126.緊縛の女囚四

 何が言いたいのかが分からずに桔梗ききょうは困惑した表情を見せる。

 それを見下しながら成瀬は一際に厭らしそうな表情を浮かべて顔を近づけた。深い皺を湛えているにも拘らず、その肌は脂肪を過剰に抱えているせいかどこか表面に油を浮かせて、微かに部屋の光を反射する程てかてかと照ってすら見えた。瓜の皮の如くに弧を描いた唇は、興奮しているのか赤味を増していて、その口の狭間から漏れた吐息が、生暖かいままにむわりと漂って桔梗ききょうの鼻へとかかった。


 腐った溝川の匂いがする気がする。


 思わず桔梗ききょうが顔を逸らすと、くくっと軽く笑って成瀬は体を起こした。


「おい。虎丸とらまるよ。」


 振り返って成瀬が呼ぶと、これまでずっと後ろに控えて押し黙っていた男が歩み出た。その表情は、先までしていた能面のようなむっすりとしたものではなく、これからすることに期待を持っているとでも言うような随分の喜色の満ちた顔であった。そうして笑みを浮かべたまま、指の欠けた右手をさする。触れるだけで痛みが走るのか、こするたびに右腕の腱がぴくぴくと震えながらも、虎丸とらまるはむしろ心地好さそうに「くはっ」と声を溢れさせた。


「あのふでとか言う女……。あの女に、この指の応報を必ずせねばならんと、そう思い続けてきたがな。」

 はぁっと白い靄の掛かりそうなほどに熱い吐息を漏らすと、虎丸とらまるは「ふん」と鼻を鳴らして口元を緩ませる。


「まあ、死んじまったんじゃ。仕方ねえやな。ただな。この痛み。この痛みの分だけの恨みは、お前で発散させてもらうからな。」

 低くドスの効いた声で凄む虎丸とらまるの笑みには、何か虚ろな仄暗さがあって、桔梗ききょうは背筋が震えるのを感じた。


「な、何をするつもりだ……。」

「なに、俺と同じ目に合って貰おうって、それだけだよ。ちょっとばかり俺よりは辛いことにはなるかもしれんが。」


 軽く肩を揺らしてくくくっと細かく笑いながら虎丸とらまるが、桔梗ききょうの近くへと歩み寄っていく。

 一歩近寄るごとに床の板が微かにたわんで、小さな音を立てる。それが桔梗ききょうには死罪を読み上げる宣告のごとくに感じられて、音の鳴るたびに体を強張こわばらせていく。


「くっ……来るな!」

 恐怖でやにわに桔梗ききょうは足を跳ね上げて、迫り来る虎丸とらまるの膝を蹴りつけた。桔梗ききょうの細い足先は確かに膝の裏へと思い切りに当たったが、しかし、そんなものなど痛痒つうようもせぬと言わんばかりに虎丸とらまるは無造作な足取りで更に桔梗ききょうへと近づいていく。


「ふん。」

 そのまま虎丸とらまるは手を伸ばすと、かせに囚われている桔梗ききょうの腕をむんずと捕まえた。白くたわやかに細い桔梗ききょうの腕へと、虎丸とらまるは指先を肌が窪むほどに強く握りつけて、骨のきしむ音を鳴らさせる。


「いっ……。」

 肉を締め付けられる痛みに桔梗ききょうは顔をしかめた。

 そうして虎丸とらまるの顔を睨み付け、震える声を上げる。


「同じ目にって何をする――。」

 そう言いかけたところで、虎丸とらまる桔梗ききょうの右手の人差し指を乱暴に掴んだ。

 一瞬、何をするのかと戸惑った桔梗ききょうは、不意と指先が強く握りしめられる感触に、僅かに遅れて虎丸とらまるの意図を察し、ひゅっと息を飲んだ。


 掴まれた指先が、くっと掌の裏側へと向かって、力を籠められるのを感じる。


「やめっ――!」

 鈍い音が室内に響いた。


「~~~~~っっっっ!!」

 声とも唸りとも判別出来ぬ、獣の如き声が桔梗ききょうの喉の奥から溢れ出ていた。静かな部屋の中に反響して、それは、より濁った音へと変化していく。


 桔梗ききょうの人差し指は、根元かららぬ方向へと捻じ曲がり、その肌は真っ赤に色を染め、ぷくりと膨らみ始めてさえいた。折れこそしなかったのか、肌から骨が露出しているわけではなかったが、少なくとも脱臼をしたのだろう、桔梗ききょうが他の指先を握らせているのも関わらず、人差し指はぷらぷらと力なく揺れていた。


