123.武家屋敷の惨劇六 - 緊縛の女囚一

「ちょいと、貴方様。」

 それは酷く落ち着いた声であった。

 御淑おしとやかな女が楚々として語るには似合う声色であったが、それを頭を掴まれたこの状況で聞かされては基親もとちかとしては、どこか空恐ろしさを感じてしまう。


「な、なんだ?」

「いえね。一つ聞きたいことがあるのですが、教えていただけませんでしょうか。」

 ふでがそう尋ねると、基親もとちかは片手で抗おうとしていた、ふでの腕を両手で掴むと全身の力を籠めて振り解こうとしながら、首を振って答えるのを拒んだ。


「誰が屋敷に押し込んできた賊なんぞに答えることがあるかっ。」

「そうですか。」


 その途端、ふで基親もとちかの髪を握りしめると、まるで岩でも握っているかのごとく、無遠慮に、そして思い切りに腕を振るった。基親もとちかの頭はぐんっと勢い良く引っ張られると、そのまま見る間に額が近くにある柱へとぶつかる。

 途端、酷く鈍い音が響いて屋敷が僅かに揺れた。


「ぐぎゃっ!?」

 低く濁った声で、基親もとちかは喚き声を上げた。


 即座にふでは握っていた髪を引っ張ると、基親もとちかの顔を柱から引きはがし、そうしてその顔を覗き込む。打ちつけた額は肉が潰れて青くなり、勢い同時にぶつけたらしき鼻からは真っ赤な血が溢れだしていた。柱はねっちょりとした鼻水交じりの血にべたりと塗れて、それが糸を引いて基親もとちかの鼻にまでつながっていた。表情こそ痛そうにしてはいるが、顔はまだ原形をとどめていて、この程度大したものではないだろうと冷ややかにふでは見下す。


「おや、まあ、大丈夫ですか?」

 自分で打ちつけておきながらふではしれっとした口調でそう尋ねて見せた。


「ぐ…ぐぐ……。」

「さて、聞きたいことがあるのですがね。」

「だ、誰がっ――。」


 基親もとちかが口答えをしようとした瞬間、ふでの腕が思い切りに振り抜かれ、再び頭が柱へと強かに打ちつけられる。先ほどよりも一際に大きく肉の潰れるような音がして柱が揺らいだ。


「ぐううぅっっ……。」

 そのままふでは何度も腕を振るい、その度に基親もとちかの頭は柱へと思い切りにぶつけられていく。


「ぎゃぅっ!ぐっ!ごぶっ!」


 柱へとぶつかるたびに基親もとちかは呻き声を漏らしていた。何度目からか、頭が柱に衝突する低く鈍い音に、ぐちょ、びちっと液体の跳ねるような音が混じるようになり、周囲に赤い飛沫が混じり始める。気が付けば、床には黄ばんだ白い欠片のようなものが転がっていて、基親もとちかの口からは前歯が幾つか抜け落ちてしまっていた。


 十度ほども叩きつけたころだろうか、ようやくふでは腕を止めて、くっと基親もとちかの頭を体へと引き寄せる。その顔は鼻がへしゃげ、額は縦横に裂けてしまい、露わになった肌の下の肉からは体液が滴り、そして至る所へと赤い血が纏わりついていた。そんな基親もとちかの顔へと視線を覗き込ませて、甚く冷淡な表情で再びふでは問いを口にする。


「聞きたいことが、あるのですが。」

「……。」


 それでも口を割らず黙って目をそらした基親もとちかの頭を握ると、今一度、今度は満身の力を腕に籠めて頭骨の割れんばかりの勢いで柱へと叩きつける。一際に大きな音が鳴ると、続いて廊下の床板までもが震えて、びりびりと細やかな高い音がしていた。

