92.荒びた古刹三

 僅かに身を固めると、息を止めてふでは気配を探るが、堂の方から人が出てくる気配はなかった。それを確認して、もう一歩とふでは足を階段へと踏みあがらせる。そうして音を立てぬようにと、ゆっくり足を持ち上げてはふでは階段を登っていく。その度に微かばかり板がたわんで、風に紛れてしまうほどではあったが、小さな音がきぃっと鳴る。


 階段を登り切り、戸の前に立つとふでは動きを止めて、そっと耳をそばだてる。朽ちかけていて、ささくれの目立つ戸の向こう側からは、人の話す声や歩き回る音、座りながら体を揺らし床を鳴らすような音が聞こえてきて、確かに内部に人が居るのだろうということが感じられる。それも音の多さから一人や二人などではなく、ゆうに十は超えると察せられる。こんな朽ちた寺に、そんな大人数が詰めているということならば、恐らくは桔梗ききょうの調べが正しくて、中にいるのは、ほぼ間違いなく家老を襲う一味なのだろう。


 よしんば、例え間違っていたとして、それは決して無辜むこの民などではなく、無法者の類であることには相違なかろうとふでは判断していた。

 斬ってしまって子細しさい問題なかろう。そう意に決めると、戸を前にしたまま、数舜の間、ふでまぶたを閉じて瞬きの感覚を調整し、そして薄暗い闇の中へと瞳を慣れさせていく。恐らくは外よりも暗いだろう堂の中の状況を瞬時に判断するための手管てくだであった。


 目を閉じながら、ふでは胸に手を当てて浅く長く一つ息を吸い込む。


 次の瞬間、ふでは戸を思い切りに蹴り上げた。

 朽ちかけていた戸は、それだけでくの時に折れ曲がると、大きな音を立てて壊れながら堂の内部へと飛んで行った。


「な、なんだぁ!?」

 複数人がてんでばらばらに叫んで、ごちゃりとした声が室内に反響した。


 堂の中にいた人間たちは、不意に戸が蹴り開けられた音と衝撃とで何が起きたのか分からずに完全に浮き立っていた。殆どの男達は音に驚いているのみで、状況を判断するには至らずに、ただ狼狽ろうばいするに任せてきょろきょろと左右を見渡し、身構えることも出来ていないようであった。そんな混乱につけこむようにして、ふでは素早く堂の中を見渡していく。


 左半面の壁際に座り込んでいる男達が四、五人、右半面には六、七人座り込んでいて、その他に音に驚いてぱらぱらと立ち上がったらしき男が複数人目についた。そうして、部屋の一番奥には、良く聞かされていた容姿の男が一人。酷く細い月代さかやきをした目尻の尖った男。唐傘からかさ陣伍じんご、その男が座っているのを見つけた。彼だけはどうやら、急に現れた女の姿に驚きもせずに、こちらを目の端でゆるりと眺めてきているようであって、その刹那に、彼の瞳とふでの視線とが交差した。


 見つめ合った二人は、ほんの僅かな一瞬、互いに何故だか口元を緩めて笑みを浮かべ合っていた。


「いらっしゃいましたか。重畳ちょうじょう重畳ちょうじょう。」

 唐傘からかさ陣伍じんごの姿を確認したことで、この堂にたむろしている人間たちが、家老に始末を依頼された者共であることを確信して、ふでは口角を更ににいっと持ち上げる。


「な……何だてめえは!?」

 急に部屋へと押し込んできたふでの姿に狼狽ろうばいしながら、入り口近くの左に座していた男が問いながら腰を上げようとした。


「この状況で、いまさら言うことがそれですか?」

 刹那、ふでは手に持っていた槍先を男へと向かって鋭く滑らせる。

 トスっと、軽く、低く、何とも味気の無い音が室内へと響いて、男のひたいには槍の穂先が深々と突き刺さっていた。


「あ……がっ……?」

 ひたいを貫かれた男はぐるんと目玉を回し、びくりと体を震わせると、最初にぺたんと両手が力なく床へとしなだれ落ちた。口がだらしなく開いたかと思うと、ぽたぽたとよだれが垂れ落ちて、それでようやく全身の力が抜けたかのように、ずるりと体ごと床に崩れ落ち始めていく。


