107.曇天の闘諍五

 他の男達を餌として使い、ふでの太刀筋を見切ったつもりであり、それが故に殺せると算段をつけて挑んだ勝負であった。陣伍じんごにとっては、それが完全にご破算はさんとなってしまったと言って良い。

 言ってしまえばここからは未知との闘いであり、勝てるという確証が揺らいだ気がして、刹那、陣伍じんごは体勢を立て直すために逃げることも頭の中に浮かばせた。


だが、それでもまだ――

 と、陣伍じんごは気を取り直し、ふでの腹部へと目を向ける。


 彼女の服の一部は腹から裂かれ、そこから赤いにじみが大きく広がり始めていた。突きさした刃が相手の腹を切り裂いた証だった。

 目の前の敵は手負いであり自分の方が優勢であるはず。そう思いなおして陣伍じんごは体を開き、ふでへと向き直った。


 そうして改めて左で構える相手の立ち姿を見て、その違和感に陣伍じんごは眉をしかめてしまう。考えてみれば、自らの刀を仕舞い、適当な男から刀を奪い取ったのも、不意と構えを変えたことを気づかせぬための芝居であったのだろう。そう思い至って、陣伍じんごは心ばかりに唸る。


 兎も角も、これからは得体のしれぬ太刀筋との斬り合いであり、陣伍じんごは浅く息を吸い、頬に流れ落ちる汗の気持ちを悪さを感じながら、ふでを睨み付けてその挙動を観察していく。自ら踏み込む心持は陣伍じんごには無かった。相手が傷を負っている以上は、時間が立つほどに自分の方が有利になるはずだったからだ。


 そんな陣伍じんごの算段を見越したように、ふでの方から一足に踏み込んできた。

 すうっと正眼せいがんに構えたふでから、左袈裟ひだりけさ――左の構えであるから正しく袈裟けさと言うべきなのか――に、滑る様な勢いで刀が振るわれる。


 それは右で構えていた時と、遜色そんしょくのない鋭さであり、それでいて異質な太刀筋なために、陣伍じんごはその切っ先を慌てながら大きくかわしていく。


 一筋ひとすじ二筋ふたすじふでの刀が振るわれていき、鋭く空を切り裂く度に陣伍じんごは大きく体を逸らし、足を跳ねさせて、何とかその刃先を避けていた。

 今までの人生で体感したことの無い、逆側からの剣筋に、なまじっか目が良いが故に、陣伍じんごはその違和感に困惑していく。


 一瞬、刀を合わせようかとも考えたが、逆側からの剣筋にかち合えば、力が籠められずに弾き飛ばされてしまうのではと思えて、ただひたすらに陣伍じんごは大仰に身を捩って、その太刀をかわしていくだけに終始してしまう。


 しかし、と、陣伍じんごかわしながら、その剣筋を見つめ、心中で考えていた。

 必ず目が慣れるはずであると。


 それは自身への信頼であり、その目の良さでこそ生き抜いてきた経験から来る自信と言うべきものであった。


 三振みぶり、四振しふりと、ふでの刀をかわしながら、次第と陣伍じんごはその目で彼女の太刀筋を感じ取り始めていた。

 五振ごふり目、陣伍じんごは斜め下から斬り上がる剣戟けんげきを、確信をもってかわした。そうして陣伍じんごは自らの予測したとおりにふでの斬撃が軌跡を通っていくのを見て、口元を緩ませる。


 ふでの左肘が僅かに上がった目についた。

 ざりっと彼女の足が地面を引っ掻いた音が耳に響く。


 不意と、陣伍じんごは次にふでが繰り出すのが左袈裟ひだりけさであろうと、何とはなしに、そう何とはなしに悟っていた。


 六振ろくふり目、力強くふでが左足を踏み込んだ。

 その刹那に、陣伍じんごは左袈裟に逆らうようにして刀を思い切りに振るう。


 それはふでの剣筋を防ぎ、可能であれば相手の姿勢を崩す、そのつもりで満身の力を籠めて陣伍じんごは刀の柄を握りしめた。

 二つの刀の刃先が反射した光が弧を描いて空を斬る。


 果たして、と陣伍じんごが見つめる視線の中で、狙い通りにふでの刀は左袈裟ひだりけさ陣伍じんごの肩口を狙って刃先を滑り込ませてくる。その刀身に、あやまたず、狙い通りに陣伍じんごは刀を合わせた。


ギィィィッ――


 刀身全体が打ち震え、うなりのある鈍い音が響き、共振してどこか割れるような音色へと変わっていく。


 その瞬間、ふでの刀が宙へと跳ね上がっていた。

 ふでの手から、刀のつかが離れ、上空へと向かって跳ねて、宙へと舞って一回転した。


「ははっ、勝った!」

 弾け飛んだ刀を見上げて、思わずも陣伍じんごは叫んでいた。


 そのはずであった。

 少なくとも、刀を失った相手に負けようはずもない。

 しかし、ふっとふでの顔に視線を戻した陣伍じんごは僅かばかりに息を飲む。


 目の前で、武器を失ったはずの女は、むしろ笑みを湛えて、何とも嬉しそうに口角を上げていた。


死を前にして狂ったか――


 瞬時に、陣伍じんごはそう錯覚した。


 何よりも刀を弾かれたにもかかわらず、笑みを浮かべるなどと理解も出来ず、不意と陣伍じんごは女の手へと視線を向けた。その瞬間、陣伍じんごは息を飲んだ。ふでの手は弾かれていなかった。力を籠めて振った刀が弾かれたのならば、つられるようにして手も弾き上げられているのが普通だ。しかし、ふでてのひらは、未だに彼女の胸の目の前でとどまっている。



 そう、陣伍じんごが刀を弾き合わせた時には、既に、ふでは刀を手放していた。


 そうして、そのてのひらは自身の左脇へと向かって手早く伸ばされていく。


 そこには、先ほど収めたふで自身の刀が差されているはずであった。



 にまりと一層にふでの口角が上がり歪な笑みへと変容していく。



「しまっ……!」


 彼女の動きを察した瞬間、陣伍じんごは声を上げてうめいていた。


 自らは刀を弾き飛ばすために万力を籠めて刀を振り切っていた。しかし相手は既に次の攻撃へと動き始めていた。


 即座に飛び退こうと、陣伍じんごは地面を強く蹴り飛ばす。


 それを察していたかのごとくに、ふでも同時に地面をけり、右足を一息に陣伍じんご股座またぐらまで届くかの勢いで足を伸ばした。

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