110.驟雨の乱闘二

「まさか、他にも敵が……?」

 大量の人影を目にして、咄嗟に桔梗ききょうは建物のかげへと身を戻した。


 家屋の壁に隠れながら顔を覗き込ませて桔梗ききょうは寺へと歩いていく集団を見つめた。最初はたむろしていたならず者たちの仲間かと思ったが、寺へと向かっていく集団は妙に規律だっていて整った身なりをしていて、どうにも暗殺者たちと言う風体とはかけ離れているようにすら感じられた。

 そうしてよくよく眺めてみると、彼らの着る羽織の背中に大きく「剣」と描かれているのが見えた。


「あれはまさか……剣華けんか組……?」


 驚いて目を見張った桔梗ききょうは、その集団に居並ぶ面々の顔を見比べていく。すると丁度、集団の先頭に先日蕎麦屋そばやで出会った黒鉄くろがねが居るのが目に入った。前に出会った時と全く変わらぬ、真っ黒な地に華やかな金糸きんし刺繍ししゅうが入った羽織を身に纏っていて、まるで露払つゆばらいかの様に妙に神妙とした面持を浮かべながら、同じように羽織を着た集団を率いて歩いている。そして黒鉄くろがねの後ろには細目の女性――石動いするぎが続いて行き、そして石動いするぎに射線を守られるようにしながら結城ゆうきが並んで歩いていた。


 一人だけ際立って背丈が小さく、集団の中でもそこだけ隊列がくぼんで隠れてしまっているように見えながらも、確かにそれは剣華けんか組の局長と名乗ったあの結城ゆうきであった。


「どうして、あの人たちが……。」


 剣華けんか組がこんな所に来る理由などないはずであった。もちろん彼らは街中を警邏けいらしているらしいことは桔梗ききょうも聞き知っていったが、それは揉め事を取り締まるためであり、こんな人のいない街外れを見回る意味などであろうし、ましてや局長である結城ゆうきが連れだって歩いていることなど、そうそうあり得ることではないと思えた。


 それでも理由を強いて挙げるとするならば何であろうかと、桔梗ききょうは彼らが何故現れたのかへと考えを巡らせていく。

 ぽつぽつと小さな雨粒が落ちてきて、頬へとぶつかるのを感じながら、桔梗ききょうは唇をみ、ふでへの心配で胸を握りしめつつ、剣華けんか組が丘の上にある寺へと向かって行くのを見つめていくことしかできなかった。


 ふと、桔梗ききょうは黒羽織を纏って先頭を歩く黒鉄くろがねに、先日の蕎麦屋で唐傘からかさ|陣伍じんごが名古屋に来ていると話したことを思い出した。ともすれば、彼らも唐傘からかさ|陣伍じんごの足跡を追って、この寺にまで辿りついたのかもしれない。そうであるならば、ふでと敵対することもないかもしれないが、敵となるのか味方となるのか、判然とせず、桔梗ききょうはとりあえず事の成り行きを見守ることにした。


 固唾かたづを飲んで見つめる桔梗ききょうの視線の先で、剣華けんか組は寺の敷地内へと足を踏み入れていく。


* * *


 こまやかな雨が降り注ぎ、僅かに巻くように吹いた風に服の裾を揺らされながら、陣伍じんご亡骸なきがらの近くで佇んでいたふでは、ふっと何やら多くの足音が近づいてくることに気が付いて顔を振り向かせた。湿気った空気、降り落ちる雨、流れる風切り音、連戦の疲れもあったのだろう、気配を察するのが遅れ、視線を向けた時には既に、顔の判別がところにまで羽織を身にまとった男達の集団が近づいてきたところだった。


 その特徴的な羽織と、良く見覚えのある先頭の三人の顔に、ふでは彼らが剣華けんか組であろうことを悟りながら、おやとまるで家に友人でも訪ねてきたかのような妙に気安い表情を浮かべた。