「んっぐぅぅぅっっ……。」


 指に走る激痛に桔梗ききょうは顔を歪めて歯を食いしばり、喉の奥で唾液が泡立つような声を上げ続けていく。堪えきれぬ痛みに体は何度も跳ねては激しくよじれ、そして腕が手かせに擦れて手首が深く赤い擦り傷で覆われていく。何度も体を暴れさせながら、それでも痛みに堪えきれず、桔梗ききょうは涙を流しそうになって、ぐうっと強く奥歯を噛みしめた。手枷てかせを繋いでいる縄がぎしぎしと鳴り、それが断続的に続く唸り声へと混じっていきながら、歯と歯の擦れあう、ぎぎぎっと高い音さえも口の中でくぐもっていた。


「ひぐぅっ……。」

「中々に良い音がしたな。」


 苦痛に歪む桔梗ききょうの顔を見下して、虎丸とらまるはニタニタとした笑みを浮かべた。そうして自らの指先を見つめると、わきわきと何度も握り直しては、圧し折った感触を思い出したのか、目を細めて何とも愉悦ゆえつに満ちた顔をさせる。その傍らでは成瀬も痛みに身を捩る桔梗ききょうを眺めながら、何度も大仰に手を叩いては、何度も嬉しそうにいやな笑みを顔に湛えていた。


「おお、おお。ふふふ、良いのお。お主のような、うら若き女の苦痛に歪む顔は見るのは何ともな……なんとも楽しいことよ。くふふふふ。」

「ど外道がっ……。」


 痛みに耐え切れず、桔梗ききょうは目の前に居る二人へと口汚く罵っていた。

 人の苦しむ様を見て楽しむような下衆が居ると言うのも話だけでは知っていた。それでも、ここまであからさまな人でなしの加虐嗜好かぎゃくしこうをした人間が実際に存在することなど――と言うよりも、現実に自分がその被害者となることなど想像だにしていなかった。

 それ故に成瀬と虎丸とらまるの二人に対しては、有り得ぬものを見ている心持すらあった。


 目端めはしに涙を湛えながらも、キッと目付きを鋭くして睨み付ける桔梗ききょうに対して、成瀬はむしろ余計に楽しそうな様子で「ふふふ」と笑い声を零した。


「良い。良いな。まだそれぐらいの元気がある方が楽しめると言うものよ。おい、虎丸とらまる。次だ。」

「承知。」


 言われて、軽く笑いながら虎丸とらまるが再び桔梗ききょうへと手を伸ばす。


 慌てて桔梗ききょうは指をとられまいと拳を握りしめようとするが、折れた指が痛んで力を籠めることが出来ず、虎丸とらまるに無理やり指を開かれて、そのまま中指を握りしめられた。


 蛇の様に長い虎丸とらまるの指先は桔梗ききょうの指へと絡みつき、ぎゅっと根元から絞り込んでいく。

 それだけで骨が軋むほどの痛みが走り、桔梗ききょうは顔を曇らせるが、言うてしまえば、これからは、それ以上の痛みを味わうのだと認識して、喉の奥から震える声が漏れた。



「やっ……。」


 桔梗ききょうが堪えきれず悲痛な声を漏らした瞬間、虎丸とらまるがにいっと口角を上げて不意と肩を震わした。

 それは何とも楽しそうな仕草であった。


 再び鈍い音が室内に響く。


「ぐぎゃう!!」


 おおよそも、うら若き少女には似つかわしくもない叫び声を上げるや、桔梗ききょうは体を跳ねさせた。


 堪えようのない痛みに桔梗ききょうは体をのた打ち回らせて、何度もかかとを床へと叩きつけては、背中を壁へとぶつけていく。


 どたばたと音を鳴らして、「っっ~~!!」と痛々しい声を漏らすと、手枷てかせに縛られて不自由な中で、それでも自らの指先を抑えようとする。

 ただ、仮に指先へと触れれば更に痛みを感じるのだと理解して、桔梗ききょうは掌を宙に浮かせながら、身を捩らせて体を強張らせる。


 がちがちと歯を噛み鳴らし、それでも指先からの痛みが強すぎて、何度も体を暴れ回らせると桔梗ききょうは壁へと頭を打ち付ける。



「ほほほほほ、良い痛がりっぷりだ。」


 そんな桔梗ききょうが痛がる様を、成瀬と虎丸とらまるは楽しそうに眺めていた。


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