102.荒びた古刹十三

「かひゅっ……!!」

 呆然としたままに浮かされて、受け身も取れずに地面へと投げつけられた男は、背中を襲った衝撃に一瞬呼吸が止まらせて、腹へと向かって曲がっていた体をやにわに海老えびのように強く反り返らせた。


 それは柔術の技法であった。


 男が腕を振り下ろさんとしていた力を、そのまま投げる力と変えて、五尺はある体躯たいくを見事に回転させながら地面に叩きつけた。二人分の力によって背中を叩きつけられた男は、息をすることも出来ずに苦悶の表情であえぐようにして喉を鳴らす。ただ、それでもまだマシであったのは背中から落とされたことであった。仮に頭から叩きつけられれば、頭骨は砕けて意識を失っていたはずであった。


 全身を打ち付けた痛みから、地面の上で転がり刀を手放してもんどりを打った男は、歯を食いしばりながら地面の上を悶えて一つ体を転がした。

 うつ伏せへとなったところで、男は打ちつけられた背中に、更に一つの痛みを感じて顔上げる。ぎしりと体へと重さを感じて、首だけで何とか視線を背中に向けた男は、自らの背中に、ふでが膝を立てて乗りかかってくるのを見つけた。


「ぐぅ……。」


 背の真ん中を膝で押し込まれ、体の上から肺腑はいふを押されるような格好で男はにぶい息を吐きだしていた。そのままふでの膝に体重がかかっていき、痛めた背中ということもあって、男は歯を食いしばって悶絶してしまう。


 僅かでも動けば、一層に肉と骨とに膝頭が食い込んでいき、痛みが走るために、男は微動だにもできず唸り声を上げる。

 その一方で背中の上でふではゆるりとした調子で男を見下しながら口を開いた。


「ちょいとぉ、貴方様に聞きとうことがありますのですが。」

 今さっきまでの殺伐とした雰囲気からはかけ離れた、ひどく間延びのした声であった。


「だ、誰がお前なんぞに……。」

 男が言いかけた刹那、くっとふでが男の背中の上で重心をずらした。

 ごりっと音がして、膝頭が男の背骨を擦るように動く。


 その瞬間、男の体に耐えがたい痛みが走った。


「がぁぁぁぁっ!?」

 ふでの膝頭は、男の背中の経絡けいらくの一部を押し込んでいた。それだけで男は額から脂汗を湧き出させて、悶絶しながら雄叫おたけびを上げていた。


 すっと膝頭を戻すと、それで痛みが去ったのか、途端に男は叫び声を途絶えさせると、体を揺らしながら荒く浅く呼吸をしてくっと唾液を飲み込んで、震えるように大きく息を吐いていた。

 それを見て取って、ふでは再びに口を開く。


「貴方様に聞きたいことがあるのですが。」

 先ほどよりは、少しばかり強めに行ったその言葉に、男は最早あらがう気持ちなどわかず、素直に口を開いていた。


「何だ……?一体何が聞きたいって言うんだ……。」

「いえね。貴方様方は、この尾張の家老である、成瀬を襲おうと計画していらしたんですよね?」


 そう問われて、男は僅かに息を飲んだ後、気まずい顔を見せながらも、しばらくして首肯しゅこうして見せた。


「そうだ……、俺達は家老を狙おうとあの寺で機をうかがっていた……。だが、それがどうしたっていうんだ。それを分かっていたからこそ貴様は俺達をおそってきたんだろう!?」

 わめく男の背中の上で、ふではのんびりとした様子で、ふむふむと頷くと、そうでございますかと軽く口を開いた。


「いえ、なにねえ。一応の確認と言うやつでして。そう言えば、何も問わぬままに殆ど斬ってしまったものですから。」

 地面にうつ伏せながら男はふでの言葉に多少絶句していた。

 そんな男の様子も気にせずに、ふでゆるい調子で何度かうんうんと頷いていた。


「まあ、合っているのでございましたら、重畳ちゅうじょうでございます。もし違っていましたら、また人探しからですからねえ。まあ、流石は桔梗ききょうさんが探されただけあると言うことですか……。」

 言いながら、ふでは男の背中の上から体を避けて立ち上がった。


 体を押さえつけていた膝頭が浮いて、男は自分に乗りかかってくる重さが軽くなったのを感じ、思わずきょとんとして顔を振り返らせた。視線の先ではふでが、どうにも悠長ゆうちょうな態度で男のことを見下ろしていた。


 ほんの僅か前まで、このまま押さえつけられままに殺されるのだろうと覚悟していたのが、急に解放されて男は戸惑ったままにうつむかせていた体をひっくり返し、どこか見下した表情でのんびりとしているふでの顔を、ぼうっと見上げてしまっていた。


 もしや、このまま逃してくれるのだろうか、多少なりに淡い期待を感じた瞬間、ふでが地面へと放り出してしまっていた男の刀をひょいっと拾い上げた。流石に刀は奪われるかと思っていた男に向かって、ふではそのままの勢いで軽く刀を放り投げた。


「おわっ。」

 刃先を避けて男は慌てながらも、思わずもその刀のつかを掴み取ってしまった。

 はしりと刀のつかを握りしめたのを見て取って、ふではにいっと口角を上げた。


「受け取りましたね?」

「え?あ……?なんだ?」

「受け取りましたなら、先ほどの続きを致しましょうか。」

「はぁ?」

「む?分かりませぬか?もう一度斬り合いをいたしましょうと言っているのです。」


「なっ……俺はもう……。」

 ふでの言葉が以外すぎて男は困惑しながら首を強く振るった。



「なんで……、そんなことを。斬りたいならさっき組伏せているところで殺せば良かったじゃないか。」


「折角ですから、ねえ。私は斬り合いと言うものがしたいのですよ。」


 それはひどく爽やかな言いようであった。



「いや……俺はっ……。」

 諦めている、そう言う心積もりであった。


 男からすれば、殺されるなら最早さぱりと斬ってもらってしまいたかったし、生きられるならば逃れさせてもらいたかった。大凡おおよそに死ぬかもしれぬと言うのにも関わらず、その上で刀を振るう気力など生半に湧いて出てくるものではない。



「今から逃げたって、仮に諦めたって、どちらにしろ、貴方様はお死にになられるのですよ。どうせならば刀をもって九死に一生を得るつもりであがいてみれば良いじゃないですか。」


 ひらひらと手を翻してみせながら、ふでは何とも呑気な口調でそんなことをのたまっていた。


 確かにそれは道理だろう。一理はある。言っていることはその通りであろうと男にも思える。


 ただ、それが殺そうとして来ている人間の言うことでなければであった。

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