95.荒びた古刹六

 男達が息を呑む一方で、彼らとふでの挙動をつぶさに見つめている者が居た。

 桔梗ききょうであった。


 建物の陰に隠れながら、彼女たちの攻防の一部始終を見つめていた桔梗ききょうは、僅かばかり物陰から寺の方へと顔を覗き込ませながら息を飲んで、ほんの少しだけ開いた攻防の間隙に忘れかけていた呼吸を慌てて再開させた。


 ふでと言う女性が強いのは知っていた。

 刀を器用に扱うのも何度も目にしてきた。


 ただ、槍までもがあれまでに、いや、あれほどまでに圧倒的に、まるでふでの手に纏わりつく蛇か何かの生き物かの如くに操られるのを、想像だにすることもできずに、ただ彼女は茫然ぼうぜんとしてほうけるように口を開いてしまっていた。


「何というか……、あれは何なのでしょうか……。」


 問うように呟きながらも、その傍らには誰も答える人はおらず、ふっと砂煙を上げた風と共になって虚空の中へと消えていってしまった。桔梗ききょうにとって答える者が居なかったのは、何の問題でもなかった。ただ只管ひたすら唖然あぜんとしながら、囲んでくる男達も手練れであろうに、ああも簡単に斬られて言ってしまうことに、信じられないと言う心持と、そしてなによりも、本当に単純な言葉で言ってしまえば、桔梗ききょうは驚いていた。


 元々、戦場においては刀を使うことは稀と言っても良く、槍と弓と、たまに投石にと、何でも使って生きて行くものであり、少なくとも槍と弓とをも扱うことすらできなければ、兵法家でないと言っても良いぐらいであった。


 そこへ更には当て身や組技までが使えて、初めて戦場で生き残れることが出来ると言える。だからこそ、ある種で言えば武芸を扱う者にとって、つまりはここにいる者の多くが槍なり弓なりを、それなりには扱えるはずであり、また一方で相対した時の対処も多少は心得ているはずであった。


 それが、ああも容易く切り捨てられていくことに、桔梗ききょうはただひたすらに驚くより他がなく、ふっとある言葉が彼女の頭の中に過った。


 武芸百般ぶげいひゃっぱん

 そう言う言葉が存在する。


 百は数多を指す言葉であり、それは諸般の武芸のその全てに通じ、そして全てが余人の及ばぬ領域に達すほど卓越していることを表す言葉であり、例えばそれは寝物語として語られる源氏げんじ為朝ためとも公や、みんの逸話に聞く王進おうしんと言った、伝説上の者達がうたわれるような語り文句だ。しかし、桔梗ききょうにとって今のふでの姿は、まさしくそう言う類のものに見えていた。


 喉を鳴らし緊張しながら桔梗ききょうが眺めていると、取り囲んでいた男達もふでの技量を流石に感じ取っていたのか、どこか怯んでいるのが分かる。刀を構えながらも、どこか腰が引けているようであり、機を見計らうようであり、その実、躊躇ちゅうちょしているだけのようにも見て取れた。


 ただそれでも、流石に暗殺などと無法を働くために集められた荒くれ者達の気の強さからか、引くにも引けず、刀を構えたままきっとふでを睨み付けている。


 そうしていると、男達の中でも一際に目つきの悪い輩が、一瞬左右に目配せをすると、近くにいる男へと一人ずつに手招きした。三人が並び寄ると目つきの悪い男は、ふでへと視線を切らぬままに、近づいてきた男達の耳元へと口を寄せて何やら密談を始める。二言三言言葉が交わされただろうか、耳を寄せた男達は、目つきの悪い男の発したらしき小声に反応して僅かばかり驚いた顔を見せはしたが、すぐに頷いてふでへと視線を向けていた。


 三人が何やら機を測ったように、同時に頷くと、目つきの悪い男が微かに足をふでに向かって近づけた。それを見て取ってふでは、槍を脇へと構え直し、僅かばかりに後ろ足を引いて対応する。


