122.武家屋敷の惨劇五

 生じた人混みの狭間から、丸太ほどもありそうな大きな足が現れるや、みしりと板がたわむほどの音をさせて廊下の床を踏みしめた。

「おい。賊だって?」

 低く太い声でそう言いながら、群れた凡俗ぼんぞく達を掻き分けるようにして現れたのは、一目にいわおを思わせるようなほど肩幅の大きく、そして何とも頑強な体躯たいくをした男であった。


基親もとちか様っ!」

 群れていた男の一人が、その屈強な男を見上げて声を上げる。


 基親もとちかと呼ばれた男は、まるで風来坊と言ったような風体であった。顎から頬にかけてはまばらに生えた無精ひげが長く伸びて、所々に切り傷のようなものが見える。体には皺の拠れた着物を纏い、頭などは月代さかやきを剃ってもおらず、ただ頭の頂点から後頭部の狭間辺りで、一本に髪を纏めているだけと言った様子だった。一見として、余裕があるのか表情は穏やかな笑みを浮かべているようでもあり、その身に纏う雰囲気には飄々ひょうひょうとしたものが感じられながらも、ただ肩幅は常人の二倍ほどにも長く、背丈だけ比べたとしても周りに居る男達の二回りは大きいがために、周囲を威圧するような存在感があった。


 り刀で駆け付けたのか腰に刀を指してはおらず、左手に鞘ごと一本の刀が握られているのみだった。


 この基親もとちかと言う男は、成瀬家の食客の類であった。元々の生まれは農家の三男坊であり、継ぐべき田畑も持たず辺りは延々と続く戦乱の世のに育ち、本来であれば戦に駆り出され、運が良ければ戦場いくさばで死んで家族に手当てが渡り、運が悪ければ腕にしろ顔にしろ傷を負って不具ふぐとなり、家族に見捨てられるかと言った、そのような結末になるしか落ち処のないような存在であった。親の指図は良く聞いて、下の家族や田畑の面倒を厭わずに見るような真面目な育ちをしていたが、所詮は将来など無いのだろうと知っていくうちに心の奥底では倦みに倦んで、喧嘩を吹っ掛けられれば相手の顔が分からなくなるまで殴り捨て村の悪童どもには目を見るだけで逃げ去るほど恐れられるように荒んでいた。それが何の運が廻ったのか、初めて駆り出された戦場で最早さっぱりと死んでしまおうと覚悟を決めて、半ば捨て鉢となってがむしゃらに人を斬っているうち、地元では名の通った兵法家ひょうほうかに見込まれて弟子として面倒を見てもらうことになった。天稟てんぴんがあったのか、教えられて刀を振るうちに、見る見る間に兵法家ひょうほうかの教える所を会得してしまい、終にはそれが成瀬の耳に入って、食客けんかくとして迎えられるまでになっていた。そうして普段は家の者共に剣をとる術を教えることとなり、このような荒事のある時には家を護るために矢面に立つ、ある種の用心棒と働いていたが、それもそれで彼からすれば本来は行く当て度の無かった人生からすれば随分と間尺の良い顛末であり、成瀬の家に対しては恩しか感じていなかった。


「何も武器をもってない者らは下がれ。せめて何か武器になるものをとってこい。」

 手に携えた鞘から刀を抜き去りながら、基親もとちかは周囲に居る男達へと向かって命を下す。


「いや……しかし。」

 指示された男達は、それでもふでの方へと視線を向けて不安げな顔をする。三人も殺した相手を放って、一人を残すことが心配であったのだろう。


 それを基親もとちか鷹揚おうように男一人の肩を掴むと、無理やりに廊下の奥へと向かって引っ張り込む。


「武器も持たずにここに居られても邪魔なだけだ。さっさと行ってこい。それとも俺の腕が信用ならないか?」

「へ、へい。分かりました。」


 へつらった声を上げながら軽く頭を下げると、男達は我先にと音を立てて廊下を走り去る。

 そんな男共のやり取りを気にも留めず、ふではしれりとした態度で基親もとちかの方へと向かって歩き始めていた。


 基親もとちかは身を引いて適当に間合いを取ると、握っていた鞘を投げ捨てて、刀の柄を両手で握りしめながら向かってくるふでへと睨みをつけた。にじりと両足を肩幅ほどに広げて、切っ先をふでへと向けると、こくりと喉を鳴らす。対して基親もとちかへと向かって歩くふでは、だらりと刀を床に向けて垂れ下げさせている。一見して腕でも壊したかのようにも見えたが、それでいてただ無造作なだけなようでもあって、ただなんにしろ基親もとちかからすると随分と無防備なように感じられた。


