96.荒びた古刹七

「っ。」

 咄嗟のこととはいえ、こんな幼稚な釣りに引っかかってしまったことに、思わずふでが舌を打ち鳴らしていた。


 男の体の寸での先を槍の穂先が空振って、勢い良く流れていってしまう。


 その瞬間を狙いすましたように、左右に分かれた男達が、二人同時に飛びかかってきた。右からくる男は上段に振りかぶって、左からの男は下段に刀を滑らせながら迫ってくるのを、ふでは視界の端で僅かに捕える。それが一瞬なりとも、目に映ったのはふでにとって幸いであった。その刹那に、ふでは自らが何をすべきなのか思考を巡らせて、即座に体を思い切りに回転させていた。


 思い切りに空振らせた腕へと力を籠めて、その手首をくんっとひるがえすと、槍の穂先を空に向かって立てながらふでは柄の尻を地面に擦らせるようにして振り抜いた。そうして左から襲い来る男へと視線を向けると、相手はようやくふでへと刀の届く位置まで辿りついたと言った拍子であり、それもまだ振り下ろす機さえ見抜けていないような有様だった。


「遅うございますよ!」

 勢いよく、ふでは左から襲い掛かってくる男の足へと槍のつかを滑らせる。


 弧を描いたの先端が思い切りに男の足へとぶつかって、次の瞬間には、掬いあげるようにそのかかとを弾き飛ばした。丁度刀を振り下ろさんとしていた男は、それでかくりと体を傾けたかと思うと、跳びかからんとした勢いのままにすってんと思い切りに地面へと体を倒れ込んでいく。


 ふではそのまま勢いに任せて槍のを振り回すと、体のみを反転させて、右から刀を斬り上げようとしてきた男へ向かって切っ先を滑らせていく。

 ひゅぅっと切っ先が空気を裂く音が通り抜け、次いで直ぐにガチンッと硬く金属の弾け合う音が周囲へと響いた。

 それはふでの振るった槍の穂先と、男の刀がぶつかり合った音であった。


 衝突し、そして刃を重ね合ったまま、ぎりぎりと鈍い音を立てながら、二人の間で切っ先は拮抗しながら僅かに左右へと揺れていく。


「くっ!」


 小さくうめいてぐっと男が力を籠めようとしたのを見抜いて、ふでを掴んでいた右手だけを咄嗟にくるりと回転させる。押し切ろうとしていた男の手の力が誘われるように刀を斬り上げたかと思うと、槍の穂先が円を描いて回転して刀身へと絡みつくように刃先を重ねた。そうしてふでを握る継ぎ手を支点としながら、梃子てこの要領で力を籠めると、長い穂先でより一層の大きな力となった回転運動が、男の刀までも促す様にくるりと回転させてしまう。


 回転させ、そしてふでは槍先をくんっと跳ね上げる。

 次の瞬間、男の掌から刀は消え去っていて、刀はくるくると空高く舞い上がっていた。


「ぎっ!」


 手持ちの武器を失ったことで、口惜しさと怒りと恐怖とを綯い交ぜにした男の歯ぎしりが小さく鳴った。一方で、背の小さいはずのふでがまるで見下す様な視線で男を眺めて、そうして彼女はへと力を籠めようとしていく。


「うおぉぉっ!!」

「っ!?」


 ふでが男へと向かって穂先を向けようとした刹那、一度踏鞴たたらを踏むかの如く足を止めて身を引いたはずの、目つきの悪い男が急に雄たけびを上げて、再びと言わんばかりにに刀を振り上げながら駆け寄ってこようとしていた。


 勢いよく振り下ろされてくる刀を、ふでは咄嗟に槍を滑らせるや、その刃筋の間へと差し入れて、で刃先を受け止める。思い切りに振りかかってきた刀が、木製で出来た槍のへと僅かばかりに刃先を刻み込ませると、男はさらにその刀身へと力を籠めて押し込んでくる。木製の槍の柄はぐぐっと弓の如くにたわんで、みしりと木の節の悲鳴の如き音を響かせた。それを機と見た男は更に刀へと力を籠めて押し込んでくる。


