125.緊縛の女囚三

「はんっ。それはな。あ奴がわしうとんでおるからだよ。わしがこの地で何十年と、まつりごとを取り仕切って来たか、いかに街を作ってきたか、その労も功も知らず、僅かにまいないを受け取った程度で、まるで極悪人かのごとくに言い立ててわしの職を辞させんとしておる。あの若造が……。」

 最早、藩主への嫌悪感を隠すこともせず、成瀬は罵る様に「あ奴」などと呼び始めていた。そうして言葉に怒気を含ませながらも、ふっと口元を緩めて可笑しそうに肩を揺らす。


「だからな。先に謀殺ぼうさつでもしてしまおうと策を弄しておったのだが……。それがどこぞやから漏れたらしく、江戸の方に事の次第を察知されたらしい。まあ確証はないのだろうからな、公に言い立てることも出来ずに、暗殺などと言う手段をとったのだろうが。それも無為に終わったな。」

 ほくそ笑んで成瀬は満足そうに顎を撫でる。


「そしてわしを暗殺しようとしていることを知った協力者が、お主へと文を持たせてここへと寄越したわけだが。それがお主にとっては不運であったな。」

「それは一体どういう意味ですか……?」

わしが命を狙われておるなどと、誰にも知られたくはないからよ。それがどこから漏れて藩主や政敵に知られれば、種々と調べられてわしの企てが何もかも露見しかねぬが、それは避けねばならん。だから事を知っておる者は、差しあたって殺してしまった方がわしにとっては良いのだよ。それも殺そうが類縁の居ない、お主のような使い捨ての人間は特にな。」


 言いながら成瀬は大上段から見下ろすかのごとき視線で桔梗ききょうつらを眺める。それはあからさまに、今からお前を殺すと言っているのだと理解して、桔梗ききょうは逆に睨み返すが、それも成瀬はむしろ楽しいようで軽く鼻を鳴らしている。


「まあ、そういうことで言えば、お主があの女を連れて来てくれたのは、わしにとって本当に運の良いことであったな。素性もあってないような流れ者で、しかも腕が立つとは。本当にあの女が一人で、不逞ふていな輩どもを全員殺してくれるとは信じてなかったが、いやはや、眉唾だと思うて全くに信じておらなかった妃妖ひようの噂も、多少は真実であったのだな。」

「では、ふで殿も事の次第を知ったから、剣華けんか組に襲わせたのだと……?」

「そういうことよな。上手く行くとも思うておらなかったが、存外に思惑通り嵌りおったわ。噂に聞いた妃妖ひようも、結城ゆうきの嬢ちゃんも、思うてたよりも間の抜けた者共よ。」


 ぎりっと桔梗ききょうは奥歯を噛み鳴らし、「ぐぐぐ」と小さく唸った。妙に。妙にふでが侮られたことに腹が立って、どうにも我慢ならなかった。ただ、成瀬はそれも興味ないように、素知らぬ顔で桔梗ききょうへと言葉をつづける。


「それで、どうなったと思う?」

「それでとは?」


 もう成瀬に対して丁寧な言葉を使うつもりもなく、桔梗ききょうは吐き捨てるような言葉で問い返した。


「お主は、妃妖ひよう剣華けんか組が結局どうなったのかを知らぬのであろう?あ奴を助けてくれなどと言って駆けこんできたのだからな。」

「……どうなったと言うのです?」

「どうなったと思う?」


 得意げに問う成瀬の言葉に、桔梗ききょうも何となく結論を察して言葉を飲み込む。

 僅かに俯きながら、すぐに顔を上げて成瀬へと向かって、沸き上がった心持をそのままに吠え付ける。


「どうなったもこうなったも!ふで殿なら剣華けんか組の全員を斬り捨てて、貴様を殺しにくるわ!」

「ハハハハハ!!」


 何が可笑しいのか、成瀬は大仰に笑い声をあげると、柏手を打ちながら体を何度も震わせる。


「お主は本当に愉快ゆかいよの。妃妖ひようはな、剣華けんか組に追い詰められて崖から飛び降りたとよ。死体はまだ上がっておらぬようだが、高さから言って生きてはおらぬだろうと言うことだ。所詮しょせんは噂に聞いた人斬りも人間と言うことだ。」