 槍の穂先が、倒れ込む男の体に持っていかれる前に、咄嗟にふでは槍を引き抜く。

 男の頭骨の中を槍の切っ先が滑り抜けると、その刃先に引っ掛けられたのか、ずるっと音がして桃色をした脳漿のうしょうの一部が、切れ目から一緒に溢れだしてきた。


 ぷぴゅっと噴水の様に噴き出す鮮血に混じりながら、小さな脳のかけらが床へとぼとぼとと零れ落ちていった。くちゃりと一際大きな脳漿のうしょう欠片かけらが床へと落ちたころに、男の体も床へとぶつかって、どすりと、そして床板のたわむ、ぎいぃっと鈍い音を響かせる。体が床へとぶつかった衝撃からなのか、男の頭からは一層に脳の一部がはみ出して、とくとくと体液と血液の入り混じった薄い紅色の液体が床へと大きな染みを作り出していった。


 倒れた男の背中を一瞥して、ふではふっと息を吐き捨てる。


「一。」

 ふでは室内の男達へと侮蔑するように視線を差し向けて、小さく呟いていた。


「なっ……!?」

 仲間の一人が刺されたにもかかわらず、殆どの男達は驚きと混乱で呆けているようで、唖然あぜんとしたまま気の抜けた声を上げていたが、それでも一部の者は咄嗟に腰を上げようとする。


 僅か一瞬、腰を上げるのが早かった男へと向かって、ふでは槍先を振り抜いた。

 柄がみしりと綺麗に弧を描きながらたわみ、反動をつけた穂先が跳ねたように男の体へと向かって滑る。鏡の如くに光沢をもった切っ先が男の首筋をさらりと撫でると、次の瞬間には、男の喉元にぱっくりとした切り口が大きく開いていた。


「あっ……?」


 なにやら虚を突かれたように間の抜けた声を上げた男は、慌てて自らの喉を抑えようとして手を伸ばすが、その掌に勢いよく血が噴き出して、ぼたぼたと床へと垂れ落ちていく。すうっと血の気が失せて顔面を真っ青にした男は、それ以上何も言わずに、僅かに立ち上げかけた腰をへたりと座りこませ、そのまま床へと向かってどすんっと音を立てて体を倒れ込ませていた。


「二。」

 倒れる男を一瞥もせずに呟きながら、ふでは更にと視線を巡らせる。


 もう一人位はともふでは考えていなくもなかったが、既に男達の一部は完全に立ち上がり、咄嗟に刀を抜いている者達さえも居るのを見てとるや、狭い室内で槍を振るうのを無意味と考えて、直ぐ様にきびすを返した。振り返る勢いで、流れていくふでの視界の中、未だに室内の奥で悠長ゆうちょうに座り込んでいた唐傘からかさ陣伍じんごは、僅かばかり口角を上げてにやにやと笑っているようにも見えた。


 そのまま部屋の外へと飛び出してみると、ここまで来て今更怖気づいたと感じたのか部屋の男達の中には途端に困惑して眉根をしかめさせる者が出てくる一方で、逃げ出したのだと合点し笠に着て気持ちの大きくなった者達も出てきたのか、

「待てや!!」

 と、いらついた叫び声が後方から響いてくるのも聞こえてきた。



 それもふでの算段ではあった。

 このまま逃げるように見せてやれば、幾人か追ってくるだろう、それを一人ずつ始末すればよい。


 そう考えて男達の声を殊更に無視し、思い切りに階段の一段目へと足を踏み下ろしたふでは、そのまま勢い足を駆らせて階段を飛び降りる。彼女の羽織る着物の裾が綺麗にはためいて、ばさりと軽い音を立てた。草も生えぬ荒れくった地面へと勢いよくふでは降り立つと、そのまま二三歩足を駆けらせた所で、恐らくは男達の一人だろう、誰かが追いすがって階段をミシミシと音を立てながら下りてくるのを感じ取る。


 僅かに顔だけを振り返らせて目の端で階段を捉えると、追いかけてくる男達の中、一人だけが突出して地面へと降りかけているのを見つける。即座に距離を測り取ると、ふでは思い切りにくるりと体を回転させた。


 右足を地面へと踏みしめさせるや、草鞋わらじから飛び出した指先で地面の土を握りしめ、太い脚へと万力の力を籠めて、ふでは最短距離に急激に、その体を反転させる。


「ふっ!!」


 下腹部へと力を籠めると短く強く息を吐き切りながら、右脇に抱えていた槍を握りしめて強く腕を引くと、体躯を支点にして大きくしなった柄が切っ先を思い切りに跳ねさせる。


 ひゅぅっと音を立てながら弧を描いて風を斬った槍の穂先は、煌めく刃先の光沢を細長く残影にさせて目に止まらぬ勢いで横薙よこなぎにされると、後ろから一人突出して追いつこうとしていた男の首へと触れた。


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