98.荒びた古刹九

「何ともせせこましい人たちですねえ。もうちょっと、優雅さと言うものもあってよいのでは?」

「なにがなにが。おのれこそようやってくれたものだ。慎ましやかさを身に着けておくべきだろう。なんならここで教えてやってもいい。」


 周囲を取り囲んでいた男達の中からは、一際に背の高い男が一人、何とも自信に満ちた表情で一歩前に足を踏み込んだ。ここまでの斬り合いを眺めてふでの底でも見切ったつもりなのか、なんともにやにやとして、自身の勝利を疑っていないようであった。男は余裕を持った仕草で、鷹揚おうようとしながら、ゆるりと上段に刀を構え上げた。

 男の背の高いこともあり、それはふでの背丈の二つ分以上の高さにもなって、高々と空へと切っ先が突きあげられていた。


 仮にこの刀が真っすぐにふでの体へと振り下ろされたならば、それだけで頭骨の天辺から足の踵の骨まで、砕けることすらなく、綺麗に真一文字に断たれてしまうのだろうと言う、そんなことを感じさせる酷く巨大で強靭きょうじんな圧ともいうべき空気が溢れ返っていた。


 遥か上段に構えられた威圧感と言う者は、目の前にしてみなければ分からぬもので、経験したことのある者とない者では絶対的に認識が異なる。


 例えはたから見ていたとしても、それは見誤る。遠くから見ても大きいことは伝わってくるが、それでも遠くのものは小さくなり、微かに視線を動かすだけで、その大きさは視界の中に納まってしまう。しかし、近くで見た時の圧力と言うのは異質である。見上げねばならぬ、普段動かす視線から外れて首元が痛くなるほどに顔を上げると言うことがどれだけ異常なことなのか、体験して初めてその異質さを理解することになる。


 そうして、異質であることを理解してしまえば、それだけで普通の人間の平常心と言ったものは見事に乱れてしまうものであった。ただ――それも、平常心などと言うものが乱されるのは、心に平常があるものの話と言って良く、刀を上段に構えて威圧するかのごとくに立った偉丈夫いじょうぶに対して、ふではその顔を見上げると、むしろ僅かに口角を上げてみせた。

 そんな表情も、偉丈夫いじょうぶは強がりと思ったのだろう、一層に体をそらし高く刀を構えると、男はにいっと微かに口元を緩ませていく。そうして、ふいと男は大きく口を開いた。


「俺の名は――。」

 男は荒れ地の広がる寺の敷地内の隅から隅まで、一言一句があやまたずに聞こえるような酷く遠く明瞭めいりょうな大声を放って一つ息を吸い込む。その声の始まりの文句に、周囲の人間は男が自らの口上を述べる算段なのだと直ぐに気が付いた。

 口上を上げることで、自らの功を周囲に知らしめる心積もりなのだろう。


柏木かしわぎ駿馬しゅんま――。」

 続けて男は朗らかに胸を張り上げて、口上をたてまつらんと、その表情を満面の笑みへと変化していく。

 そうしてすうっと次の言葉を紡ぐために男が息を吸い込んでいく。


 その刹那、即座にふでは懐へと手を突っ込むと、体を開いて即座に、強く、無遠慮に、とかく思い切りに腕を振るい抜いた。振るった指先には、懐へと忍ばせていた小刀が握られ、それは振られた勢いで、鋭く真っすぐに男の体へと向かって跳び荒んだ。それは越後屋で買った投擲用のつばの無い黒い小刀であった。

 ひゅうっと風を切る音をさせて、小刀は瞬く間に男の開いた胸元へと吸い込まれていく。


因縁いんねん禍々まがまがしき上諏訪かみすわの――っ!!?」

 最後の向上を口にしかけた男が、びくりと体を震わせて言葉を詰まらせる。

 くっと喉を鳴らして、僅かに狼狽ろうばいした男は、衝撃を受けた胸元を見つめると、そこにはふでの投げた黒い小刀が深々と突き刺さっているのが見えた。


「ぐぅぅ!?」

 それだけでは致命傷ではなかったのか、身を屈めながら男はその大きな掌で自らに刺さった小刀を抜き去ろうと、柄を掴んだ。ただ、その隙だけでふでにとっては充分過ぎるほどであり、彼女はいつの間にか投げられた小刀を追って跳び、男が刃先を抜き去る痛みに息を飲んだ瞬間には、大きく刀を振るい上げてその身元へと瞬く間に迫っていた。


