109.今際の二 - 驟雨の乱闘一

「まあ、生まれるのと、死ぬのはどうにも意のままにはならんかったが。」

 最期さいごに寂しそうに「俺も死ぬのか」と陣伍じんごは再び納得するように一つ呟いていた。


「人間、誰しも死ぬものですよ。それだけはどうにもなりません。」

 応えるように口にしたふでの言葉は陣伍じんごに対して言い含めると言うよりも、自分に対して言い聞かせるようであった。


「そうだな。人は死ぬ……。それが決まっているのが嫌だから、俺は生きているうちにいられること全てに反発していたのかもしれんが……。」

「それはなんとも、周囲からすれば随分とはた迷惑な方だったんでしょうね。」

御蔭おかげで俺は楽しかったがな。まあ、だが、今はもう、俺はんでいたものも、胸の内に溜めこんでいた物も、不安も、何もかも、もうさっぱり全て臓物ぞうもつと一緒に腹から出し切ってしまって、何とも清明とした気分だよ。」

「はん。そりゃ、良うございます。」

「うん、良い。」


 気分の良さげな言葉に際して、やはり嫌そうな表情を返すふでに、陣伍じんごは何とも心地よさげに応じていく。

 それは、心の底からの言うているのが否が応でも伝わってくる笑みで、今にも死にそうな男の言葉とも思えぬ快活かいかつさがあったが、それでも陣伍じんごは自らの指先の感覚がなくなり、全身から熱が引いていくのを感じて、死が近づいているのを自覚していた。


「……そう言えば、一つ聞いておきたいんだが……。」

 僅かばかり、口が動くのも重くなっていた。

 不意と陣伍じんごが尋ねようとしてきたことに、多少なりとも目を見開きながら、ふでは一つ顎を下げて頷いた。


「なんでしょうか?」

「いやさな……、あんたはあの家老に頼まれて……俺たちを斬りに来たのか……?」


 途切れ途切れになっていく陣伍じんごの問いに、一瞬ふでは口を閉ざした。頭を掻きながら逡巡しゅんじゅんし、ただ隠すようなことでもない思いなおして頷いていた。


「……そうですね。そういうことですよ。」

「そうかい……。」

「それがなにか?」

「余計なお世話だが……あいつはやめておいた方がいいぞ……。あいつに関わるのは……。」

「それは一体どういうことで?」

「あいつは藩の転覆を狙っているらしい……。それが江戸に伝わって……だから俺達が、殺すことになった……。」


「はあ?」

 唐突な陣伍じんごの申し開きに、ふでは思わずも眉をしかめる。


「その調子だと……何も知らんようだな……。」

 思わずもくくくっと小さく肩を揺らした後、腹の裂ける痛みで陣伍じんごは歯を食いしばって悶絶もんぜつする。

 一頻ひとしきり痛みをこらえると、それを吐き出すようにして溜息を漏らした陣伍じんごは、ふでへと視線を向ける。


「厳密には違うが……言わば俺達の方が御公儀ごこうぎってことだよ……。」

「そういうっ……。」


 途端、ふでは顔をいかめしくさせると、今まで見せたこともない程の形相で、奥歯をぎしりと噛みしめていた。


「あのご老人っ……!」

 不意に溢れた殺意に、ふっと塵芥じんかいが反応したかのように舞い立つと、その怒気に充てられたのか、陣伍じんごが痛みを感じて歯を食いしばる。


「痛ぅっ……ま、隠し事だから……あんたが表だって江戸から狙われるこたねえだろうが……。これは一応の忠告だよ……。」

「……不本意ですがね、ありがたく受け取っておきますよ。」

「それで良い。」


 言うて身をよじむせるように咳をすると、陣伍じんごは諦めたようにさぱりとした表情で空を見上げ溜息をついた後に、ふでを一瞥もせずに声をかけた。


「その代わりと言っちゃなんだが……あんた。なあ。ちょっと頼みたい。」

「嫌ですよ。」


 何が言いたいのか言葉にされずとも理解していたのか、ふでは即座に首を振ってみせる。

 陣伍じんごはそれを分かっていながらも、ふでの方を見もせぬままに再び口を開く。


「このままさっぱりとしたままに死にたいんだ。斬ってくれ。」

「……。」


 少しばかり押し黙った後、頭を掻いてふでは溜息を漏らすと、不承不承ふしょうぶしょうと言った表情を浮かべながら、かたわらに落ちていた陣伍じんごの刀を拾い上げた。それを眺めて、陣伍じんごは何とも穏やかな笑みを浮かべる。


