91.荒びた古刹二

「総勢で中に何人いるかは分かりますか?」

 問われて桔梗ききょうは「ええっと」と記憶を辿りながら、指折り数え上げ始めていく。そうして数え終わったのか、掌を握りしめながらふでへと向かって顔を振り返らせる。


「私が見ていた限りでは十と四人です。中に籠って出てきていない者がいることを考慮すれば、それ以上には居ると思いますが……。」

 流石に人数が多いと感じたのだろう、僅かばかり桔梗ききょうけわしい表情を見せている。


 一方でふではどこか楽し気に、ふむっと顎を撫でて口角を持ち上げていた。それは何とも期待に満ちた表情であり、愉悦ゆえつを感じているかの顔であった。それが余りにも状況と似つかわしくないがために、桔梗ききょういぶかしんでその顔を見つめてしまうが、ふではそんな視線を気にもせずに一層ににやりと嬉しそうな相貌そうぼうを作り上げていく。


「それはそれは、また随分といらっしゃることですね。それ程にもいるのでしたら、まあ、存分に楽しめそうですねえ。」

 想像通りではあったが、何ともズレたことを言うふでに対して、桔梗ききょうは苦々しく口を開く。


「そんな悠長なことを言っている状況ですか?十と四人もいれば、軽い要塞のようなものではありませんか。」

「なに、これぐらいで丁度良いのですよ。まあ考えても見てくださいな。深刻になったとして、相手の数が減りますか?」

「そりゃ、減りはしませんが……。」

「だからですよ。こう言うのは楽しんでしまうぐらい良いのです。」


 その言葉自体の内容にはどこか捨て鉢なような響きを感じさせながらも、言うてるふでの雰囲気はむしろ酷く安穏としていて、これから本当に楽しんで来ようと言う者の様子であった。


「そんな気軽に言うてますが、何か策でもあるのですか?」

「策ですか……突然襲い掛かって、斬るぐらいですかねえ。」


 ふっと笑みを浮かべて、策とすら言えない繰り言を口にすると、すっと立ち上がって足の筋を解す様に、体を一度くっと背に向かって反らさせる。何度か背伸びをして軽く一度その場で跳ねてみると、それで準備の運動は終わったのか、ふでは顎へと手を当てて、首をこきりと鳴らし、そのまま建物の陰から一歩踏み出す。


「それでは、ちょっとばかり行って参りますよ。」

「本当に大丈夫ですか?」

 心配そうに見上げる桔梗ききょうの頭へとぽんっと掌を乗せると、やにわにふではその手を素早く動かして、彼女の頭をくしゃくしゃしゃにしてしまう。


「な、何するんですか。」

「心配してくださるんですか?」

「そりゃ、当たり前じゃないですか。無事に帰ってきてください。」

「ふふっふ。」


 楽しそうに鼻歌を口遊みながら、ふではぼさぼさになった桔梗ききょうの頭をぽんっと叩くと、今度は優しく撫でつける。さらりとやわっこい桔梗ききょうの髪先を、指先で絡めて、その感触を楽しむ様にゆるりと髪を撫でつけていく。


「なんなのですか?」

 突然に頭をいじくりまわされて困惑した桔梗ききょうが多少じとりとした瞳で見上げると、ふでは随分と素知らぬ顔で髪を撫で続けていく。


桔梗ききょうさん。そうですね。大丈夫かどうか。無事に帰れましたら、ご褒美でもいただきませんかね?」

「褒美ですか?謝礼なら私の懐から少しばかりは……。」

「そう言うのではなくってですね、一晩中撫でさせていただいたりとか。」

「撫でっ……。って、何を急に。」

「何って髪をですよ。」

「あ……か、髪……ですか。いや、でも一晩中などと……楽しいのですか?」

「楽しいですよ。ええ、きっと楽しいです。」


 珍しく真面目な顔をしてふでが言うものだから、桔梗ききょうは思わず言葉に詰まってしまう。


「どうですか?」

「いや……しかし、それでも一晩中などと言うのは流石に……。」

「んー……まあ、一瞬でも宜しいですよ。」


 撫でていた髪からさらりと掌を下ろして、ふで桔梗ききょうの頬へと触れる。頬の最も撓む曲線へ掌を振れさせながら、親指を伸ばしたふでは、彼女の頬骨へと指先を当ててくいっと撫でた。