 人が二人並べられる程度の狭い廊下の中、それも頭から天井までは一尺ほども間が無くて、刀を振り回すことなど到底できようもしなかったが、だからこそ先に斬りつければ確実に勝てるとも言えた。


 既に構えを終えていた基親もとちかは、ただ刀をたずさえて歩いてくるだけのように見えるふでに、少なからず侮る気持ちがないではなく、それこそ基親もとちかは、この女は恐らくは狂人の類だろうと推量していたほどであった。刀も構えずに、どこか笑みを浮かべてふらふらと歩いてくる。玄関の三人こそ斬っているようではあったが、彼らは武器を持っていなかったのであり、無理やりに襲っただけであろうと。


 ふっふっと軽く息を二つ吐くと、基親もとちかはさっさと斬り捨ててしまおうと、思い切りにふでへと向かって踏み込む。

 床が割れんばかりの低い音を響かせて身を乗り出すと、基親もとちかはそのままの勢いに刀を軽く上げ、瞬く間に手首をひるがえしてふでへと刃先を滑らせた。


 それをふではまるで刀の軌跡を遮るかのようにすっと腕を上げた。それは別に刀をかざしたというのでもなく、もし切っ先が触れれば、それだけでさぱりと斬り落とせるような余りに細い腕を持ち上げただけであった。ただ一つ奇妙な点があるとすれば、その腕に服の裾をぐるりと巻いていたことであったが、そんなものが邪魔にもならぬことを女は知らぬのかと言う心持で、基親もとちかは最早さっさと斬ってしまおうと、そのまま刀を振り下ろした。


 それが真実、ただの布であれば、そのままふでの腕はぽとりと斬れ落ちただろう。


 しかし、ふでの身に纏っていたのは細い鉄線の織り込まれた防刃の服であり、ざりっと、鈍い音を鳴らして、腕に巻いた布を一枚ほど斬ったところで、基親もとちかの刀はぴたりと止まった。



「なっ……馬鹿な!?」


 目の前で起きたことが信じられず、基親もとちかは目を見開いて驚きの声を上げる。その瞬間、ふでのもう一方の腕が基親もとちかの無防備な顔へと伸びた。固く握りしめた拳が、基親もとちかの頬へと思いきりにねじ込まれる。



「ぶぅっ……!?」


 綺麗に頭を揺らされて、眼球を掻きまわされたかの如くに視界を震わした基親もとちかは、自らの四肢に力が入らなくなるのを感じて、途端に膝からかくりと崩れ落ちる。その刹那、ふらりと倒れ込んでいく男の腹へとふでの膝が更に叩き込まれた。肋骨の下、内臓を抉るかのような勢いで、腹の肉へと思い切りに膝が減り込む。



「ぐぷぅ!?」


 基親もとちかの巨大な体が、やにわにくの字へと曲がって、その場に膝を落として屈みこんだ。


 それは丁度、基親もとちかの頭がふでの手元へと来ると言うことでもあり、途端、ふでは手を伸ばすと、乱雑に結われた基親もとちかの髪をむしりと掴んだ。


 頭を引っ張り上げられる感触に、基親もとちかは自分の髪が掴まれたことに気が付いて、すぐに振り払おうとふでの腕へと手を伸ばすが、その腕はまるで宙に固定されているかのごとくに固く、まるで解くことが出来なかった。



 髪を握りしめて、ふではすうっと僅かに身を屈めてみせると、基親もとちかの顔を覗き込んだ。

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