119.武家屋敷の惨劇二

 急いで駆けてはきたが、剣華けんか組と斬り合った時分じぶんからしてみれば、傷を縫っていたのも含めて随分と時が経ってしまっていて、桔梗ききょうの身が無事であるかが心配であった。早くしなくてはとく思いで、ふでは門の脇にある戸口へと近づいて、その戸板に手を当てる。くっと手を引くと拳の底で、がんっと思い切りに戸の板を叩いた。そのまま、続けて戸を叩いていると、何度目かの叩いた拍子に、向こう側から男の声が響いてきた。


「おい、やめろ。こんな夜更けに何の用だ。」

「ここの家主に急ぎの御用があるのですが、入れていただけませんでしょうか?」

「ああん?どこのどいつだ?」

「先日、この屋敷へ訪れさせていただきましたふでと言う者なのですが。」


 言うや、戸を隔てても分かる様なほど、向こうの男が大きく鼻を鳴らして笑うのが分かった。


「知らんな。明るくなってから来い。」

 余りにも不躾ぶしつけな態度に、一瞬、ふではムッとするものの、考えてみれば以前訪れた時に門番に名乗った覚えもなかったかと思い出す。ふむっとふでは一息考えこむ。正味な話、彼女にとってあの家老に真っ当に取り次いで貰う必要はなかった。極端な話で言うなら、門を開けてさえ貰えれば、ふでからすれば後は力技でどうとでもしようはあった。


「顔を見てくだされば思い出すのではありませんか?」

「とかく言うな。なんにしろこんな夜更けに取次とりつぎなど出来ん。用があるならば明日来い。」


 軽くでも門を開けさせるつもりで言うたが、取り付く島もなく、何ともつっけんどんに返されるものでふでは多少なりに苛々としてしまう。


「そうですか……。それならそれで結構でございます。私を取り次いでいただく必要はありません。ただそれは良いにしても、私の旅の連れは返していただきたい。ここを訪れてから宿へ帰ってきていないのですが、こんな夜更けだと言うのでしたら、そろそろ連れを返してはくれませんかねえ。」


 つらつらとふでが言いたてまつると、戸の向こう側で「ああん?」と訝しむような声が上がった。

 本当のところ、宿に帰っているかなどとは確認していないが、どうせここに居るだろうとふでは確信のようなものがあった。万一、宿に無事帰っているのであれば、むしろそれならそれで良かった。彼女が危険に晒されるなどと言うこともなく、裏切られたことへの応報が済ませられるのならば、むしろその方が良いとも言える。


 僅かに間があった。

 その静寂は深夜であるがために一層に静やかに感じられて、そのせいか、言葉に詰まったのだろう男の刹那の身じろぎすらも衣擦れの音で悟ることが出来た。

 ふではそこで桔梗ききょうがここに連れ込まれているのだろう確信を一層に強くする。


「何の話だ?今日は客人など、この家には入ってきておらんが。」

 白々しく男は言葉を返してきたが、狼狽うろたえているのか、その声はどこか端々に震えを感じさせる。


「いやはや、おかしうございますね。確かにこの家に訪れたはずなのですが。」

「……何と言おうが、来ておらんものは来ておらん。」

「はてさて。また奇怪なことですねえ。桔梗ききょうと言う女なのですが、本当にお知りになりませんか?」


 桔梗ききょうと言う名を告げた途端、戸の向こうで息を飲んだのが伝わってくる。


「……し、知らん。そんな者は来てもおらん。」

 多少言葉を惑わせながらも、白を切りつづける男の態度に、ふではふむと顎を撫ぜる。このまま問答を続けても、戸を開けさせるのは時間がかかるであろう。そうであるならば、もはや別の手段を講じた方がましかもしれぬと思い始めていた。


「どうあっても入れては貰えませんのでしょうか?」

「当たり前だ。誰とも知れぬ奴が何度言おうと変わらん。帰れ。」

「左様ですか。それでは仕方ありませんね。」


 辟易へきえきとして言って門から離れると、ふでは左手へと視線を向ける。そこには長く、ほど遠く、何軒分も向こうまで続くへいがあった。


 門を開けてもらえぬならば仕方なく、なれば別の場所から入るだけだと、ふでは門の近くのへいを見上げていく。漆喰づくりの壁面は滑らかで指を掛けられそうなところもなく、高さも人の背丈二つ分はあろうかと言う程に見える。大凡に十尺少々。言うて武家の屋敷であり、有力者の住む所と言うこともあって、生半に侵入できるようには作られていようはずもなかったが、それでもふでは構わずに手を伸ばし壁面へと触れると、さらりと撫でてへいの上端である瓦部分を見つめる。


「ふむ……まあ、行けましょうかね。」


 見上げながら一つ二つ頷くと、腰に差していた二本の刀の内から一本を括っていた紐を解いて、さやごとに抜き取った。

 それは黒鉄くろがねから奪い取った刀であり、ふでからしてみれば余分な一本でもあった。


 さやの先端を使って、へいの間際の地面を僅かに掘りこむと、出来た穴へとむかって刀を差し入れて、そのまま壁へと立て掛ける。そうしてきびすを返すと、十歩ほどへいから遠ざかって、その上端へと視線を向ける。

 やにわにふでは走り出すと、軽く助走をつけて立てかけていた刀へと向かって跳びかかった。


「ふっ!」


 地面から跳び上がって、壁へと向かって体を浮かしたふでは、そのままの勢いで刀の柄を踏みしめ、更に高く跳び上がった。


 ふっと体浮くやふでは思い切りに上へと向かって腕を伸ばし、塀の屋根に備えられた瓦の端を掴んだ。そのままふでは指先へと満身の力を籠めると、みしっと瓦が割れんばかりの音を立てながら、その端を握りしめて体を引き上げていく。


 腹の傷が痛むのを感じつつも、ふではぎりぎりと腕の筋肉を引き絞っていく。


 半ばほどまで腕が曲げるほどに体を引き上げたところで、ふでは壁を蹴り飛ばして勢いをつけると、振り子のように左右へと揺れて、足を蹴り上げて屋根の上へと爪先を引っかけた。足を掛けてしまえば後はよじ登るだけであった。腕と足の力を籠めて、へいの上へと体を引き上げる。


 へいの屋根へと上がってしまうと、そのままふでは庭の方へと視線を向ける。


 庭園の殆どはひっそりと薄暗く、生えている木々の外形が僅かに分かる程度でしかなかったが、屋敷の方へと視線を向けてみると、妙に煌々と明るいだ一角があるのが見えた。


 どうやら玄関の近くで篝火かがりびいているようで、パチパチとした音と共に渦巻くような小さな炎が闇夜の中に火花を舞い上がらせていた。


 そうして今度はへいを伝って門の内側へと視線を向けてみると、闇夜の中で佇む二人の男が居るのが見えた。二人の位置は門の両脇を固めるようにして離れていて、近い方の一人は戸口のあたりに立っていた。それが恐らくは先ほどの問答した男であろう。



 粗方にへいの中に何があるかと言う物の位置を確かめると、ふでは覚悟を決めるように一つ息を飲みこんで庭の中へと飛び込んだ。



* * *



 不意と、闇夜の中に、どすんっと地面に何か大きなものが落ちたような音が響いた。


 何をやと門の近くに立っていた門番の一人が、音のした方へと顔を向けてみると、暗い闇の中に一塊の影がうずくまっているのが見える。


 その影は直ぐにぬうっと立ち上がると、するりと音もたてずに近づいてくるようであった。

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