「え?」

「その代わり、髪を撫でるのではなく、口を吸わせていただけるならですが。」

「口をっ……?」


 一瞬で顔を赤くして、桔梗ききょうは咄嗟に唇へと手を当てていた。


「それは……あの……。先日のあれですか?」

 唇へと指先を当てながら、どこか思い出す様に潤んだ瞳で躊躇いがちに桔梗ききょうが問うと、ふではすんなりと頷く。


「ええ、この前のあれですよ。」

「ぅ……。」

 言い淀んで小さな声を漏らし、どう反応して良いのか分からないと言った雰囲気で視線を狼狽えさせた桔梗ききょうは、真っ赤な顔を一層に赤くしてどこかその表情を戸惑わせる。


「思い出さえておるのですか?」

「思い出しておりますよ……。」

「駄目ですか?」


 言うて頬へと触れていた掌を、ふでは指先をするりと滑らせて、桔梗ききょうの耳へと触れる。形ぶりの良い耳のその端を撫ぜてみるとと、桔梗ききょうは敏感に「あっ……」と小さく声を漏らし、それが恥ずかしかったのか、切なそうに瞳を伏せて今度は耳の先まで肌を朱に染めた。


「駄目ということは……。」


 おずおずと指先を自らの頬にまで持ち上げた桔梗ききょうは、肌に触れていたふでの手のその甲へと掌を重ならせた。ふでのしなやかで僅かに冷たい手へと、桔梗ききょうの熱く柔らかい掌の感触が触れる。指と指との狭間に、指先を入り込ませた桔梗ききょうは、ふでの掌をきゅっと握りながら、僅かに彼女の手を頬から離させると、何か意味あり気に唇をきゅっと口内に吸い込ませる。


 はっきりとしない桔梗ききょうの言葉の先を促す様に、ふでは彼女に絡められた指に自ら一層に指を絡めていく。


「駄目と言うことですか?」

「……駄目ということはありませんが。その……本当に少しだけですよ?」

「ほう……。」


 承諾されたのが意外だったのか、ふでは僅かばかりに目を見開いて桔梗ききょうの顔を眺める。彼女の表情は、恥ずかしながらも精一杯と言った雰囲気で、顔を赤らめて目を伏せていたが、その顔に冗談を言うているような雰囲気はなかった。考えてみれば、出会ってこの方、彼女は冗談や嘘を殆ど言ってこなかった。相当に気真面目なのだろうし、その言葉は本心で言うているのだろう。


 ふでは少しばかり嬉し気に口元を緩めると、するりと彼女の握ってくる掌を解いて体を寺へと向かって振り返らせる。



「それでは、桔梗ききょうさんのご褒美をいただくためにも、頑張ってまいりますかねえ。」


 からからと今にも笑いだすかのような軽妙な口調でそう言うと、顎へと掌を当ててふでは首をこきりと鳴らし、建物の陰から寺へと向かって一歩踏み出していた。乾いた地面の上をを草履を履いた足先でざっざっと音を立てて歩きながら、ふでは袖の中へと右手を突っ込ませると、その中から折りたたまれた槍を取り出した。


 槍の穂先に鞘として被せていた革を取り払って、適当に放り投げると、ふではふっと側面へと向かって思い切りに手を振った。


 途端、一瞬の内に、柄の折りたたまれてた槍が一直線の長い棒状へと組み上がっていた。その槍の柄は先ほどまで折りたたまれていたとは分からぬほどに、切れ目も見えなくなり、もとよりの真っすぐな棒であったようにしか見えなかった。


 穂先を地面へとはすに向かわせ、長く差し伸ばして握りこんだふでは、槍を携えながら古寺の近くへと歩み寄っていく。朽ち果てて屋根もなくなった門の狭間を通り抜け、姫芝すらも生えていない荒れ食った庭を進むと、その眼前には殆ど朽ちかけのお堂が迫ってきていた。それはたまさかに外形を保ち建物の形をしてはいるが、強い風の一つでも吹けば今にも崩れ落ちそうな酷く古びたお堂であった。


 堂の戸へと続く数段の階段へとふでは足をかけると、僅かにきぃっと板のたわむ音が鳴った。

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