105.曇天の闘諍三

「おぅ!?」

 刃の先端が地面へとめり込んで、ガザりと微かな金属の擦れる音を響かせると、そこで刀身の動きが止まった。


「なっ……くそがっ!!」

 はからぬ形で刀がせいされたことに慌てて、陣伍じんごは刀身を持ち上げようと、つかを握りこんだ指へと力を籠める。本来であれば、腕を引けば良いだけのことであった。だが、抑え込まれると咄嗟とっさにそれへ反発するような向きへと力を籠めてしまうのは人間の本能的な行動であり、ただそれが故に陣伍じんごに僅かばかりの隙を作ってしまっていた。


 その動きの止まった、斬り合いの中の間隙と言うべき機をふでは見逃さず、刀を踏んだ足先に思い切りに力を籠めると、相手の腕を引き落とさせながら自らの体を跳ね上げさせて、くるりと大きく体を反転させた。斬りかかりに来るとばかりに考え、その予想もつかぬ彼女の反転に呆気にとられて口を半開きにしていた陣伍じんごの目の前で、鮮やかにふではくるりと体を舞わすと、そして、その足先を跳ねるようにして男の顔へと向かって蹴り上げた。


 綺麗に半月状の軌道を辿たどったふでの左足のかかとが、そのまま見事に陣伍じんごの頬へとめり込んでいった。


「ぐふぅ!?」

 陣伍じんごの顔が跳ねるように横へと弾けた。


 想像だにしていなかった蹴りで頭を揺らされたことによって、したた陣伍じんごは体勢を崩しそうになると、くらくらと頭を揺らしながらも、咄嗟とっさ踏鞴たたらを踏みしめて、その場で姿勢を取り戻そうと背を持ち上げる。一瞬、陣伍じんごは自らの頭を失ったかと思うほどの横蹴りを食らったことで、思わず頬を撫でながら、その顔が尋常であることに多少の安堵をもって吐息を漏らしていた。


 回し蹴りを食らわせた張本人であるふでは、そのまま斬りかかってくるかとも思いきや、自分の蹴りの勢いを殺しきれなかったのか、僅かにふら付いて、そのまま幾分か距離をとるように後ろへ退いていた。


 そんな彼女の一挙一動を眺め、即座に襲い掛かってこないことを確かめた陣伍じんごは、幾許いくばくかの気を抜いて、二三度軽く首を左右に振るうと、頭を蹴られた衝撃で、どこかふらふらと揺らぐ意識を清明せいめいへと取り戻させる。その上で、いつの間にか口の中に溢れてきていた血を、ぶっと空へと向かって噴き出すと、カッとたんを斬ると、粘っこいしゅの固まりを地面へと吐き捨てた。


 どうやら蹴られた時に頬の肉が歯にぶつかって裂けたらしい。口の中に痛みを感じながらも陣伍じんごはそれを無理やりに意識の外へと追いやって、目の前の女へと嫌味たらしそうな視線を向ける。


「普通、あの状況で蹴りに来るか?足癖の悪い奴だな。」

「みなさん、ああいう状況ですと刀ばかりに目を奪われますからねえ。斬るよりも、蹴ったり殴ったりの方が、当たることが多いんですよ。」


 楽しそうにふでは言うと、陣伍じんごは頬を撫でながら「確かに」と嫌そうに眉を顰めた。


「蹴られた俺が言うのも何だが、性根が悪いな。」


 吐き捨てるように言った陣伍じんごの言葉に、むしろふでは嬉しそうに

「でしょう?」

 と笑みを浮かべて言っていた。


 そうして、嬉しそうにしたままに、構えた刀の切っ先を左右へと揺らしたかと思うと、今度はふでから足を一歩踏み込んで斬りかかっていた。

 右下段に構えていた切っ先を、ふでは跳ね上げるようにして斬り上げるや、陣伍じんごが上から刀を振るって受け止める。途端に互いの刀身が削れ合って火花が舞い散り、周囲が僅かに明るくなったかと思うと、ぱっと二人の刀は離れ、そして再びふで逆袈裟ぎゃくけさに刀を振るった。


 その剣筋もまた、陣伍じんごの振るった横薙ぎによって弾かれると、続けて、二合にごう三合さんごう、と刀がぶつかり合い、たびに火花が散って、周囲ににぶい音が響き渡った。

 数度にわたって刀を交わし、幾度も剣を振るが、そのたびことごとふでの剣筋は陣伍じんごの刀によって防がれて弾かれた。それは途端に迫りくるふでの剣筋に慌てて合わせているというよりは、まるで予め来る方向が分かっているかのようであり、ふでが刀を振ろうとした刹那には、その軌跡きせきの途中に既に陣伍じんごの刀が置かれているようですらあった。


