113.驟雨の乱闘五

「っ……!」

 忌々し気に舌打ちを鳴らしたふでは、瞬時に反応して、刀を振り上げようとするが、そのひまも与えずに黒鉄くろがねが刀身を迫らせた。


「鈍いなっ。」

 刀の切っ先を地面に擦りつけるように低く滑らせて一気に近づいてきた黒鉄くろがねは、ここを機とでも言わんような声を上げて、思い切りに斬り上げる。左手を支点として弧を描いて斬り上がった刃先は、降りしきる雨を弾き飛ばし、僅かに刀身の波紋が薄暗い雲間の明かりを受けてにぶきらめきながら、またたひまもなくふでの鼻先へと向かって勢いよく滑り込んでいく。


「しぃっ……!」

 咄嗟にふでが身を引くや、斬り上がった切っ先は鼻先の皮に掠めるかの如き寸先を通り過ぎていった。


 引いた後ろ脚を踏み込ませて体勢を立て直すと、そのまま、刀を振り切って態勢を崩した黒鉄くろがねへと反撃せんと、ふでは前のめりに重心を傾けかける。

 その瞬間、ふではぞくりと全身の毛が神経のように反応したのを感じて、慌てて思い切りに体を仰け反らせた。


 途端、鼻筋の直ぐ手前を、刀の切っ先が文字通り真一文字に空を斬って通りぬけていった。


「ひぅっ……。」

 思わず、ふでは喉から息を飲む音を鳴らしてしまう。


 切っ先が顔先をすり抜けると、追うようにして風を切る音が鳴り、そうして僅かにふでの髪先が切り落とされ、鼻の筋が僅かに裂けてすうっと赤く血が滲んだ。

 ふでがちらりと向けた視線の先には、横薙ぎに刀を思い切り振り切った石動いするぎの姿があった。


「ぐっ。」

 思わずふでが唸ったのは、ただ肌が切れたからではなかった。

 石動いするぎが刀を振り終えたのと合わせるように、先ほどまで体勢を崩していた黒鉄くろがねが次の攻撃へと移ろうとしているのが視界の端に見えてしまったからだった。


おう!」

 黒鉄くろがねが力強く足を一歩踏み込ませると、その衝撃を全身を伝わせて腕を振るう勢いに乗せたかの如くに、鋭く刀身が滑ってふでの胴へと目掛けて向かってくる。


 慌ててふでが自らの刀を相手の太刀筋に滑り込ませると、敵の振るった刀の切っ先が刀身へとぶつかった。がぎいぃんっと周囲に鈍く金属の擦れあった音が響いて、その衝撃に押し出されるようにしてふでは体勢崩し、ふらつきながら咄嗟に地面へと足を踏みつけさせていた。


「ちぃぃぃぃっっ!!」

 僅かにふでが唸った時には、視界のが眼前に刀を振り上げた石動いするぎの姿が現れて、舞い上がる長い髪の毛の向こうから刀身が顔へと向かって滑り込んできていた。奥歯をぎりっと鳴らしながら、ふではもんどりを打って、慌てて身を屈め、その勢いで倒れ込むと、雨に濡れて湿り切った地面へと転がっていく。


 転んだ拍子、ふでの脇腹に鋭く肌が裂けるように痛みが走った。

 陣伍に刺された傷は深く、そして動くたびにその傷を広げて、少しずつながら確実にふでの体から血を流れださせていた。


 片手で右の脇腹を抑えながら、慌てて立ち上がると、黒鉄くろがね石動いするぎはにじりと慎重に距離を詰めてくる。慌てずに無闇と突っ込んでこずに、じっくりと間を詰めてくる。石動いするぎの戦い方は知らないが、黒鉄くろがねは街で斬り合った時とは打って変わって慎重な戦い方をしているように思えた。それがふでにとってみれば姑息な意味で助かるとは思いつつ、一方で隙が見当たらず苦々しくも感じてしまう。


 浅く息を切らしつつも、腹の傷口から手を離して改めてふでは刀を構え直した。

 迫り来ている二人から少しだけ視線を外して、周りへと目をやってみると、周りの隊員は刀こそ構えているものの、こちらへと手を出してくる様子はなく、むしろ周囲に大きく広がっていっているように見えた。恐らくは黒鉄くろがね石動いするぎに攻めるのを任せて、他の隊員は逃げないように囲っていくつもりなのだろうとふでは当て推量がつける。


