118.滴る血三 - 武家屋敷の惨劇一
「
「最近は人助けなどもしておりましたからねえ。」
軽口を叩きながらも
「憎まれっ子世に憚るともいうがな。」
半ば呆れたとでも言うような口調で言いながら、男は医療道具の入った箱の中へと手を伸ばすと、その中から糸の垂れ下がる針を一つ取り出した。
「
「どうぞ。」
さぱりと言った
覚悟するように
柔く白い肌にぷつりと針先が沈み込み、じわりと赤い血が
「ぐっ……!」
僅かに
それも構わずに男が指先に力を籠めると、柔く真白い肌の奥深くへと針が入り込み、そのまま肌の中を突き進んで傷口の谷間から針先が跳びだした。そうして、そのまま裂けた傷で隔てられた向かいの肌へと再び針が突き立てられる。
二つの肌に糸が渡らせられ、男がぐっと針を引っ張ると、傷の一部が閉じていく。
それを
「閉じたぞ。」
玉止めにして肌から飛び出した糸をぱちんと
途端、床にくたりと横たわった
その衝撃だけで
「ぐっ……痛うございますが……。」
「お前に斬られた奴らは、痛いどころではなかったろうよ。」
「そりゃ、そうでございますがね。」
苦言めいて発した
「それで、どうする?」
男の言葉に
「どうするとは、どういうことです?」
「そんな体じゃ動けもしまい。寝ていくか?今お前が横になっている床の部分だけなら、一晩ぐらい貸してやっても良い。」
そう男が言ったのを、
「いりませんよ。急ぎで行かねばならぬ所がありますのでね。」
「その体で動いても、すぐに傷口が開いて動けなくなるぞ。」
「私といたしましてはね。今日一晩動ければそれで良いのですよ。傷口が開いた時には……まあ、明日改めて頼みに参ります故に。」
「緊急じゃないんだったら、他の奴に頼め。俺はもう
「それは……そうですね。まあ、考えておきましょう。」
「頼むからそうしてくれ。しかし、大体だな、そんな体で向かおうなんて何の用なんだ?」
微かに
「……何と言いますか。旅の連れ合いが危険でしてね。」
「旅の連れ?そんな者のために命を張ろうっていうのか?やめとけやめとけ。お前の
呆れたように言う男の言葉に、「そうなんですがね」と
「後は……そうですね。実は依頼人が私を裏切りましてねえ。」
「それはまたなんとも。いやはや、度胸のある人間がいたもんだな。そうかい、なるほどなるほど。そりゃ仕方ないな。」
小さく言葉を区切って、男は笑いを止めると、改まるように次の言葉を続ける。
「裏切者には報復しなくてはな。」
そう言った男に、
「ええ、それは絶対ですからね。」
「ああ、それは絶対だ。」
くすくすと
「ああ、そうです。」
と、立ち止まって男へと向かって踵を返した。
箱を片付けようとしていた手を止めて男は
「なんだ?まだ何か用か?」
「いえね。何か食べられるものがあったらいただけませんでしょうか?何分、血が足りませんので。」
そう問われて男は少し額をかくと、近くにあった
飛んできた塊を片手で受け取ると、
「まさかとは思いますが、人の肉ではありませんよね。」
「人の肉を置いてるように見えるか?」
「貴方様でしたら、怪我人から切り取った肉ぐらい置いていても不思議ではありませんからね。それで、どうなのです?」
「治療費代わりに貰った馬の肉だよ。これから焼いて食おうかと思っていたところだ。」
「そうでございますか。」
軽く頷いて、
「まあまあ食べれるものですね。有り難く頂いておきます。」
そう言って、もう一口噛み切りながら、
外に一歩踏み出して空を眺めてみると、もうすでに雨は止んでいるようだったが、その代わりにとっぷりと暗くなり、夕影も月影も一切見えず真っ黒な雲が延々と辺り一面を覆い尽くしていた。空気は湿り気を帯びたままで、どこか
少し休んだ
* * *
二十六
往来へと漏れ光る屋内の明かりも殆ど無くっていき、すっかりと燈火のなくなった夜の街を走り抜け、
暗くはあったが、雨の上がった空からは、一面を覆っていた雲が風に流されて、僅かにできた隙間から仄かに紫へ色づいた星々と月の端が覗き込み、斜光が
一度訪れきりの記憶と当て推量の方角を頼りに走ったせいで、少々迷ってしまいながらも、それでも
往来を作るために仕立てられた壁かの如くに長い塀が周囲に
ただ訪れて改めて見る成瀬家の大きな門は
門の前で
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