112.驟雨の乱闘四

 黒鉄くろがねに強く問われながら、それでもと結城ゆうきは胸元を握りしめ、ふでへとその幼げな視線を向けた。


ふでさん……大人しく私たちに捕まってもらえませんか?折角、お知り合いになれたのに……。あんな、一緒に楽しくお話出来たのに……。」

 どこか泣きそうな表情で言う結城ゆうきの言葉に、仕方のなさそうにふでは眉尻を下げながらも、くすくすとおかしそうに微笑んだ。


結城ゆうきさん。それは無理なご相談と言うものですよ。」

「だって、ここで斬り合ったってふでさん死ぬだけですよ。」

「大人しく捕まったって、どうせ死ぬだけでしょう?」

「そんなことは……。」


 言葉に詰まって結城ゆうきが視線をまどわらせると、それをとしたのか、黒鉄くろがねが一歩踏み出して二人視線の狭間に立ちふさがった。


「局長、もうこうなっちまったら、どうしようもねえよ。」

 溜息を一つ払いながら、黒鉄くろがねは腰に携えていた刀のつかを握りしめると、そのまま金属の擦れる音を鳴らして刀身を抜いた。合わせるようにして、その傍らで石動いするぎも打刀を抜いていく。


「局長はお下がりください。」

「ですが、石動いするぎさん……。」


 どこかせがむ様に結城ゆうきは顔を見上げるが、それに対して石動いするぎはにべもなく首を振るって見せる。


「お諦めください。相手が刀を抜いている以上、躊躇ためらうのは危険です。」

 口調だけはさとすような優しさがありながらも、明確に否定されて、結城ゆうきは無念そうに目を伏せながら拳を握り締める。僅かに口をつぐませた後、ようやく結城ゆうきは目を見開いて覚悟を決めたのか顔を上げた。


「分かりました。死なせてしまっても仕方ありません……が、でも、なるべく取り押さえてください。何か事情があるかもしれませんから、それを聴いておきたいです。」


「そりゃなんとも。無茶を言う。」

 苦笑いをしながら、それでもどこか嬉しそうに言って黒鉄くろがねは刀を構える。


「こういう、お優しいところが局長の良いところです。」

 糸のような細い目を一層に細ませて顔を笑ませる石動いするぎのその言葉に、黒鉄くろがねも反論はしなかった。


 二人に応じるようにして、周囲にいた隊員たちも銘銘めいめいに刀を抜いていく。幾刃もの刀が揺らめいて、薄暗く雲間から僅かに漏れる明かりに細長い刀身が煌めく様は一種の異様な華やかさが感じられるとともに、同時に冷ややかな恐ろしさも感じさせた。


 ぽつぽつっと降り始めていた雨が、隊士達の刀身へとぶつかるや、小さな滴が白い波紋の上に細やかな粒となって纏わりついていく。そうして、次第と降り注ぐ雨粒は勢いを増して本格的なものへと変わりゆき、その曇天の下にいる者たちの肩をしっとりと濡らし始めていた。


 遠く山の間際に漂う雲の狭間に瞬きの如くに閃光が走ったかと思うと、僅かばかり間をおいて雷鳴がと轟いた。周囲一帯は土砂降りの雨模様へと移ろい行く間際にあった。


* * *


 剣華けんか組の隊士達が刀を抜いたことに一番驚いていたのは、それを遠くの建物の陰から眺めていた桔梗ききょうだった。


 唐突に現れた剣華けんか組の面々が、なにやらふでと話し合っていたかと思うと、その全員が刀を抜いて何とも殺気立った雰囲気を漂わせ始めていた。対するふでふでで、いつものような飄々ひょうひょうとした表情を見せているが、剣華けんか組へと相向かって自らの刀をすらりと抜くや、その長い刀身を隊士達へと差し向けてしまっている。一体何をどうやって話がもつれてしまったのか、声の届いてこない場所にいた桔梗ききょうからは全く理解できなかったが、それでも彼らが戦うのだと決めたことは明らかであった。


