらまるの指がキュッと握りしめると、それだけでミシミシっと中の骨がきしんで音を立てた。


「いつっ……!」


 今までと違う部分を痛めつけられて、思わず右腕から顔を離してしまいながらも、桔梗ききょうは表情を曇らせる。

 先ほどまで、指を掴んで来たのにもかかわらず、どうして急に今度は腕を掴んで来たのか。その理由へ考えを巡らせた瞬間、はたと桔梗ききょうはこれから何をされるのか理解して、途端に、さあっと顔を青ざめさせた。


 途端に、桔梗ききょうは体をかたかたと震わせ始めてしまう。


 今、これから、腕を折られることになるのだと。そう、理解できてしまった。


 指の骨を折られただけで、堪えきれようのない痛みであったのだから、腕など圧し折られた時には一体どれほどの痛みが襲ってくるのか。そもそも痛みを感じると言う程度で収まるのかすら分からない。その恐怖心に囚われて桔梗ききょうは顎を震わせて、歯をがちがちと噛み鳴らしてしまう。


 みしりと握られる手首が音を鳴らし、一層に痛みを増していき桔梗ききょうは顔を歪めていく。


 折られるところなど、見たいはずも無かったが、それでも桔梗ききょうは自らの腕から目を離せずに息を飲んで見つめ続けてしまう。そんな桔梗ききょうの視線の先で、虎丸とらまるは恐怖に染まるその顔を眺めながら、「けひひ」と奇妙な笑い声を喉の奥から漏れさせる。そうして虎丸とらまるはふううっと熱い呼気を吐き出すと、剛直を跳ねさせながら、もう片方の手で桔梗ききょうの肘も掴んだ。


「あ…ああっ……あああ……。」

 恐怖で桔梗ききょうはただ情けない声を漏らすことしかできなかった。小さく肩を震わせて、掴まれた腕を見つめながら、桔梗ききょうは涙目で何度も首を横へと振り続ける。その全てを無視して虎丸とらまるは腕へと力を籠め、桔梗ききょうの手を捩じり始めていく。


「ぎっっ……!」

 途端に腕全体が軋み、その中心を痛みが縦に貫いていって、桔梗ききょうは悲鳴を漏らしながら歯を食いしばった。虎丸とらまるが力を籠めていくにつれて、徐々にミシミシと腕の骨が音を鳴らして歪んでいく。


「がっ……! があああっ…! ぐぐぐ……!!」


 最早痛みへの反射かのようにして桔梗ききょううめき声を上げる。

 それでも、暴れまわってしまえば、その拍子に骨が折れてしまいそうで、体を縮みこませると、ただひたすら痛みを堪えるために、腕へと力を籠める。

 骨が太いためなのか、指の時の様に一瞬で折れるのとは違った。

 だが、むしろそのせいで痛みは徐々に徐々にとゆっくりと大きくなっていく。より長く続く痛みに桔梗ききょうは涙目で身をよじらせていた。


 痛みが堪えられる最大限にまで達したと思った瞬間、

ピシッ――

 と、何かがひび割れる感触がした。


「あぐぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!」

 腕に鈍い痛みが走り、それが全身へと駆け抜けて、桔梗ききょうは肌を痺れさせる。


 足が跳ねて、背筋はびくりと反り返り、後頭部を壁へと打ちつけた。

 左手は指を握りしめすぎたせいか、酷く強張って開けられぬほどに固まってしまっていて開きそうもなかった。


 一瞬、桔梗ききょうは自らの腕が完全に折れたのだと思った。


 それほどの痛みがあった。

 少なくとも指が折れた時よりも、激しい痛みがあった。


 だが、痛みに耐えて桔梗ききょうが腕へと視線を向けてみると、虎丸とらまるの握った自らの腕は全く折れてなどおらず、真っすぐなままだった。


 骨は折れず、ただそれでもひびが入っていた。

 尺骨しゃっこつの丁度真ん中あたりに亀裂が走り、ぎざぎざと斜めに割れかけていった。


 当たり前だが、まだ折れていないと言うことは、まだ痛む、と言うことでもあった。

 それが証拠に虎丸とらまるは更に腕へと力を籠めようと、より強く手首を握りしめていく。


「はぁ……はぁ……。」


 桔梗ききょうは浅く呼吸を繰り返して、目を見開き、信じられないといった気持ちで腕を凝視していく。

 これから先ほどよりも強い痛みが襲ってくるのだと言う事実に桔梗ききょうは、正気が保てずに、何も考えられずに呼吸のみが速くなっていく。これ以上は耐えられる気がしなかった。


