120.武家屋敷の惨劇三

 一体何が来たのかと、門番の男が恐怖しながら闇の中へと目をらしてみると、屋敷の方からのあかりで僅かに照らされた影が、その姿をあらわにした。


 それは一人の女であった。


 長着を羽織り、袴こそ履いてはいたが、顔の柔和さか、それとも髪の長さか、何とはなしにその門番は相手が女であることを理解していた。

 相貌そうぼうはどこかほっそりとしていながらも柔和にゅうわで、垂れ目がちな目尻には一つの黒子があり、唇は色が薄く肌の血色は悪かった。そして後ろ髪はかき上げられて後頭部で結わえられているようで、ただ幾房の前髪が長く、肩につくほどまでに垂れ下がっていた。しかし門番にとって何よりも目についたのは、その着ている物の至る所に血がべったりとまとわりついていることだった。


 突然に見知らぬ血塗ちまみれの女が現れたことに驚いて門番が狼狽ろうばいしていると、その女は狐の様に細く目を薄めてゆっくりと口を開いた。


「どうも良いお晩ですね。」


 夜の挨拶を口にしながら女は妙に妖艶ようえんな笑みを浮かべて更に体を近づけてくる。

 それは門番からしてみれば余りに奇怪な状況であり、慌てて後ずさりしながらその女へと問いを返す。


「だ、誰だ!?」

「先ほどお伝えしましたでしょう?ふでと言う者ですよ。」

「な、なにを……。」


 一瞬、門番は何を言っているのかが理解できずに、いぶかしむ表情を見せてしまうが、ふと、その声が先ほど戸口を挟んで話をしていた相手と同じであることに気が付いて、余計に狼狽ろうばいしてしまう。


 曲がりなりにもこの男は、長年武家屋敷の門番を務めてきた人間であり、それなりに荒事へと巻き込まれたこともあれば、戦乱時を生き抜いてきたこともあって、戦場へと駆り出された経験もあった。ただこのように唐突に表れた相手など初めてで、門番はにじりと後ずさりしてしまいながら、背筋に冷たいものが走るのを感じていた。


「お……お前。な、何だ。何処どこから入った!?」

「外からですよ。」


 くすくすと小さな笑い声をあげて、なんとも愉快ゆかいそうに女は肩を揺らした。その余りにも奇妙さとは似合わない屈託くったくのない笑い方に、門番はまるで相手が御伽噺おとぎばなしに聞いた妖怪の類のようではないかと喉を鳴らす。


 得体が知れず、その身なりが異常であり、そしてまるで邪気のない笑顔に、門番は心底から怖いと言う感情が湧いてしまっていた。 

 そこで、はたと門番は気が付いて、近くに置いてあった護身用の棒を手に取った。それは七、八尺程の長さがあり、不審者が入り込んだときに抑え込むために渡された物であったが、それを使う時が正に今ではないかと門番は正気な思考を取り戻したつもりで手に棒を携える。


 そうして女へと向かって棒を構えようとした時であった。

 目の前の女がやにわに一歩踏み出して、すらりと体を開いた。

 直後、閃光の如く闇夜の中へと刹那に光るものが走ったかと思うと、門番は自らの首に熱いものが通っていくの感じた。


「あぇっ……?」

 うめいて、咄嗟とっさに門番が自ら首元へと手を伸ばそうとすると、その視界は不意にくるりと回転した。天地を失ったかと考えた瞬間、見る見る間に地面が視界の端へと近づいてくる。


「なにが。」

 そう言葉にしたと思ったが、最早門番の喉からは声も漏れず、直ぐ様にその意識は暗く、淡く、途絶えていった。


* * *


 どさりと音を立てて門番の男の体が崩れ落ちた。


 その体からは既に首より上が失われ、放り出された男の頭は地面の上を転がるように落ちていき、庭園の一部をなす草原の上でぴたりと止まる。驚愕で口を開け見開いた目はまるで虚空を見つめているようにしていて、随分と間の抜けた表情を浮かべていた。

