111.驟雨の乱闘三

「なんで、てめえがそんなことを知ってやがる……。」

「やはりそうですか。」


 黒鉄くろがねに聞こえるでもないような小さな声で呟いたふでは、不満げな表情で掌を首筋に当て、その細く血に塗れた指先を、蕁麻疹じんましんくかのごとくに苛立たしそうに肌へとこすりつけていた。


 恐らく、と言うよりは先ず間違いなく、剣華けんか組にここで斬り合って居るなどと情報を持ち込んだのは、成瀬家で案内役を務めていた家令かれいだろうと、ふでは心の中で一人得心とくしんしていた。印象は薄かったが、家の門から成瀬の所まで案内し、腕試しの時には虎丸とらまるとやらを連れてきた家令かれいが、丸い眼鏡をしていて更に端正たんせいな口元に大きな黒子のあったことを何とはなしに覚えている。


 なぜ成瀬の家令かれい剣華けんか組に、この斬り合いを知らせに行ったのか。偶然に見かけたにしても、斬り合いを始めてから知らせに行って、それから黒鉄くろがね達がここまで来たというのには時間が早すぎる。


 察するに、今起きている事の次第は、この寺に来る前から仕組まれていたのだろう。

 ふで唐傘からかさ陣伍じんご今際いまわに伝えてきた言葉を思い出していた。

 たしか、藩の転覆を狙っているだとかなんとか言うていた。


 仮にそんな陰謀を本当に企んでいたのならば、証拠を全て消すために、殺しを依頼した相手まで消そうとすることぐらいはやるであろう。桔梗ききょうの足取りでも追って付け回し、唐傘からかさ陣伍じんご達の居場所を知って、ふでが共にここで斬り合っているのを見計らってから、剣華けんか組を乗り込ませる。そう言う算段であろう。


 刹那、ふでの口の奥からぎりっと歯を噛みしめる音が響き、まるで絵巻物の妖狐のごとくにその目が細く歪に曲がった。


 その身をゆるりと傾けたかと思うと、途端、全身の毛が逆立つほどに殺気を溢れさせ、その勢いで周囲の塵芥ちりあくたが微かに舞い立って、ちちちちっと微かなかすれる音を鳴らす。


「ひぃっ……。」

 居並ぶ剣華けんか組の隊員の一人が思わず悲鳴のような声を上げた。


 それを黒鉄くろがねは背中越しにで聞きながら、ちぃっと舌打ちを鳴らす。

 何を情けない声を、と言いたい気持ちはあったが、そんな悲鳴を上げる気持ちも分からないではなかった。そう感じるほどに、目の前の女は異様で禍々まがまがしく見えた。それも、先ほどまで、何とものんびりとした雰囲気を漂わせていた一人の女が、だった。その変わりように、黒鉄くろがねもどこか緊張して喉を鳴らさずにはいられなかった。


 ただ、次の瞬間、不意と、ふではまるでしぼむかのような勢いで、その体から力を抜かしたかと思うと、はあああっと、長くふでは息を払い、何とも渋く顔をしぼめさせていた。


「あのご老人、本当に食えませんねえ……。」


 そう言って、先の一瞬からは想像も出来ないほどの、なんとも気の抜けた雰囲気でふでひとちていた。

 その大仰な溜息に黒鉄くろがねは、多少の肩を透かされた感を覚えながらも、心持ち安堵しつつふでへと向かって口を開いた。


「疲れているところ悪いが。大人しく屯所とんしょまでついてきてもらえると俺らとしては嬉しいんだがな。」

「私を取り調べでもしようっていうんですか?」

「何を。これだけ人を斬ってるんだ、調べるだけで済むと思うか?殺しの下手人としてここで斬り殺されたって、てめえは文句も言えねえ状況だ。」


 周囲に転がる死体を見渡しながら、黒鉄くろがねは吐き捨てるように言った。そこには、先日の蕎麦屋で見かけたような親しさは欠片もなく、ただただ侮蔑ぶべつする響きがあった。