 そうして再びふで基親もとちかの頭を引き寄せる。


「答えたくなりましたか?」

「む……。ぐ……。」


 基親もとちかは血塗れの顔ながら、分かるほどに困惑した表情を浮かべると、口を開いたところで戸惑ったように唇を戦慄わななかせる。


「仕方ありませんねえ。」

 ぽつりと言って、ふでが再び髪を握りしめようとしたところで、基親もとちかが慌てたように声を上げた。


「な、なんだっ……!?何が聞きたい?」

「今日のよいの入りごろ、ここに女が一人運ばれて帰っていないと思うのですが、どこにいるかはご存じありませんか?」

「女?いや、知らな――。」


 答えの終わらぬ間に、基親もとちかの頭が柱へと叩きつけられ、みしりと骨の歪む音がした。


「~~~~っっ!!」

 酷く喚いて基親もとちかは頭を抑え込む。更にふでは握りしめていた髪の毛に一層の力を籠める。それで皮膚が絞り上げられ頭骨から肌が剥がれんかの如くに音を立てて、幾本かが引き千切られていった。


「女の居場所を。」

「知っ!!知らない!!知らないんだ!本当に!!」


 痛みに耐えきれぬといった悲惨な表情を浮かべて基親もとちかは必死に首を振る。その態度には偽りや虚飾は感じられず、本気で言っているようであった。

 ただそれが故にふでは落胆をして、大仰なほどに溜まった嘆息をついた。


「なんとも。使えませんねえ。」


 吐き捨てるように言うた瞬間、ふではもう一方の手に握っていた刀を滑らせて、基親もとちかの首筋を掻っ切った。


 途端と、開いた首から血飛沫ちしぶきが噴き上がり、ふでの灰色をした着物と、近くに部屋の白い障子戸を、鮮やかなほどに赤く染めた。



* * *


二十七


――ふで基親もとちかの首を斬った、その幾許いくばくか前のこと。


「う、うぅ……。」


 かすれぎみの小さな声を上げながら、桔梗ききょうは薄っすらと意識を取り戻していく。覚醒しきらないという感覚の中で、頭がぐらぐらと揺れて、酷い鈍痛に襲われるのを覚え、「ぐう……」と顔を顰めた。ただ痛みがすると言うだけではなく、まるで頭を開かれて中身を火箸でぐるぐるに掻きまわされたかのような強い眩暈と、視界がちかちかと白く明滅してしまうような気持ち悪さを感じていた。


 天地があやふやになるほどの吐き気を覚えながら、虚ろと覚醒の間を行き交う頭の中で、何故だか直ぐに起きなくてはと言う切迫感だけが襲ってきて、桔梗ききょうは呻きながら何度も体を揺らして目をしばたかせる。そうして眼球に張り付いたかの如くに、重く感じるまぶたを何とか見開いた。


「あうぅ……。」


 気が付けば何時の間にか口の中に溢れ返っていた唾液が唇の端から漏れてだらりと垂れた。傍目から見れば何とも見苦しい有様にも桔梗ききょうは構わずに、まぶたを開くと、ゆらゆらと視界が歪み、目の奥に刺すような痛みを感じつつも、なんとか周囲へと目を向けていく。僅かに俯いていたせいか、まず最初に桔梗ききょうの目へと映ったのは板張りの床だった。


 視界が歪むのと、どことなく周囲が薄暗いために、はっきりとは見えなかったが、それは穴の一つもなく板目も違わずに揃えられた綺麗な並びの板張りで、少なくとも前に見た木賃宿きちんやどや昨日まで泊まっていた宿よりもよっぽどに上等なもので、少なくとも現在居る所が今までに訪れた宿でないことは明らかであった。


 更に桔梗ききょうは視線を横へと差し向けてみると、そこには木製の戸があるのが見えて、ただの板が張った野外と言うわけでもなく、一つの部屋の中にいるのだと言うことを悟らせる。

 そう理解してみると、確かに耳をそばだててみても木々や草花の葉擦れも、鳥や虫の鳴き声も聞こえずに、ひっそりと静かであり、この場所が野外でないことは感じさせた。



 次第と、どうやら何処どこかの部屋に座っているようだと、桔梗ききょうは未だにぼんやりとする頭の中で状況を理解していく。


 そうして、更に正面へと目を移ろわせてみると、目の前に人影が立っているのに気が付いた。

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