103.荒びた古刹十四 - 曇天の闘諍一

「ぐうう……。」

 それは最後の意気地であったか、男はかくかくと足を振るわせながらも立ち上がると、目からぼろぼろと涙を流しながら腕を振り上げた。それは、無理やりに殺されるのならばともかくとして、自ら死に向かって行くというのが怖くて仕方がなかったからだった。


「うあああああ!!」

 恐怖を振り払うかのごとく男が一度大きく吼えた。


 それでも頬には涙があふれ続け、振り上げた腕は全くも定まらぬように左右にかたかたと揺れてしまう。ひっひっと浅く小さな呼吸を繰り返して、しゃくりあげながら、それでもくっと歯を食いしばった男は大きく息を吐くや、再び雄たけびを上げて遮二無二しゃにむにふでへと向かって駆けだしていた。

 男が思い切りに刀を振ると、その切っ先がふでの首元へとめがけて滑る。


 あと指一本分。

 そこまで刀の先が迫った所で、このままならば斬れるか、と、男はわずかにあわい期待で口元を歪める。

 ただ、その切っ先はふでの首元へと迫ったところで、急にあらぬ方向へと滑り空を斬った。


「なっ!?」

 戸惑いの声を上げた瞬間に、その理由を男は悟った。

 その時すでに、男の体は真っ二つに横薙ぎに切断されていた。


「あっ……。」

 男の視界は体が投げられた時と同様に、再び天地を回転させると、今度はそこでぷつりと男の意識は途切れてしまっていた。手に握っていたはずの刀は、腕を振るった勢いで、虚空へと飛んでいき、男の上半身はくるくると回転しながら地面へと落ちた。

 それを傍目はためで眺めながら、ふでは刀を杖のように地面へと突き立てて、ふうっと大仰に溜息を漏らしていた。


「これで十六……。逃げたのを合わせれば十と七でございますか。さすがに疲れましたねえ……。」

 すうっと大きく息を吸い込むと、もう一度溜息ためいきを溢れされて、ふでいささかに疲れたとでも言いたげに首を軽く回していた。


 ふっと、ふではそんな雑多な匂いの中に、僅かばかり湿気った空気の香りを感じて、視線だけを上へと向けてみると、空は寺に乗り込む前の時よりも一層に暗くなっていて、分厚い雲が上空を覆い尽くし始めていた。天を仰ぎ見ながら、風によって形を変えていく雲の様子にふでは僅かばかりに目を細めていく。


 全員を斬り終わったと言う感慨かんがいからか、そんなどこか悠長ゆうちょうな仕草をとっていると、ふとどこからか手を叩く音が響いてきた。


 その音に気が付いてふでは顔を下ろすと、周囲へと視線を巡らせていく。


 すると、堂の縁側と言うべきか、高欄こうらんから一人の男がのんびりと様子で、ふでへと向かい手を叩いてきているのが目に映った。


 それは酷く狭い月代さかやきをした、目端の切れ上がった鋭い目つきの男。唐傘からかさ陣伍じんごであった。


* * *


二十一


「いやあ、よくもよくも斬るもんだねえ。こちら側全滅じゃないか。」

 手を叩きながら、どうにも間延びした調子で陣伍じんごは唸るようにいった。

 その余りにも悠々ゆうゆうな態度に、ふでは「おや」と首を傾げる。


「なんですか。なんとも呑気のんきなものですねえ。仲間が居なくなったんでしょうに。」

「あんなやつら、仲間でも何でもないさ。」

 手を叩くのを止めると、陣伍じんご高欄こうらんを移動して、堂から地面へと伸びる階段を下り、そのまま荒れ地へと踏み入った。


「そもそもに俺一人だけで充分だってのに、こんな弱い奴らをわらわらと寄越してきて邪魔でしかなかったさ。こんなに人が居たんじゃさ、成功したって俺の活躍がかすんじまうだろうに。」