 一方で、寺の敷地へと一歩踏み込んだ黒鉄くろがねは対照的なほど、渋く、眉間に皺をよせ、いかつく顔を歪ませていた。


 黒鉄くろがねの見た視界に広がっていたのは、草も生えず石も浮き出たような荒れくった寺の土地に、地獄の底が抜けて中身でも零れ落ちてきたかのように辺り一面へと撒き散らされてドス黒くなった血の跡と、変色して乾き始めた臓物ぞうもつ、そして死屍累々ししるいるいと地表に倒れ込んでいる死体の数々であった。


 死体の傍らには彼らの体から流れ出た血が小さな水たまりの様になり、臓物ぞうもつは腐臭を漂わせながらどこから来たのか既に蠅が幾つも集り始めていて、そして両手で数えても足りないほどの死骸が散乱しているという光景は、有体に言って凄惨せいさんの一言に尽きた。


 そしてその中心に立っているのが、手傷を負った女性一人。先日、往来で斬り合い、そして蕎麦屋そばやで一緒に飯を食べたふでと言う名の女だった。

 一歩足を進めて、僅かに湿気った土をじゃりっと足先で音を立てて踏みしめると、黒鉄くろがねは睨み付けるような形相でふでへと向かって叫んでいた。


「女ァ!てめえがこれをやりやがったのか!?」

 怒号のような声を浴びせられて、ふでは軽く肩をすくめると、斜めに横へと刀傷の入った頬を軽く一二度かいてから、あらぬ方向へと目を反らして逡巡しゅんじゅんする。


 ふでからしてみれば、彼らなどは全てが終わってから来た慮外りょがいの者達であり、ともすれば自分も丁度今来たところだと誤魔化ごまかすことも出来るだろう。証拠も証言者もいないのだから何とでも言い逃れはできる。ただ、何を言おうがこの状況からすれば、少なくとも事情を聞かれるため、彼らの屯所とんしょへと連れていかれることになるだろうことも、容易に想像できる。


 そしてふでは、そんな悠長ゆうちょうなことをしている余裕がない事情があった。

 じわりと未だに血が溢れだし、ずきずきと痛みを走らせる腹部の傷を抑えながら、ふではちらりと遠く自分が寺に来た時の道へと向かって視線を向けた。そうして焦るように足を小刻みに揺らす。傷は問題ではなかった。むしろ屯所とんしょに連れていかれた方が、見知っている分治療される可能性もあるかもしれないが、そんなことは問題ではなかった。




「おい、どうなんだ!?」


 答えようとしないふでに向かって、焦れた口ぶりで黒鉄くろがねが叫んでくる。

 視線を黒鉄くろがねへと向けて戻すと、ふではふうっと大きく溜息をついて、素直に言ってしまおうと心に定めた。




「ええ、ええ。私がやりましたよ。ここいらに居るのは全部私一人がやったことです。」

「なっ……!」


 黒鉄くろがねが一瞬言葉をまどわせたと同時に、後ろに立ち並ぶ隊員達もどこか息を飲んだのが感じられた。


 ふではそれを殊更ことさらに無視して、まるで当たり前の状況に立っているかのように、何とも平静な態度で不思議そうに小首をかしげて剣華けんか組へと問い返す。




「むしろ貴方様がたは、どうしてこちらに?」


 その問いに、微かな静寂が間として挟まった後、途惑いながら黒鉄くろがねが口を開く。



「ここで傾奇者かぶきものどもが集まって斬り合いしてるのを見たってやからが俺らの屯所とんしょに飛び込んできてな……。それが本当なら一大事だから、わざわざ巡回ついでにここに見に来たんだよ。まさか半分本当だとは思いもしやしなかったがなあ。」


「ははあ、なるほど、なるほど。」


 黒鉄くろがねの言葉にふでは即座に得心とくしんをして、にたりと笑みを浮かべて一つ頷く。



「貴方様。確かお名前は黒鉄くろがねさん、でしたっけ。ねえ。ちょいと尋ねたいのですけれどね。その傾奇者かぶきものどもの斬り合いを見たって飛び込んできた人は、眼鏡で口の黒子ほくろのある若い男じゃありませんでしたか?」


 問われて、ふっと視線を斜め上に向けた黒鉄くろがねは直ぐにその容姿を思い出すと、言い当てられたことに気が付いて怪訝けげんそうに片目を細めてふでを睨み付けた。

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