93.荒びた古刹四

 次の瞬間、追いすがろうと大きく足を踏み出していた男の胴体から首の上が消え去った。宙には男の頭がくるくると舞い上がり、見上げるほどに高くまで跳ね飛ぶと、弧を描いて落ち始めて、いですぐに勢いよく地面へと叩きつけられた。ぐしゃりと肉のひしゃげて骨の割れる鈍い音を響かせると、水気の無い硬い地面へと転がり落ちた男の顔は、自分自身に起きたことがまるで分かっていないように目を見開いて、何とも間抜けにあらぬ方向へと瞳を向けていた。


 頭の落ちる前、既に倒れ込んでいた男の体は、首元からトクトクと血を溢れさせ、死後反射で何度かびくりと体を細かく震えさせている。


「これで三。」


 槍を振り払いながら、足先を地面に擦らせて回転する体の勢いを止めたふでは、斬った男の数を数え上げた。土の上をこすった足跡が曲線を描いて、僅かな土埃を上げる最中さなかに、ふでは顔を上げて残りの男達へと睨みをつける。後ろからすがってこようとしていた男達は、目の前を走っていた男の顔がいきなり宙を舞ったことにおののいて、途端に、うっと体を硬直させ足を止めてしまっていた。


 僅かばかりにたじろいだのか、ごくりと喉を鳴らす音が、男達の間で一斉に重なったように響いてくる。


 脇に抱えた槍を手へと携えたままに、ふでは体を男達へと向けなおし、彼女もその場で立ち止まった。それは分かりやすく、ここでろうと言う意思表示であった。逃げて見せたのは追手を釣るためであり、槍を使える広い場所に出るためで、流石にそれを理解したのか追ってきた男達も立ち止まって、各々に刀を構え始めていく。


 軽く走って僅かに乱れた呼吸をふうっと一つ息を吐いて整えると、ふではふふっとどこか楽し気に微笑んだ。事実として彼女にしてみれば、刀を構えた者達が詰め寄ってくるこの状況が愉しくて仕方はなかった。如何にして生き残るか、如何にして殺すか、その手管てくだを考えていくのがふでにとっては堪らなく、なんとも愉悦ゆえつに満ちた状況であった。


 その余りにも楽し気な笑みは、転がった死体を挟んで向かい合っているような凄惨せいさんな状況とは似つかわしくなく、酷くあどけのない無垢な笑みであるがために、眺めていた男達は僅かにいぶしんで眉をひそませる。


 そんなふでに対する奇妙さを感じて、多少なりに怯む心持ちで足を止めていた男達ではあったが、それでも仲間を殺した目の前の女を取り逃がせるはずもなく、各々に刀を構え直していく。そうして槍の届かぬだろう距離をにじりと移動し始めていた。


 徐々に居並んだ男達の間隔が広くなっていき、次第とふでを中心にして円を描くように取り囲み始めていく。立ち位置の近い遠いのまばらさはあれど、前後左右に偏りのなく男達の立ち並んだ輪が出来上がったことで余裕を感じたのか男が一人にじりと足を寄せて、ふでへと向かい叫ぶように問うた。


「てめえ!なんだって俺たちのところに襲いこんできた!?」

 それは彼らにとっては当然の疑問だった。寺にたむろしていたところへと急にやってきて、一言も問うことすらせずに突然に仲間を殺したのであるから、不気味さを感じて居たのだろう。彼ら自身、薄々は理解していながらも、問わずにはいられないようであり、問うた男の言葉に、居並ぶ男達もふでの返答を待つように動きを止めていた。


「何故って。」

 僅かに言葉を切って口元に指先を当てると、目を細め妙に色っぽい仕草でくすくとふでは軽く笑い声をあげる。それは旦那衆を相手にする妓女ぎじょのような甘くゆるい笑みであった。そうしてふでは緩く口元をたわまさて言葉を返す。