「おぅ!?」


 柏木かしわぎと名乗った男が、顔を上げてその迫る刀身へと気が付いた時には全てが遅かった。ふでからすれば見上げるほどの高さを持った偉丈夫いじょうふの体の、左の肩口から右の腰下へとかけて一気に切っ先が走り抜けると、強い衝撃が背骨の中を駆け抜けて、痺れ上がるかの如くに男の体は背筋を震わせる。ぱっくりと一瞬で、偉丈夫いじょうふの体へ真っ直ぐに裂け目が引かれたかと思うと、中から薄紅色の肉があらわわになって、次の瞬間にはどす黒い血飛沫が舞い上がり、そうして身を屈める筋肉が断たれた勢いのためか、男の体は見事なほどに後背こうはいへと反り上がっていた。


「あがうぅ……。」

 うめいて、そして男が後ろへと向かって倒れ込むと、乾いた地面の表面がその巨大な体によって叩かれて、僅かな砂塵が舞い上がった。


 空中で刀を振り切って、地面へと降りたったふでは、くるりと身を回し、そのまま残った男達へと向けて体を向けなおし、垂れた目の端を鋭く細くさせながら睨み付けていく。取り囲んだ男達の瞳は、どこか侮蔑ぶべつするような光をたたえていた。それは暗に名乗りの最中に斬りかかってくるなど、何と野蛮なことをとでも言いたげなようにも見えてくる。


 ざわざわと、大きく声を上げもしないが、どこか小さく文句を言い、舌打ちをする音が聞こえてくる。

 ただ、そんな視線も、態度も、むしろふでからしてみれば、暗殺をしようなどと言う輩たちが、何を妙に行儀の正しい精神性をさせているのか、おかしくって鼻で笑いそうになってしまう。


「ふぅ……これで十人でございますね。名乗りを上げてるいとまがあるのでしたら、さっさと掛かってきてくださいな。」

 そうふでが言った瞬間、途端に残りの男が数人、まるで機を合わせたかのように、一気のに襲い掛かってきた。



「ちぇああ!!」


 奇妙な叫び声を上げ、真っすぐに突っ込んできた男が袈裟けさ切りに振り下ろしてくる刀を、半身を逸らしてさらりとふでかわす。そうして、そのまま足を踏み込めると、引き絞った上半身を発条ばねのように反発させて一気に屈ませると、その勢いを腕に載せて、飛び込んできた男の顔へと拳を叩き込んだ。みちぃっと音がして肉が潰れる音ともに、ふでの拳には男の顔面の骨が割れる手応えを感じた。



「ぐぷぅ……。」


 一瞬、かくんっと意識が飛んで膝から崩れ落ちそうへとなっていく男の腹へ、すかさずに足先を伸ばして爪先で下腹部を蹴り上げる。腹筋を抉りながら足先が腹部へとめり込むと、内臓が下からせり上がる痛みに男は内股をがくがくと震わせて「ひぃぃ~~っっ」と悲鳴を上げていた。


 頭が揺らされ朦朧もうろうとした意識と、腹部へと蹴られた痛みとで完全に動きを止めた男へと向かって、ふでを握り絞める。そのまま刀を男へ向かって差し込もうと伸ばそうとした拍子、ふいと横から別の男が駆け寄ってくるのを視線の端で感じ取り、ふでは咄嗟に刀を横薙ぎに滑らせる。


 ふでの振るった刀と駆け寄ってきた男の刀とがかち合って、鈍い金属のうねる音が響いた。ほんの僅かに跳ね合って、微かな間ながら離れた二つの刀は、直ぐにまたその刀身を擦り合い、ぐっと差し迫って次第につば迫り合いへと移り変わっていく。ぎりぎりと甲高い金属の擦れあう音が鳴り、二人の体は力を籠めようと一層に近づき合っていく。


 腕を振るった勢いのまま、ふでが刀身を思い切りに押し込んでいくと、受け手の男はその圧力の強さに腕を震えさせながら苦悶の表情を浮かべる。


「ぐぉっっ……。」


 僅かに男が唸り声を上げた。

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