 奇妙な物だが、前に突かんとするときには足は引かれるもので、慣れぬと感覚的には反するようにも感じられる。だが、より前に突きたいと欲するならば、足は引くことで、より強く脚の筋を伸ばし力が溜まり、一層に強く早い突きが放てる。それは弓と同じ教えともいえる。中国に古より伝わる老子の教えには、伸ばさんと欲せばまず縮めよとも言う、理屈に倣えば、突かんと欲するならば、まず引くのか妥当であった。


 ふでは足を引きながら、特に先の三人の男に対して注意を払って支援を差し向けていく。

 左右に居たはずの男達は、にじりにじりと足を蟹の如くにのっそりと左右へと動かしふでには近づかず、取り囲む周縁しゅうえん部を徐々に徐々にと移動していた。


 何をするつもりなのか、少なくとも無闇にかかってこられて、ただ突き殺すなどとよりは、さほどにはマシな仕立てであって欲しい。この場に立ったふでにとってしてみれば、そればかりが興味の一大事であった。それは良くも悪くも、ふでと言う女のいくさぐるいにとって人間性を保ち続けるためのたがの一つだったと言ってよい。それは、例えば今対峙している相手に、人として相対する意味も無いと感じるほど呆れかえってしまえば、自分が人間だからこそと我慢して対処している諸々を投げ捨ててしまうだろうと言うことでもある。


 だからこそ、と、自らが楽しむために、ふでは彼らの微かな指先の動きまでつぶさに観察していく。

 見つめる先で男達はにじりにじりと足を左右へと動かしていき、いつの間にかふでの左右を挟む位置へと辿りついていた。


 そうして、目の前では目つきの悪い男が刀を構えたまま、血気を晒してふでを睨みつけてくる。これで何をしようと言うのか、ふでも大体は察しながら、咄嗟に起こる偶奇を期待して、強いて考えることをやめていく。


 さしあたってと、ふでは頭の上に手伸ばし、横に長く水平に槍を構えると、彼女はくるくると槍を頭の上で大きく回して、ひゅっん、ひゅっん、と勢いよく風の切れる音を響かせる。それはあからさまに威嚇であり、そして分かりやすい挑発であった。そうまでして分かりやすく威嚇されれば、血気盛んな男達にとって、この程度でかかってこれないのかとあからさまに挑発されているようなものであった。


 少なくとも取り囲んだ三人は、皆そのふでの行動に威嚇されたと理解するのと同時に、そして機を見計らおうとしていた感情が溢れ、三者が頷くと、左右に移動した男達はふでへの距離をより近づけていく。そこまで来て、ふでは男達を警戒したのか、回していた槍を止めて脇へと構え直した。


 左右へと開いていった男達はふでへと差し向かって挟むような位置で立ち止まった。顔を動かさぬまま視線を動かして、右と左とに居る男を見ると、すっと一つ息を吸い込んで僅かに体内へと呼気を溜め込んだ。



 また挟み撃ちか、視線を巡らせながらそう考えた瞬間、ふでの前方に居た目つきの悪い男がピクリと体を動かした。


 はたと反応してふでが目線を前へと動かす。


 その刹那、目つきの悪い男が体を乗り出したかと思うと、二人の間を一気に詰めた。




 左右ではなく前方の男が差し迫ってきたことに、僅かばかりに心を乱し、咄嗟に、ふでは携えていた槍を前方へと振り払う。


 跳びかかってくる男の体が通る、その道筋を予測して槍の刃先を滑らせると、大きくしないだ柄がその反発力で勢いを益して、空を斬りながら切っ先が輝く曲線を描いていく。


 胴体と槍の刃先とが、交差するその寸前、男は咄嗟に踏鞴たたらを踏んで、その体の勢いを思い切りに留めた。


 それで瞬時にふでは目つきの悪い男の動きが、明らかな『釣り』であったと悟った。


 ふでの斬りを誘う動きであり、隙を生み出すためのあからさまな陽動であった。

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