104.曇天の闘諍二

 もうあと一歩で互いの刀が届く。

 そんな距離まで近づいて、二人は互いの視線を交わさせると自らの持つつかを握り直して軽く口角を持ち上げる。示し合わせたような、その笑みは互いに何か通じ合ったと言うよりも、ただ単の興奮から来る妙な愉快さからのものであった。


 その妙さが何か面白かったのか、陣伍じんごは不意にくっくっくっと小さく肩を揺らす。

 数度肩を揺らした直後、途端に、何の予備動作も見せずに陣伍は足を駆った。

 思い切りに足先で地面を蹴り飛ばし、瞬く間にふでとの距離を詰めて、正眼から、そのまま顔へと向かって一直線に刀を突きのばす。


「っ!」

 それはふでから見れば、点となった刀の切っ先が瞬間に迫ってくるかのようで、距離も間も測ることすらできずに咄嗟に首を捻ってその刃先を躱そうとするが、刀の先端が僅かに頬へと触れて、一直線に肌の薄皮一枚を切り裂いた。真っすぐに開いた傷から、ついっと鮮やかに赤い血が溢れ出て、頬から顎にかけて流れ落ちていく。


 ふっと息を斬るや陣伍じんごは呼吸を止めて、そのままふでの頭へと向かって、一呼吸の間に三連撃に刀を突かせる。


「しぃっ――!」

 罵るかのごとくに小さく声を漏らしたふでは、やにわに体を大きく揺らして、その三連撃を一つ一つ左右に躱した。


 肌をかすめるようにその切っ先が通り抜けていくのを、ふでは冷や汗を流して眺めながら、すっと刀が陣伍じんごの手へと戻り、彼が息を吸い込んだ瞬間を見計らうや、体を思いきりに反転させると、その回転の勢いに任せて足を踏み込み刀を横薙がせる。


 今度は陣伍じんごが冷や汗を流す番であった。


 鋭く風を切る音がして、刀が鋭く真一文字に滑るのを、陣伍じんごは慌てて体を後ろに反らして切っ先を避けた。

 刀の先が空を斬ってひゅうっと鳴るような音がするのを感じながらも、陣伍じんごは自らの体勢が崩れたのを感じて、仰け反った勢いのままに地面を蹴って、後方へと向かって軽く飛び退いていった。


 後退あとずさった陣伍じんごの対面で、ふでかわされて流れていってしまった刀の切っ先を引き戻し、握り直していく。


 ふと、ふでは頬にぬるりとしたものを感じて指先を当ててみると、先ほど斬られた頬から流れ落ちてくる血の滴へと触れた。親指と掌の端で頬を拭い取って、その指先を目の前に持ってくると、何とも綺麗な赤色をした自らの血を見てふではふっと笑みを浮かべる。途端、上がった口角に押し出されるようにして、頬の筋肉が引きつり、傷口が一層に開いてとぷりと大きな血の塊が滴り落ちていった。


 親指の先についた血へと舌を伸ばし、ぺろっと舐めとってその鉄臭さを味わいながら、ふでは何故だか妙に満足げに口を開く。


「噂にたがわぬ良い腕前でございますね。」

 敵を褒めそやかすふでの言葉に、陣伍じんごは「はん」と一瞬鼻で笑った。


「何を……俺の折角の一張羅いっちょうらもこんなありさまだっていうのに。」

 そう言って陣伍じんごは自らの服の胸元へと手を伸ばして、布地を指先で摘まんだ。


 彼の着る羽織は左脇から左の肩口へと向かって、一直線に切れ目が入り、その布地が垂れてめくれてしまっていた。

 それは先のふでの横薙ぎで斬れた痕跡であって、さぱりと綺麗に布地が切り裂かれているようであった。


「これも、あんたが疲れてなけりゃ。もう少し深く切っ先が入って体も斬られていたんだろうがなあ。」

 垂れた布の端っこを指先で摘まんで、ひらひらと捲って見せながら軽い調子で陣伍じんごが言ってみると、ふではそれに対して興味もなさそうに曖昧に首を振るって見せた。


「さあて、どうでしょうね。元より私の技量など、その程度かもしれませんよ。」

 一つふでうそぶいてそう言った。


 ふでからしてみれば、そうだから・・・斬れなかったのだろうが、そうだろうが・・・・斬れなかったのだろうが、どちらでも構わなかった。どうせ斬れなかったことに変わりはない。それで全ては終いのことだ。もし、などと考えるのは訓練の時だけでよく、今は次にどう斬るか、それに意識を集中させる方が優先すべきことであった。