 そこいらに転がっている死体を一瞥しながら嘲るようにへらへらと笑って言う陣伍に対して、ふでは片目を僅かに細めてあごを撫でた。


「そもそも仲間ではないから、先ほどまでも彼らと一緒に襲ってこなかったと、そう言うことですか?」

「それもあるがねえ……。なにより、あんた強いだろう?堂の中に乗り込んできた時に一目ひとめにそう感じたよ。しかも、あんたさんのその相貌そうぼう。垂れたまなじりに連なる目端の小さな黒子ほくろ。他の奴らは知らんかったみたいだが、あんたは妃妖ひようって呼ばれてた奴だろう?」

「さあて……。」


 ふでは肩をすくめて素知らぬ風の表情を見せた。


「ちっとばかし手ごわそう。万一もないが、もしかしたら俺より強いかもしれないって感じまったからね。だから弱ってもらおうと思ってな。俺が手を下す前に、もっと手傷を負ってくれたところで。俺が斬りかかれれば万々歳ばんばんざいだったが。」

 ふんっと鼻を鳴らして、死体となった男達の姿を見回して陣伍じんごは刀を抜いた。


「糞の役にも立たなかったな。」

 そんな陣伍じんごの言葉を、どこか呆れた様子で聞き流しながらふでは軽く片眉を上げた。


「それは、なんともまあ、小賢しいことで。」

「そらぁな、小賢しかろうて。」

 ぽつりと言ったふでの言葉に、陣伍じんごも自嘲気味に笑って応じながらも首を振るった。


「俺はなあ、誰よりも強くありたいなんてわけじゃないんだよ。強くあれたらそれはそれでいいがね。それよりも人が斬りたいだけなんだ。斬れるんなら何でもするさ。小賢しかろうと何だろうと。見たところ、あんたもその部類だと推測するんだが……。どうだい?」

「斬るためになら何でもすると言うのは、理解しないでもありませんがね。」


 なるほどに言葉にしてみれば確かにふでもそうであった。ふでからしてみても、自らが誰かを斬るためならば大抵のことはしていると自覚している。ただ、それも大きな間違いがあろうとふでは首を振るっていた。


「貴方様と、私ではいささか違うものと思いますがねえ。」

「ほう?何が違う?」

「私はただ斬りたいだけなのですよ。私が貴方様でしたら、今ここに転がってる男の方たちを、もうとっくに寺の中で斬っております。」


 さぱりとふでかすと、「はっ」とどこか愉快そうに陣伍は鼻で笑った。

 それは言ってしまえば手段の違いであり、確かにふで陣伍じんごも斬るためならば何でもするのだろう。ただ陣伍じんごの言う何でもするとは狙った相手を斬るのに手管てくだを選ばぬという意味であり――ふでの言う何でもするとは斬る相手を選びすらしないという意味であって、むしろ斬る手管てくだはそれなりに選んでいた。



「それに、私は斬る手段においては、多少の矜持きょうじと言うものを持ち合わせておりますゆえに。」



 言いながらふでが刀を持ち上げると、それに応じて陣伍じんごも刀を正眼せいがんへと構え、

「俺も無節操なわけじゃないさ。」

 と、妙に顔をにやつかせていた。



 ふではといえば相手が構えたのを見て取って、右手下段へと刀を流れさせていた。


 さわさわと荒れ地に生えた細長い葉が僅かに擦れる音がして、すぐに二人の間を風が一つ吹き付けるや、くるりと砂塵が舞ってまるで周囲の惨状を気にも留めぬように通り抜けていった。その流れる空気に伝って、血の生臭さと同時に臓物から湧き出す糞尿の匂いが漂ってきていたが、二人は意にも介さいようであった。


 荒れくった地面の上で二人は互いに足を斜めに滑らせ、楕円だえんの軌道を取りながら、少しずつ距離が詰めさせていく。


 ざらりと音がして、不意に二人の動きが止まる。

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