「なんで……そんな……わざわざ剣華けんか組と……。」

 うめくように桔梗ききょうは声を漏らした。


 彼らが何を話したのかは桔梗ききょうからすれば全く分からなかった。それでも桔梗ききょうには一種の確信めいたものがあった。恐らくはふでが何か言ったのだろうと。そうでなければ、この場でいきなり切り合うなどと言うことをするはずがない。それはふでへと感じていた妙な信頼でもあり、諦めでもあり、そしてまず間違いないと言う確信であった。



「怪我してるっていうのに……。」


 遠目ではあったが、陣伍じんごの刀の切っ先がふでの腹部へと突き刺さったのは、桔梗ききょうにもかろうじて見えていた。深手なのかはそれとも傷は浅いのか、そこまでは分からなかったが、少なくとも彼女の所作には痛みを感じるような仕草が見られて、その体は平常ではないだろうと桔梗ききょうにも分かるほどであった。そんな状態で剣華けんか組の数十人とまで戦うことになれば、ふでであっても生き残れるはずはないだろう。


 そう思った途端、桔梗ききょうはその場に居ても立ってもいられなくなって、やにわに振り返って街の方へと駆け出していた。

 本来なら、ふでがどうなろうと桔梗ききょうにとってみれば関係のないことかもしれなかった。


 物心の付いた時から、命じられることをこなして生きて来ただけの桔梗ききょうにとってはふでが死のうが死ぬまいが、陣伍じんごが死んだ時点で最早何も問題の無いことであるとも言えた。ただそれでも、桔梗ききょうはそんなことをつゆとも頭に過らせることもなく、突発的に足を駆けらせてしまっていた。彼女の頭の中には、ふでから寺に向かう前に告げられた「危なくなった時に助けでも呼んでください」と言う言葉のみが反芻していて、ただひたすらと助けを呼ぶことしか考えられなくなっていた。


 勢い良く降りだした雨の水気を吸って、ぐずぐずになった砂利じゃり道を力強く踏みしめながら、桔梗ききょうは街へと向かって跳ねるように足を駆けさせていく。今この状況で、桔梗ききょうにとって頼れる人間などと一人しかいなかった。彼女に対して陣伍じんごの討伐を命じた成瀬だけ。依頼主の彼ならばふでを助けようとしてくれるかもしれぬし、彼の権力があれば剣華けんか組を説得してくれるやも知れぬ。


 そう考えて、曇天どんてん夕闇ゆうやみとで酷く暗くなった道を、水を高く跳ねさせながら桔梗ききょうは思い切りに走り抜けていた。


* * *


 桔梗ききょうが成瀬の屋敷へと向かって駆けだした頃、寺の境内では、ふでが自らへと向かって殺気立った雰囲気を漂わせている剣華けんか組の面々を睨みつけながら、僅かに雲った表情を浮かべていた。


 徐々に、ふでは自らの体が重くなっていくのを感じていた。


 指先の細かな感覚が薄れていき、全身が妙に気怠く、呼吸をするのもどこか億劫にすら感じられてしまう。それは腹部に負った傷から血が流れ出てしまっているのが原因なのか、それとも勢いを増して体に打ちつけてくる雨に体温を奪われているのが原因なのか。恐らくはその両方共だろうと感じながら、ふでは感覚の乏しい指先で刀の柄を握りしめた。


 ふでの額から鼻筋にかけて、雨ではない滴が一つ粒となって流れ落ちていった。


 握りしめていた刀の先が何故だか次第と重く感じられ、どこか指が滑るような気がしてふでが刀の握りを直そうと肩を揺らすと、その刹那、僅かな間隙を狙って、黒鉄くろがねが足を踏みしめると跳ねるように身を踊り出させて、一気に二人の間を詰めた。

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