 みしみしとたわを握りしめている中、更にぐいっと男の力が圧しかかり押し込まれそうになって追い込まれていたはずのふでの脳裏に思い浮かんだのは、それは長閑ちょうかんなと言うべきか郷愁きょうしゅう的ともいえる、とある寺の裏に広がる林とも森ともつかない、だが雑木ぞうきとすらも言えず、言ってしまえば雑多とした木々の群れが棲むような混沌としたそんな木の群れであった。


 そこで、幼きふでは自分よりも幾倍も背が高き男から、やはり同じようにして構えた棒に、ぎりぎりと木刀を押し込まれていった、そんな光景が頭の中に思浮かんでくる。泣くことも許されず、全身を痣だらけにしながら、必死で男の打ち込んでくる木刀の痛みに耐えていた、それは在りし日の、何とも忌々しいふでの記憶であった。思わずも、その苦々しき記憶に肩を揺らして笑ってしまうと、くふっと何ともいやらしく歪に口角を上げた。


 急に目の前で笑い出したふでに対して、刀を押し込もうとしていた男は驚いて思わずも、その手に籠めた力を緩めそうになってしまっていた。


「何笑ってやがる。」

「いえなに、斬り合いをしているのが何とも楽しうございましてね。」

「そうかよ!」


 さらにくっと男が力を籠めて、刀を押し込んでこようとした途端、槍のへと僅かに切れ込みが入り、一層にしないだのを感じた。それでもふでは槍の硬さを信用しながら、右足の踵を引くとそれを軸として、左足を跳ね上げさせる。


 咄嗟、刀を握りしめた男が顔が渋くなり、ぐうっと小さく唸る。

 刀を握りしめて無防備となった男の横腹へと、ふでの足の爪先が思い切りに突き刺ささっていた。


「なに…くそがっ。」


 ただそれでも、男は刀を手放すことなく、苦虫を噛み潰したよう渋い表情を無理やりに噛みしめながら、槍の柄へと向かって一層に力を籠めていく。片足を上げた無理やりな体勢に、ぎりぎりと両手を押し込まれながら、ふでは突っかける如くに足先へと力を籠めると、ぐりっと足首を返し即座により奥深くへと爪先をねじ込ませる。


「ぐぅっ……。」


 痛みに強く顔を顰めた男は、流石に堪えきれぬと言う様子で、ぱっと押し込んでいた刀を引いて体を退しりぞかせた。それを見逃さずに、ふでは咄嗟に手を振るうと、弧を描いて槍の柄が男へと鋭く迫っていく。みしいっと今度は槍の柄ではなく、骨の軋む音が響いて、しないだ長い柄が見事に男の体へと打ちつけられていた。



「がはっ!?」

 肋骨を強打されて脂汗を浮き立たせると苦悶の表情を浮かべて、男はその場へと倒れ込んでしまう。



「ぐぅぐぐぐぐ……。」


 痛みに歯を食いしばって地面を握りしめながら、小さく唸る男の様子を見て取って、ふでは、こいつは後回しで良いと、襲ってきた他の連中へと視線を向かわせる。急ぎ顔を振って左右を確認し、後ろへ振り返ってみると、刀を弾き飛ばされた男が逃げようと背を向けているのを見つけた。


 ふでは即座に体を開き、大きく伸ばした片手の掌の中で槍のをするりと滑らせると、目いっぱいに槍の穂先を遠く伸ばして切っ先を滑らせた。


 人の身丈よりも余程に長い槍の、その穂先が綺麗に円を描いて、駆けだそうとしていた男のかかとへと切っ先が触れる。


ぷっつん――

 と、弾けるような音がして、男の踝が大きく裂けると、真っ赤な血が迸って、足が弾かれる。



「あっ……。」


 勢い駆けようとしていた体が平衡を失って、見事にもんどりを打つと、男は顔面から無様に地面へとぶつかって、そのまま半回転して、更にはその腰を地面へと打ちつけていた。



「ぐががが……。」


 足も顔も腰も、全身に痛みを感じて男はのた打ち回ると、その倒れ込んだ体へと向かってふでが近づいていく。

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