「感謝するよ。」

「せんでください。してほしくもないことです。」


 言いながらふで陣伍じんごの首へと向かって刀の切っ先を押し当てる。


「いやさせてもらうさ。あんたもさっさと来い。」

「まあ、そのうち……。いつかはお会いに行きますよ。」


 ぽつりと呟いてふでは構えていた刀へと、くっと力をめる。

 どこか甲高くて細い、金属で肉を裂く音がすると、首筋の中へと刀の先端が埋まっていった。

 そうして肌と刀身との狭間からは見る見る間に赤黒い血が溢れだしていく。


 更に強くふでが押し込むと、途端びくっと陣伍じんごの体が跳ねた。

 何度か痙攣けいれんした後に、ようやく陣伍じんごの体は動かなくなって、放り出された四肢は力を失ったようにしな垂れていった。見開いた彼の瞳からは、すぐに瞳孔が開いていき、虹彩こうさい独特の輝きを失って、顔は焦点の定まらぬうつろなものへと変貌へんぼうしていく。先に腹を斬って幾分も血を失ったせいか、既にその肌は土塊のような浅黒さを呈し始めていた。


 見る見る間に死体となっていく陣伍じんごの体に視線を下ろしながら、ふでは目をつむって軽く首を振る。


「なんとも……。」

 小さく呟くと、突きさした刀を握りながら、溜息交じりにそのまま独り言ちるように口を開く。


「他人を散々切ってきた人間が、さっぱりとした気分で死にたいなどと、我儘わがままが過ぎやしませんかねえ。一体親御さんからどんな教育を受けてきたのやら。」

 刀のつかから指を離すと、誰へともなく、どこか辟易へきえきとするようにふでは言っていた。


「十八でしまい……。」


 何とはなしに顔を上げると、酷く暗くなった曇天どんてんを眺めながら、妙に切なそうな表情を浮かべて、そうふでは最後に呟いた。


 途端、ふいと、ぽつりと小さな音がした。

 続いてふでの頬に何か冷たいものがぶつかる感触がした。


 指先で拭ってみると、それは先に頬から垂れていた血とは全く異なる透明な液体で、すぐにそれが水のしずくなのだとふでは気が付く。そうして、ぽつ、ぽつ、と続けて鳴った音を追って地面へと視線を向けてみると、乾いた土塊に黒い染みが幾つものまだらとなっているの気が付いた。


 降ってきたか。


 そう思った時には、きりめいた細やかな雨がふでの体へと降り注ぎ始めていて、彼女の垂れた前髪をしっとりと濡らしていく。次第と大きな滴となって、顔の上を伝って顎へと流れ落ちていく水気を裾で拭いながら、ふでは周囲を見渡した。自分の他に立っている者は誰もいない。男達がたむろしていた寺の中にも、誰か人が居るような気配は最早なかった。


 機頃きごろであった。


「そろそろ帰りますかねえ。」


 斬られた腹部を抑えながらふでは呟くと、陣伍じんごの首に突きさしていた刀を抜き取り鞘へとしまった。

 彼女の服は水に濡れて、裂けた所に広がっていた赤い血が溶けたせいか、袴の裾には一筋の朱色が滴り始めていた。


*


二十三


 ふでが倒れた陣伍じんごの首から刀を抜き取っていた頃、寺から一軒ほど離れた建物の陰に隠れながら、一部始終を見守っていた桔梗ききょうは、事の終わったことを感じとって、ほっと安堵の息を漏らしていた。寺から出てきた男達は、一人こそどこかへ逃げていったものの、他は全員地に伏して、どうやら死んでいるようであったし、仔細しさいは分からなかったが、ただ一人立っているふでが生き残ったのは桔梗ききょうの居る場所からも理解できた。


 もう近づいても大丈夫だろうかと、建物の陰から出ようと一歩踏み出したところで、ふと遠くから誰かが地面を踏みしめる音が聞こえてくる。ぎょっとして、桔梗ききょうは足を止めると、その足音のする方へと耳を傾ける。その足音は一つだけではなく、すぐに大勢の人が歩いてくる音となって桔梗ききょうの元へと響いてきていた。


 慌てて視線を向けてみると、寺へと続く道の一本に、二十人ほどの集団が歩いて迫っていくのが目についた。

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