 先ほどの寺でたむろしていた連中と比べれば、一人一人の腕が立つようであったし、一々が連携が出来ていて何とも厄介であった。何よりも、黒鉄くろがね石動いするぎは、話し時には二人ともまるで正反対のような人となりであったのに、こうして斬り合いとなってみれば随分と息のあった動きを見せてくるのが意外であり、またふでにとっては苦しいところであった。


「おい、よそ見してんなよ。」

 そんな風に周囲に意識をやっているのを目ざとく見咎めたのか、すぐに黒鉄くろがねが隙をつくようにして踏み込んできて、素早く刀を滑らせてくる。上空に向かって伸びた刀が一瞬で真っすぐに振り下ろされるのを、咄嗟にふでが半身を開いて躱そうとすると、それを追うようにして石動いするぎが跳びだしてきて思い切りに刀を横薙がせる。


「覚悟!」

「ちっっ!」


 慌ててふでは膝ごとに身を屈ませて、迫りくる斬撃を掻い潜る。降り荒ぶ雨が一瞬途切れたかのように感じた直後、石動いするぎの刀は弾けるような勢いで頭の真上を過っていった。しゃがみこんで曲げた足に力を込めて、そのまま後ろへと跳ね飛んで距離をとろうとすると、それも許さぬように、すぐ様に黒鉄くろがねが追いすがってきた。

 刀を構えたままふでは更に体を後ずらせようとして、そして、不意と、ふでの足が止まった。


 ざりっと地面の上を滑らした足の一部が、僅かに宙へと浮いているような感触に、微かにふでは足元へと視線を向ける。ふでが後ずらせた足の先にあったのは崖であった。切り立った、と言うほどに険しくはなかったが、その傾斜は殆ど落ちるに等しい角度であり、下に生えているらしき木々の枝葉の細かさが分からぬほどの高さがあった。


 それで思わず足を止めると、剣華けんか組の面子も、その状況に気が付いたのか、追いの手を緩める。


「もうこれで逃げられねえぞ。」

 慎重に、目を切らさぬようふでを睨み付けながら、黒鉄くろがねはそれでもどこか優位を感じたような口ぶりで、そう言った。その言葉に応じるように、他の隊員たちも薄く広く陣形を構え、崖からの行く手の全てを塞いでいく。


「私は逃げていたつもりなどないのですがねえ。」


 追い詰められたように見えながら、それでもくくっと軽く笑ってふでが首を振るうと、黒鉄くろがねは「そうかよ」と小さく笑みを返した。その笑みに、ふでは嫌なものを感じなかった。奇妙な物だが、ふでにはその時なぜ黒鉄くろがねが笑ったのか分かるような気がしたからだった。勘違いかもしれないが、少なくともそれは嘲りや侮りの笑みではなく、ただ気の合う者同士がつられて笑うだけのような、そんな軽い笑みにふでには感じられた。



「ええ、そうですとも。」

 ふっとふでが笑みを斬ると、応じて黒鉄くろがねも笑みを切り、目を細めて刀を構え直す。


 そうして、にじりと黒鉄くろがねは足を踏みしめると、ふうっと一つ息を吐き、そして、跳ねるようにしてふでへと勢いよく斬りかかってきた。ひゅうっと、空気を斬り裂き、蛇蝎の如くにうねった軌道を描きながら、ふでへと向かって切っ先が迫る。崖を間際にして避けることも出来ず、向かい来る剣先をふではそのまま刀で受け止めると、手首を返してぎいんと音を鳴らしながら刃先を擦らせ刀身を逸らした。



 眼前で、切っ先が跳ね上がり、そのままふでの目の前で弧を描いた刀身が止まってギリギリと震える。


 二人は刀のしのぎを擦れ合わせて、金属の擦れあう音を周囲へと響かせた。


 ギリギリとつばを競り合わせながら、黒鉄くろがねはより一層に体を近づけて、じいっと眼前のふでの顔を睨み付ける。



「もう、諦めろ。てめえにはもう、打つ手はないだろ。」


 黒鉄くろがねがそう言うと、ふでは刀を握りながら眉を顰めた。


 柄を握る手に万力を籠めて全身を震わせながら、黒鉄くろがねの瞳を覗き返す。

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