「あっ……あ…あっ…あっ……。」

 膝は震えて、目からはなく涙が零れて、頬を濡らしていく。


 気が付けば股の間はぐちょぐちょに水気を帯びていて、床には小水で出来た水溜まりが出来ていた。失神の時にすら漏れたはずにも拘らず、それでもなお痛みからくる筋肉の収縮で、桔梗ききょうの膀胱からは水分が絞り出された。それほどまでに、桔梗ききょうの体へとおとれた痛みは激しい物であった。

 桔梗ききょうは次いで来るであろう痛みを何とか堪えようと、必死で体を強張らせ、目を閉じると顔を俯かせた。


「あ……あぁ……ふ…ふで殿……たすけてぇ……。」

 もう居ないのだと分かっていても、桔梗ききょうは思わず彼女の名前を口から零していた。


「はんっ。」


 そんな桔梗ききょうの呟きを、鼻で笑い飛ばすと、虎丸とらまるは、くっと腕へと力を籠める。

 ぎりっと掌を引き絞り、腕を内側へと折り曲げようとした。

 その瞬間だった。


ミシッ――

 と、大きな音が響いた。


 ただ、それは腕の骨が割れる音ではなかった。

 むしろもっと大きく、屋敷全体を揺るがす様な音が響いてきた。


「ほっ?」

「なんだぁ!?」


 成瀬が戸惑った声を上げ、虎丸とらまるは腕を折ろうとしていた指の力を緩め、きょろきょろと周囲を見回し始める。


 腕こそ掴まれていたままだったが、手首と肘を掴む力が緩んだのを感じて、僅かばかりに桔梗ききょうは安堵する。

 何が起きたのかは分からなかったが、少なくとも、今この時に痛みが訪れなかった事実に胸を撫で下ろしていた。


 先ほどの音とともに、不意と屋敷の中が騒がしくなり、方々から上がり始めた声がこの密室にまで伝わってくる。

 何が起きているのかと、成瀬と虎丸とらまるが顔を見合わせると、その直後にズンッと、屋敷の壁が揺れ響くような音がした。


「なんなのだ一体。騒々しい。下男げなん共が喧嘩でもしておるのか!?折角良いところだと言うのに……。」


 忌々しそうに顔を渋らせて、成瀬はがつんっと近くにあった壁を殴りつける。

 随分と苛立っているのか、酷く強く拳がぶつかりはしていたが、それでも今しがた聞こえてきた柱を揺らす音とは比べ物にならない程に小さく、それは慎ましいと思える程の音でしかなかった。


 未だに騒がしく叫ぶ男共の声が鳴りやまず、男二人が耳を澄ましていると、更にどかどかと廊下を走る音が響き渡ってくる。どこか一つの方向へと向かっているようで、ちょうど屋敷の奥から入口の方へと足音は遠ざかって小さくなっていく。


 ただ、その中でも一つの足音だけが逆に大きくなって来て、どうやら部屋へと近づいてくるのが分かる。


 とっとっとっと足音を響かせて、それが部屋の手前まで近づいてくると、不意にがらりと部屋の戸が開かれた。

 すっと明るい光が差し込んだかと思うと、戸の開いた狭間からは、行灯あんどんが現れて、次いで口にほくろのある眼鏡をかけた細身の男が慌てた様子で部屋の中へと顔を覗かせる。


 それは以前、桔梗ききょうふでとが成瀬の家に訪れた時に、家の中へと案内した家令の男であり、ふでを貶めるために剣華組に嘘の垂れこみした男でもあった。


 言うてしまえば成瀬にとって家の中で最も信頼のおける男であり、それが故に、このようなあからさまに成瀬の恥部である、加虐趣味を満たすためだけの部屋に入ることも許された人間の一人でもあった。



 心を許す家令が顔を表したことに、成瀬は多少なりとも緊張を解いて、分かりやすく口をへの字に曲げて苦々しそうな表情を浮かべた。



「おい、どうした?騒々しいぞ。儂が楽しんでおる最中だと言うのに、興が削がれること甚だしいわ。早く下男げなん共を静まらせて来い!」


「あっ!いえっ、そのっ……。」


 手厳しく怒鳴ってくる成瀬の言葉に、家令の男はあたふたとした様子で言葉を惑わせた後、一旦、声を途切れさせると息を呑んで、そして叫ぶように声を上げた。



「にっ!逃げてください!!」

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