97.荒びた古刹八

「逃げちゃ駄目じゃないですか。」

 もがき苦しむ男の姿を見下しながら、ふではその体へと槍の穂先を貫かせた。肋骨の隙間を通って、胸の中へと刃先がするりと差し込まれていく。それはまるで水の中へと槍先をつっこんだかのように滑らかで、全くをもって何のさしさわりもなく綺麗にずぷりと穂先が肉体の中へと納まっていく。


「~~っ……!!」

 一瞬、僅かに男がうめくようにもだえたが、びくりと体を震わした直後、瞬く間に四肢をくたりと地面にへたりこませたかと思うと、すぐにもだえるのも止めて動かなくなってしまっていた。


「七。」

 引き抜く金属に肉の脂と血溜まりが擦れる「ずりっ」とした音を響かせながら槍を手元に戻すと、ふでは小さく殺した男の数を呟いた。


 そうしてふでが顔を振りかえらせてみると、先に足先を槍の尻で転ばせた男が、ようやくと起き上がり刀を構え直しているのを見つけた。気丈きじょうに刀を握りしめてはいたが、その足は恐怖心からなのか痛みからなのか、かくかくと震えてしまい既に立っているのすらやっとに見えた。ふっと肩の力を抜いてふでは一時にやれやれと首を振るうと、次の瞬間、足を跳ねさせて一挙に近づき槍先を思い切りに伸ばした。


 ひゅぅっと槍先が空気の切る音を立てて、男の喉元へと刃先が吸い込まれるように滑り込んでいく。

 ざりっと骨と刃とが擦れあうような、どこか奇妙にも聞こえる音を立てて、男の喉へと槍の先が突き刺さっていた。


ぐぷぅ――

 途端、男の口の中から、真っ赤な血が溢れ出ると、だらだら唇から鮮血を滴らせ、その瞳はグルんと回転して白目をむいた。


「八。」

 槍の穂先を喉元に咥えこんだままに、男の体がぐらりと揺れて倒れ込こんでいく。

 そんな男の、反射のように僅かばかりに強張った筋肉によって僅かに保たれていた肉体を踏み台にして、勢いよく駆けてきた別の男が、ふでへと向かって跳びかかかってきた。


「ちぇああ!!」

 倒れ込む男の背中を踏んで大きく体を跳ねると、そのまま落ちる勢いに任せて男は刀を握った手を振り下ろしていく。即座に男の喉元から槍を引き抜くと、ふでは振り下ろされる刃先へと、咄嗟に槍を合わせるべくして腕を振り上げる。勢いよく振り下ろされる刀と、槍の柄とが交差してその身をぶつけ合った。


 瞬間。

 ピシッと、何かに亀裂の入るような、細く長く甲高い音が周囲に響いたかと思うと、次の刹那には、槍の柄が裂ける大きな音を響かせて、ささくれの尖るかの如くに大きく割れていた。男の振るう刀身に押されて、槍の先端の方の片割れは、勢いよく弾かれ、刃先を回転させながら宙へと舞っていく。

 流石に乱暴に扱ってきた槍の限界が訪れたようであった。

 飛びかかってきた男は、槍が割れたことを見て取って、それで勝利を確信したのか、その顔には見事にほくそ笑んだ表情を浮かべていた。


 男が着地して、次の斬撃へとつなげようと顔を上げ、振り下ろした腕を切りかえそうとした間際、その口角の上がった顔へ、ふでは手に残っていた槍の割れた先を思い切りに突き立てていた。

 勢いよく男の眼孔へと、ささくれ立った槍の柄が深々と突き刺さる。


「っぎぃぃぃやあぁぁ!!?」

 反撃されるとつゆほども考えていなかった男は、奇妙な叫び声を上げて弓のように体を後背へと強く反らして戦慄おののいていく。


 そんな男の顔へと、肘を高く上げたふでは万力を籠めて、割れた槍の柄をぐりっと捩じりこむようにして押し込んでいく。男の頭骨の中程から、ぐちゅっと重たいものが潰れる音が鳴ったかと思うと、柄をつっこんだのとは反対の眼孔から押し出されるように、ぶちゅっと水気の弾ける音を響かせて、濁った眼球が飛び出してきた。


 僅かに細い神経だけが目の奥と繋がってはいたが、飛び出た目玉は生気なくぷらぷらと振り子の如く揺れて、まぶたの境目からは血の固まりが滲み溢れていた。


「あ……ぐっぐぐがっ……。」


 男はそれでも何とか刀身を振り上げようと、腕を持ち上げたが、その掌からはつかが零れ落ちてしまい、刀は地面の上でからんからんと錻力ぶりきの如き軽い音を立てて転がっていった。そうして、やや間を開けながらも、顔にを突き立てた男はふらふらと体を揺らしたかと思うと、膝から崩れ落ち、腰を落として、前方に向かって倒れ込んでいく。腰を起点にして勢いが付いてしまった体は、思い切りに地面へとぶつかり、当然、槍の穂先は地面と言う槌に打ちつけられた杭の如く、男の顔へと刺さりこんでいき、ついには後頭部の頭蓋を割って、その脳漿のうしょうを見事に巻き散らかした。


 何も言わず既に槍の柄から手を離していたふでは、彼の末路を見下すような目つきで一瞥した後、眉尻を下げながら唇を食み、何とも他愛もないと言うような、無残にここで死んでしまったことへの憐憫れんびんを感じさせるような、そしてこれ以上楽しめぬのかと物惜しむような、随分と複雑な表情を作り上げる。



 遠く建物の陰から眺めている桔梗ききょうからすれば、その表情が痛みに耐えているようにすら見えて、どこか怪我したのではないかとはらはらと拳を握りしめながら、ただ見つめることしかできず、くっと唇を食み絞めてしまう。


 そんな桔梗ききょうの視線の先で、すぐにふでは表情を取り直し、槍の柄から手を離すと、ふうっと大きく息を吐いて肺腑はいふの底まで空にすると、乱しかけていた呼吸を無理やりに整える。そうして、彼女は腰に差していた刀をするりと抜き去りながら、


「これで九……。」


 と、伏し目がちに地面を見つめながら呟いた。



 ここまでに男達と幾度も斬り躱し続け、その体には傷の一つも負ってはいなかったが、それでも僅かばかり肩を上下に揺らして、ふでは呼吸の拍子を乱れそうにさせていた。


 強いて浅い呼吸を繰り返しつつ、ふでは周囲を見渡していく。


 くるりと視線を巡らせて未だに残る男達見てみたところ、先ほどの男達はむしろ比較的にも楽な方ではないかと感じられた。



 それよりも今までに遠巻きに眺めて、こちらの手管を探るように見つめてくる男たちの方が、幾分も手練れのような佇まいを見せている。


 その立ち方、余裕、刀を握る掌へと籠る力具合、節々に見つめていくだけで、それは容易に想像できることであった。


 そうして、そんな男達が、取り囲んだ輪を徐々に徐々にと隙間を閉ざしていき、ふでを中心としてずりずりと足を滑らせながら僅かずつにでも、近づいてくるのが伝わってくる。


 ふでが僅かに呼吸を乱したのを、一つの衰弱と取ったのか、少なくとも今が潮目を変える、一つの機と捉えているようであった。


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