 侮りに満ちた成瀬の言葉に、桔梗ききょうは顔を伏せて唇を噛んだ。

 俯いたのも唇を噛んだのも、成瀬に悲痛な表情を見せたくなかったからだった。どうなったと思うなどと尋ねられた時から、その答えはほぼ半ばに予想はしていた。予想はしていたが、実際に言葉に出されてしまうと、想像以上に辛くて喉奥から言いようも知れない感情が溢れだしそうになってしまう。


 いつも飄々ひょうひょうとした笑顔を浮かべていて、軽口を叩いてはあっという間に人を斬り殺し、何でもかんでも余裕を浮かべた表情で切り抜けていた彼女であれば、あの状況からでも生き延びていてくれてるのではないかと、そう淡く期待してしまっていた自分が居た。そして半ば心内こころうちでは、このような捕えられてしまっている自分を助けに来てくれるのではないかと、そんなことすらも望んでしまっていた。


 ただ、それ以上に、桔梗ききょうにとって、彼女が死んだと聞かされるのが、どうだか、ひたすらに辛かった。


 出会ってから十日も一緒に居なかっただろうが、何故だか、彼女には親しみのようなものを感じてしまっていた。くすくすと可笑しそうに笑っては、悪戯っぽい口調で揶揄からかうようなことを言ってきて、どう考えても頭の狂った行動をして困らせてきては、それでも危うい時には必ず助けてくれた。始終ろくでもないようなことをしている人だったが、それでも自分にとっては親しいと思えた人間であった。


 不意と何故だか、桔梗ききょうは胸の内に、晴れた空の下、長く生えた草原を貫く道の中で、こちらを眺めて微かに笑みを浮かべている、そんなふでの表情が浮かんできて、ふっと消えた。不思議だった。そんな彼女を一度としても見たことがなかったのに、何故だか、そんな風景が似合う気がして、心の中に表れた。

 そして、そんな彼女が居なくなったのだと言うことを思い出して、余計に辛くなる。


ふで殿……。」


 思わず桔梗ききょうは彼女の名前を呟いていた。そして呟いて、それ以上の言葉は飲み込んだ。何かを口にしてしまうと、そのまま涙が溢れてきてしまう気がして、それを成瀬には見せたくはなかった。唇を噛みしめて堪えたままに、熱くなる瞳でじっと床を見つめていた。



「さて。」

 と、桔梗ききょうの感傷など打ち切るかのように成瀬がぽつりと一つ声を漏らした。



「もう分かっているとは思うが、お主にも死んでもらわねばならぬ。」


 そう言った途端、ぎいっと床板を踏む音を鳴らして成瀬が桔梗ききょうへと一歩近寄った。


 思わず桔梗ききょうは身を引こうと足先で床を蹴るが、その背中は壁へとぶつかってそれ以上後ろへと下がることは出来なかった。何度も足を藻掻もがかせて、体を退こうとするが、その度に背中は壁へと当たり、手枷を吊るす縄が引かれ撓みぎゅっぎゅっとられた糸が音を鳴らすばかりだった。



「なに、直ぐには殺してやらんよ。お主をただそのまま始末してしまうのも勿体なくてな。のう?折角に良い顔をしているのだから。」


 皺を湛えて水気の少なくなった唇を、分厚い舌で舐めとって僅かに潤わせると成瀬は、けひっと喉の奥から何とも奇妙な笑い声を鳴らす。


 成瀬の言葉に、咄嗟とっさ桔梗ききょうは足を閉じて身を捩らせた。有体に言えば、それは貞操の危機を感じたが故の行動であった。ただ、それを成瀬は見越していたように笑みを浮かべると、むしろ一層に堪らぬと言った表情をさせながら首を振る。



「そう慌てずとも、そんなことをしようというのではない。その程度のことならお主なんぞに手を出さずともどうにでもなるというものだ。……むしろ、お主としてはそちらの方が良かったと思うかもしれんが。」


「そ……それは、一体どういう……。」

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