 一方で陣伍は眉根を持ち上げて、どこかお道化どけた表情を見せる。


「そういうことにしとけよ。折角、十何人も死なせたんだから、そうでなきゃ死んだ奴らの立つ瀬がなかろう。」

「貴方様は、そんなこと気にする性分でありましたか?」

「いいや。相手するんだから、せめて疲れてて欲しいってだけさ。」


 軽く言って陣伍じんごは口を閉ざした。それで小休止のような会話は終わり、表情を緩ませたままながらも陣伍じんごは刀を握り直して再び正眼せいがんへと構えていた。

 それに応じてふでも刀を下段へと構えると、にじりと一歩歩み寄ると、直ぐに二人の距離は、斬り合いの間合いへと近づいていく。


 を計るようにしてふでが一つすうっと息を吸い込むと、どこかひりついた周囲の空気のようなものが漂っていくのを覚えて、微かに喉がひりついていくのを感じていた。陣伍じんごへと視線を向けながらも、その目の端に映る空は曇天の模様を強くして、上の方では風が強く巻いているのか、見る間に雲の切れ目が慌ただしく形を変えて、まるで生命のように蠢ているのが見えた。


 そう言えば、今頃桔梗ききょうはどうしているだろうかと、ふではふと脳裏にそんなことを思い浮かばせていた。傘を持ってきてなどいないが、雨に濡れて体を冷やしはしないだろうか。思わずどこかに隠れているだろう桔梗ききょうを目で探してしまいそうになる。


「こんなときに何を私は……。」


 相手の言う通りに疲れているのだろうか、今まで斬り合いをしてきた中で、そんなことを考えることなど一切もなかったのに、頭の片隅に桔梗ききょうのことが気になって、油断のならぬ相手を眼前にしながらも、何故だか彼女のことが心に浮かんできてしまい、ふでは妙に情けないような嬉しいような感情を抱きながら、小さく首を振るって陣伍へと向かって無理やりに集中していこうとする。


 陣伍じんごはそんなふでの態度に、いぶかしみがりながらも、誘いか何かと注意をして構えを切らさずに今一歩足を近づけた。


 そんな陣伍じんごの殺気に反応したかの如く、周囲にはちりちりと細やかな砂塵が舞い立って、どこか異様な雰囲気さえ感じさせる。肌先に細やかな砂塵が触れるのが分かるほどにも陣伍じんごは集中をしていくと、小さく息を吸い込んで、その身に気を満たしていった。


 そうして足を駆らせ、今度も陣伍じんごから仕掛けていった。

 陣伍じんごの振るう刀の切っ先は、蛇のようにうねり視線を幻惑させるかのごとくに螺旋らせんを描いてふでの胸元へとまたたく間に迫る。



「はっ――。」


 僅かばかりに集中のしきれていなかったふでは、突如に迫ってきたその剣筋にはたと気が付いて、咄嗟に腕を振り上げる。それは多少の偶然であったか、ふでの振り上げた刀のつかが、陣伍じんごの刀の切っ先へとぶつかって弾けた。



「ちぃ、斬れんかっ。」


 勢い刀身が跳ねたの感じて、陣伍じんごは舌打ちをしながらそのまま腕を引いた。


 その瞬間には、ふでは既に意識を斬り合いへと取り直していて、腕を捻りくるりと刀の切っ先を翻すや、横切りに陣伍じんごの首元へと刃先を滑らせた。



「あ、くそっ!あぶねえな!」


 余裕があるのか妙なののしり方をしながら陣伍じんごは素早く身を引いてふでの刀をかわす。そうして刀を振り切って微かに姿勢を崩したふでへと向かい、そのまま上段から刀を振り下ろした。



「くぅっ……。」


 逆にその切っ先の鋭さにふでは下唇を食んで表情をくもらせながら、左向きに半身を回転させて、その振り下ろされる刀の切っ先を何とか避けていく。


 するりと体のすんでの所をよぎっていった陣伍じんごの刀は、そのままの勢いに振り抜かれ、地面へと向かってその切っ先を迫らせた。


 その瞬間を機と捉え、ふで陣伍じんごの刀へと足を延ばすや、それを思い切りに踏みつけた。

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