 どうにもそれは、あたかもそう狙って防がれているようであり、ふでは続けて刀を打ち合わせながらも、どこか得体のしれない靄のような感覚に襲われていく。そんな感情が表情に出ていたのか、陣伍じんごふでの顔を見て取ると、刀を捌きながらにやりと口元を大きく緩ませる。


「不思議かい?」

 刀を打ち合わせつつも、陣伍じんごは随分と余裕があるかのようにふでへと向かって首を傾げて見せる。


「何を……。」

 僅かにふでが答えると陣伍じんごは一層に顔を緩ませて、口角を持ち上げる。


「不思議だろう?振るう剣が全くをもって防がれて。不思議じゃないかい?」

「貴方がお強いからでしょう。」

「そうだがね。」


 ふんっとたのしそうに陣伍じんごは軽く笑う。


「それだけじゃないさ。あんたの剣筋は、さっきまでで随分と見させてもらったからね。あんたの癖みたいなものは見慣れたもんだよ。」

 陣伍じんごの言いようは何やら妙に楽し気で、彼の言葉は一言一句が歌い上げるかのようでもあった。


 その言葉にふでは頬を垂れる血の滴を拭いながら、眉をひそめていぶかしんだ表情を見せていた。陣伍じんごの言うことは、ふでが十数人を斬っていたあの剣劇を見ていて、それだけで剣筋を見切ったと言っているのであり、あの程度の回数を傍目から見ていた程度で慣れたとでもいうのならば、それはそれで随分な才能であると言って良い。


 そしてそれは確かに陣伍じんごの天分でもあり、それが彼を一端いっぱしに人殺しにさせてきた手管てくだと言っても良かった。


「そうでございますかっ。」

 苦々しく言葉を吐き捨てながらも、気が付けば、ふでが斬りかかっていたはずの攻守は、いつの間にか陣伍じんごが斬りかかる形へと移り変わり、彼が滑らせる剣先をふでが何とか防ぐ状況へと移り変わっていた。


 左足側から陣伍じんごの刀が袈裟けさを逆になぞるかの如くに一気呵成いっきかせいに斬り上がる。


「しぃっ――。」

 たじろぎながらも、ふでは必死にそれを刀でさばくと、そのぶつかった衝撃を利用して僅かに足を後退あとずらせようとした。


 その瞬間。


 不意と、ふでは踏み込もうとした足元が、不確かになるのを感じた。

 足先に触れた奇妙な感触に、さっと視線を向けると、ふでの足を乗せたそこに、彼女の斬り捨てた男のはらわたが転がっているのが見えた。


「しまっ……!」

 僅かに声を上げた時には遅かった。踏み下ろそうとした動きは止められず、ふでの足は臓物ぞうもつを踏みしめて、脂と血とでぬめりとした感触の元、ずるりと地面の上を滑ったかと思うと、彼女の姿勢がやにわに崩れていった。


 そして、それをまるで見計らっていたかのように、陣伍じんごの刀が即座に迫ってきた。

 真っすぐに、く、ふでの胸、心の臓を目掛けて、鋭い刃先が付き伸びてくる。



「ちっっ!」


 瞬時にふでは握っていた刀ごとこぶしを縦に振り下ろしていた。


 迫りくる刀の背に、柄頭つかがしらが思い切りにぶつかって、ぎいんっと鈍い音が響いたかと思うと、刀の切っ先が胸から僅かにそれて、下へと向かって向きを滑らせる。


 ただ、下方へ滑りながらも陣伍じんごの指先はふでへと向かって刀を操り、その切っ先は乳房の幾分か下の脇腹へと目掛けて突き刺さっていた。


 ぎいいっとどこか擦れるような音がした。それはふでの着る服に編みこまれた鉄線が刃先と擦れあうにぶく響いた音であった。


 ふでの服には鉄線が編み込まれていた。編み込まれてはいたが、それでも陣伍じんごの刀の勢いを殺しきることはできずに、その切っ先を布の下へまで通してしまっていた。貫通こそはしなかったが、それでも腹の肉の中へと鋭い光沢をもった刀の刃先が幾分か突き刺さってしまっていた。



「っくぅぅっっ!!」


 ふでは痛みに眉を顰めさせながら、それでも動きを止めず、滑った足を踏みなおさせると、思い切りに体を退かせた。


 ずるっと、腹部から刀の切っ先が抜けて、赤い粘り気をもった液体が腹部と切っ先とで糸を引かせて、ついっとしたたって落ちていった。

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