「そりゃあ、まあ、そうですがねえ。」

 黒鉄くろがねの言葉に否定するでもなく、むしろ理解するかのごとくに言ったふでは、そう言いながらも体にまとわせていた緊張感を更に張り詰めさせていく。


 ふでからとってみれば黒鉄くろがね達の言い分に素直に従う理由などなかった。仮に大人しくついていったとしても、成瀬が手を回し偽りの証言者でも出てきて、有ること無いことがでっち上げられて重罪人にでも仕立て上げられるのだろうと容易に想像がつく。それどころか何ぞ藩の転覆を計ったことを濡れ衣として押し付けられても不思議ではない。


 そして、ふでには自らのことよりも、よっぽどに気がかりなことがあった。


 こんな回りくどいことをして、剣華けんか組と相対するような謀計ぼうけいを企むと言うことは、少なくとも自分だけではなく事情を知っている人間、その全て消す算段だと考えられ、ともすれば、事情を知りながら成瀬の悪意を知りもしない、桔梗ききょうの身が何よりも危うい。そう感じて、ふでは心配になって彼女が隠れているはずの建物の方へちらちらと落ち着かずに何度も視線を向けてしまう。ただ、桔梗ききょうもしかりと身を隠しているのか、その姿は服のすそほどにも見えることは無くて、それが余計にふでの心配を過剰なものにさせていく。


「どうした?さっきからそっちを見てるが、誰かいるのか?」

「貴方様がたには関係のないことですよ。」


 言葉の最後でたんの絡みそうになったふでは、んっと不快げに喉を鳴らして、そうして首を振るった。

 今こうやって黒鉄くろがねと問答をしている時間も、最早ただただ、はっきりと言えばまだるこしっかった。

 桔梗ききょうの身を守るために、捕まって不自由になるのも、そしてここで長々と話しているのも、邪魔でしかなかった。


行くしかない――

 ふではちらりと黒鉄くろがねへと視線を戻し、その髪の妙に荒くれっていて、そしていかにも精悍なその顔を見つめながら目を細めた。


「先ほどの問いですがね。貴方様がたの屯所とんしょまでついていくっていう……。」

「来るのか?」


 黒鉄くろがねの問いに、小さく口元を上げて、そうして軽く首を振るう。


「折角の色男様のお誘いですからねえ、お受けしたい気持ちはありますが……ですが、私がどう応えるか等と、貴方様も分かっているでしょう?」

「さあな。他人の気持ちなんざ分からんし。てめえのことは特に分からん。」

「そうですか。じゃあ、言っておきますがね私は行きやしませんよ。このまま帰らせていただきます。」


 どこかさぱりとした口調で言ったふでは、腰に差していた刀の柄へと手を掛ける。



ふでさん!やめてください!」

 途端、黒鉄くろがねの後ろに控えていた結城ゆうきが身を乗り出して叫んだ。


 更に、もう一歩足を踏み出そうとした結城ゆうきの目の前に、すうっと石動いするぎが手を伸ばして、押し留めるように動きをさえぎる。石動いするぎは何も口に出さないが、その意図は分かりやすく、それ以上結城ゆうきを前に進まぬようにと言うようであった。


 それでも結城ゆうき躊躇ためらいもせずに、手を押しのけて身を乗り出す。



「ふ、ふでさん……。」


 僅かに言い淀んだ結城ゆうきの言葉にふでは軽く首を振ると、軽く溜息を漏らした。



「折角のお引き留めですがね。旅の連れが心配でして、私には貴方様がたのご用件に悠長ゆうちょうに縛られている暇はないのですよ。」


 未練もなくさぱりと言いきると、ふではしゃらりと鞘と刃先の擦れる音を鳴らしながら刀を抜いた。

 その手応えには何も引っかかるものがなく、先ほどまでさんざ斬りつくして血と脂に塗れていたとは感じさせない綺麗な音色であった。

 刀身も歪まず、切れ味も保っているだろう、その感触にふでは手にしていた刀の造りの良さを感じていた。


 ふでが刀を抜くと、黒鉄くろがねはぽりぽりと後頭部を掻きながら悪態をつくように舌打ちを鳴らすと、不承不承ふしょうぶしょうと言った様子で刀の柄へと手を掛ける。



「あの、黒鉄くろがねさ――」


「局長。」


 僅かに戸惑ったように結城ゆうきが放ちかけた言葉を、黒鉄くろがねは機先を制して遮った。



「こんな状況で刀を抜くな、なんて言わねえよな?」


「それは……。」

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