「何故ってことはありますまい。貴方様がたも、自分達が何をしでかそうとしているか位は分かっておられるのでしょう?」

 迂遠うえんな言い方ではあった。


 迂遠うえんではあったが、そのふでの言葉に、直ぐさま男達の間でざわりと小さな声が溢れた。少し目を凝らしてみれば、一部の男には狼狽ろうばいしてカタカタと腕を震わせている者すらも見てとれたぐらいであった。


「ば……ばれたのか?」

 男の一人が狼狽うろたえて、きょろきょろと傍らの者達の顔色をうかがいながら言う。それだけで、自分達が危ういことに手を染めているのだと白状しているようなものであった。ただ、他の男達も最早そんなことを気に留めることも出来ず、同じように困惑して互いに顔を見合わせている。


「誰かが吐きやがったのか…?」

「もしや江戸のやつらに切られたのかも。」

「それにしたって、一人で来るか?他に何人か来てるんじゃないのか?」


 そう言った一人の言葉によって、再び男達はざわりと浮き立ってしまい、きょろきょろと周囲を見回し始める。男達は明らかに気もそぞろになって、目の前でふでが槍を構え直していたことなど気付きすらもしていなかった。


 狼狽うろたえるようにして後ろへと振り返った一人の男へと目をつけると、ふでは思い切りに足を踏み込ませる。

 腕を振るい、じりこむようにがせると、ひゅうっと穂先が蛇のようにのたうって、男の体へと迫っていく。ふでから真っすぐ目の前に立っていた男の腹を、槍先がすっと横一文字に掠めて通り過ぎていた。


「熱っっ!?」

 直ぐに男は自らの体の異変に気が付いて、僅かにうめき声をあげた。


「四。」

 何とも無慈悲な響きの声で一言に呟くと、ふでは軽やかに穂先を宙に舞わせながら槍を手元へと引き戻した。


 それで男の命は終わりであった。

 それだけで充分であった。


 次の瞬間には、男の腹はぱっくりと斬り裂かれ、服ごとに大きな裂け目が開いて暗いうろが現れたかと思うと、一呼吸を置いて、吹き出るように臓物ぞうもつが零れ落ちた。ねちゃりとした体液が溢れ出る内臓にかき乱されて、どりゅると奇妙な音を立てたかと思うと、いびつに所々が膨らんでどす黒い紅色べにいろをさせた腸が垂れ下がり、地面へとぼたりと零れ落ちていた。



「あぶぁぁ!?」


 自分が何をされたかを理解していなかった男はうめきながら痛みに顔を俯かせたところで、自らの腹から臓物が零れ落ちていることに気が付いて、目を見開くや瞳を震えるように狼狽うろたえさせていた。


 目の前で鮮血と共に零れ落ちていく気味の悪い物体が自分の臓物ぞうもつと悟った時に、男は慌ててそれを拾い上げようと手を伸ばしたところで、膝がかくりと力を失いそのまま地面へとへたりこんでいた。


 そうして、男は我を失い涙をボロボロと流し始めていた。男は自分が最早助かることの無いことを理解していた。


 そして助かることなどないが、すぐに死ぬこともなく、痛みと絶望で、その場で「ぉおおおお……」と唇を震わせながら、ただひたすらに狼狽ろうばいしてうめき声をあげていく。



「こん畜生がっ……。」


 傍らに立っていた男が、その悲痛な叫びに耐え切れず、刀を振り上げると、そのまま首筋へと振り抜いて首を掻っ切った。


 未だにうめき声を上げていた男の首がころりころりと地面の上へと転がって、体は地面に垂れ落ちていた臓物の上へと倒れ込む。


 ぐちょりと潰れる音がして、砂と混じりこんだ血と、体の中身が周囲へと飛び散り、辺りには糞尿と臓物の鼻の曲がる様な匂いが漂い始めていった。



「くっそが。」


 残った男達は周囲を見回すのをやめて、ふでへと睨みをつけていた。


 他に手勢が居るかもしれなかったが、少なくとも今はこの女に集中しなくてはならないとみなが感じ始めていたのだろう、誰もかれもがふで一人を見つめて刀を握り直していく。


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