 男の体が地面へとぶつかった音に、もう一方に控えていた門番が気が付いたのか、とたとたと向こうから駆け寄ってくる音が響いてくる。


「おい、どうした。」


 まだ姿の見えない内から声を掛けてきたその男は、こちらで何が起こったのかを理解していないのだろう、無警戒なままにふでの方へと近づいてくる。

 そうして顔の見える距離にまで近づいた所まで至って、ようやく男は、はたと向かい合って立っている人間が、見知った男でないことに気が付いて、「はっ?」と頓狂とんきょうな声を上げた。


「あぅ、え?」


 続けて戸惑っているのが良く分かる様な間抜けな声を上げた男は、見知らぬふでの顔を見上げるや何とも分かりやすく目を見開き、次いできょろきょろと慌てたように周囲へと視線を向けていく。そうして、移ろわせた視線の中で、ようやく地面に頭のない体が倒れ込んでいるのを見つけては、「うひゃう!」と再び頓狂とんきょうな声を上げた。


 見つけた体は胴と頭が綺麗さっぱりと切り離され、首からはとぷとぷと弱々しく血が流れだしていると言った有様であったがために、男は途端に恐れおののいて体をふるふると震えると、酷く怯えたままにふでの方へと視線を向ける。

 そうして、ふでが刀を携えていることに気が付いて更にびくりと体を大きく震わせた。


「ひぃっ――。」

 情けなくも男はその場で腰を抜かしてしまい、その場にへたりと座り込んだ。


「おや、まあ。見てしまいましたか。致し方のないお方ですねえ。気が付かなければ良かったものを。」

 にいっと笑みを浮かべて、ふでが一歩体を近づけると、男はかたかたと歯の根の合わぬ音を響かせながら悲鳴を上げる。


「ひいいいぃぃぃぃぃぃっ!!」

 それはまるで絹地を引き裂いたかのような甲高く、暗闇の中へと大きく響き渡った。


 途端と、にわかに先ほどまで静やかであった屋敷の方が騒がしくなり、人の歩き回る音やら何やら話をしているらしき声が聞こえ始めてくるようになっておやっと、ふでは屋敷の方へと顔を振り向かせる。



「あれ、屋敷の方々にも気づかれてしまいましたか。」

 しれりとした口調でそう言いながら、男の方を一瞥にもせず、その体へと向かって刀を突きたてた。ずぷりと言う音がして、男の胸元に刀の切っ先が沈み込むと、そのままするすると刀身が体の中へと滑り込んでいく。



「ひっ――ぐぷ……。」


 か細く悲鳴を上げ続けていた男は刺された瞬間に体をびくりと震わせたかと思うと、吐き出しそうに何かを口の中へと溜めて、そうして、どぷりと地面へと向かって赤くどす黒い血反吐ちへどあふれださせた。


 それでようやく、男の上げていた悲鳴は途絶えて、闇夜の中に静寂さが戻ってくる。それでも屋敷の方では悲鳴の途絶えたことに一層と慌ただしさを増して、板の間を走り渡る足音が聞こえてくる。



「まあ、どちらにしろ、この屋敷の方々も叩き切ってしまうつもりでございましたから、知れようが知れまいがどちらにしろ良いのですがね。」


 屋敷の方を眺めていたふでがそう言いながら刀を思い切りに引き抜くと、男はびくりと体を震わせて、その場に音を立てて崩れ落ちた。


 門から屋敷まで続く道の上で男は細かく震えて目に涙をあふれさせながら、苦悶の表情で喉を掻きむしらせる。


 そうして細く開いた胸の穴からは勢いよく血が流れだして、門から屋敷まで続く道の上に仄暗ほのぐらく赤い血溜まりを作っていった。


 その血溜まりが男の頬へと触れるようになるほどに広がったころ、藻掻もがいていた体が動かなくなり、そうして喉を掻きむしっていた腕がだらりと垂れるや、指先が血反吐ちへどへと落ちて真っ赤な飛沫しぶきを飛び散らせた。



 刀を一度二度強く振って刃先にまとわりついた血糊ちのりを払うと、ふでは屋敷の入り口の方へと向かう。


 篝火かがりびにより照らされた玄関は、闇夜に包まれた門からでも一目に状況が目について、戸は閉じたままに誰もだ外には出てきていないようであった。


 今のうちにとふでは庭園の木々の陰を伝いながら玄関の前にまでするりと近づいた。

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