90.襲撃直前四 - 荒びた古刹一

「急に言われて、とりあえず困惑しているって言えば困惑していますけれどね……。」

「そりゃ、そうでしょうがね。そこら辺りは我慢して納得してくださいな。」

「それに今から行くと、多分着くのは夕方ぐらいになりますけれど、危なくはしないですか?」

「ふむ……もうそんな時間になりますか。」


 返答と言うよりはひとちながらふでは空を見上げた。確かにいつの間にか太陽は空の真上から幾分か傾いて、あと一刻もすれば街には長い影が差す様になるだろう。陽射しの流れて影の向く方へと視線を動かして、ふでが遠く東の空へと視線を向けてみると、青い空間の向こうから分厚い雲が徐々に近づいてきているのが分かる。恐らく夜になればしたたかと雨が降ってくるのだろう。


 ただ、すぐに夕になるのも雨が降るのも、どちらかと言えば好都合であった。

 ふでは首を振って桔梗ききょうへと笑んで見せる。


「襲うにはそれぐらいが丁度良いですよ。逢魔おうまときってやつです。夕辻ゆうつじで人を襲うならもってこいですよ。」

 軽く言うてみると、桔梗ききょうは僅かばかりにふでの顔を睨み付ける。


「襲うたことがあるんですか?」

 小さく肩を竦めてふでは素知らぬように目を閉じた。


「さあて……ね。では、部屋に戻って準備を整えましょうか。」


 そう言ってふでは宿へと向かった。宿の中へと入り、泊まっている部屋へと戻ると、着ていた服をばっと全部に脱いでしまう。窓の開いて西日の射しこむ部屋の中で、裸体を晒したふでは近くにあった適当な布で全身の汗を一度拭ってしまうと、襦袢を羽織りその上に越後屋で仕立てた深い紺色の長着を羽織る。裾を上げて帯を締めこむと、そのまま淡い灰地の袴を履いていった。


「いやはや、改めて着てみると中々に重いですね。」


 着こんだ服を撫でながらふではにやついた。傍らで彼女の着替えるのを眺めながら、桔梗ききょうは重たいはずだろうと頷く。その衣服には細いながらも鉄線が織り込まれているはずで、一度試しに手に持ってみたが、普通の衣服の倍以上は重たく感じられた。にもかかわらずふでは所作に何の違和感もないように動き回り、全くをもって平然と袖や裾をはためかせて見せている。


 そのままふでは腰に打ち刀を差すと、折り畳み式の槍を袖の中へと忍び込ませ、最後に幾つかの小刀を懐へと突っ込み帯の下部へと潜ませていく。そうしてふで桔梗ききょうへと顔を向けた。

 丁度桔梗ききょうも、彼女は彼女なりに心ばかりと、腕や足に具足をつけようとしているところであったが、それを目にしてふでは直ぐ様に嫌そうに眉をしかめて声を掛けた。


桔梗ききょうさん、桔梗ききょうさん。貴女様なにをしているんです?」

 畳に座り込み、右足に具足をつけようとしていた桔梗ききょうは、キョトンとした顔でふでの顔を見上げる。


「いえ、討ち入りということですから、私も準備をしようと……。」

 桔梗ききょうがそう返事をすると、ふではやれやれと肩を撫で下ろし大仰に溜息を漏らした。


 それはまるで何か呆れているようでもあり、酷く困ったようでもあり、そんな溜息を返されて桔梗ききょうは僅かにたじろいでしまう。

 軽く首を振りながら、ふで桔梗ききょうに向かって「いいですか」と口を開く。


「打ち入るのは私だけで充分ですよ。貴女様は、場所さえ教えてくだされば、安全なところで控えておればいいのです。加勢しようなどと思わないでください。」

「え、ですが……。」

「ですがも、よすがもないんですよ。貴女様では役に立ちませんから、邪魔にならぬところで隠れていらしてください。」

「そ!それはっ……。そうかもですが……。」


 ずばり役立たずと言われてしまい、桔梗ききょうは心持ち落ち込んでしまいながら目を伏せる。確かに役立たずかもしれないが、何かしら人手として手助けできるのではと、桔梗ききょう成りに少しばかり期待していたらしい。

 なんとも落ち込んだ表情を見せる桔梗ききょうに、少しばかりふでも罪悪感を感じて仕方なくも、譲歩の案を口にする。



「そんなにも何かをしたいと言うのでしたら、私が戦うのを見守っていて、危なくなった時に助けでも呼んでくださいな。後は逃げ出せるように退路でも確保しておいてください。」

 危なくなったりなどするつもりはないがと思いつつ、ふでそう口にしていた。


「そう言うことでしたら……。」


 未だに不服そうに眉尻を下げて唇をねらせているが、それでも桔梗ききょうは何とか頷いてくれた。


 ふうっと僅かばかりに安堵してふではこれから向かうであろう東へとその視線を差し向ける。丁度日の傾き始め、空には何羽もの烏が西日へと向かい飛び去っていく所であった。間の抜けた烏の鳴き声が周囲に響き渡り、逃げるように去っていく東の空の端には曇天が滲み始めていく。


 どんよりとした空気が窓から入り込み、それは何とも物憂げな心持になる夏の昼下がりであった。


* * *


二十


 東の空から西へと向かって伸びる雲が幾分か朱へと染まり、家々の瓦屋根が赤い光沢を見せ始めた頃、ようやく二人は街の東外れまで辿りついていた。閑散として立ち並ぶ木々から延びる影はすっかりと長くなり、塀や建物の影は色濃く、そして一層にひっそりと薄暗く感じられる。僅かに強くなってきた風は、荒れ地に生えた背の長い草をかさかさと揺らし、そうして巻くように砂ぼこりを舞いあげていく。


 どこか土気交じりの風を身に受けながら、ふでは、その空気の中にどこか湿気った香りが鼻孔にまとわりついてくるのを感じていた。空を見上げれば、遠く東の空に居た雲が徐々に徐々にと迫ってくるのが見て取れた。山野辺へと視線を下ろすと、殆ど夜の帳が降りきったかの如く真っ暗闇に包まれているようであった。


 降りくる前に終わるだろうか、それとも最中に振ってくるだろうか、どちらにせよ、この暗がりは都合がよかろうとふでは口角を上げた。そうしてふで桔梗ききょうの見つめる先へと改めて顔を向けた。


「あれですか?なんとも裏寂れた寺でございますね。」

 丁度近くにあった建物の陰に隠れながらに桔梗ききょうが視線を向けている先には、古く打ち果てかけた寺があった。


 その寺は屋根として張られた板葺いたぶきの所々が剥がれ落ちてしまいっていて、土を塗り上げただろう壁は幾つか穴が開き中に下地として組まれた竹小舞たけこまいですらも折れてしまっている様子だった。小さく覗いた穴からは、僅かばかり明かりが漏れだしているのが見えて、確かにそこには人が居るのだろうと感じさせる。


 一面に荒れ果てた野辺に建てられている寺は塀すらも打ち壊れていて、そのみすぼらしい姿を遠くからでも丸見えにさせてしまっていたが、その御蔭おかげで、姿を隠しながらも中の様子を窺うことは出来るとも言えた。なんにしろ、何とも荒れ食って誰も近寄らなさそう雰囲気は、無法者がたむろするのに適しているように見える。


 丁度町外れに立っている御蔭で人も通らずに、更に言えば寺の向こうは崖になっているようで人の出入りも見張りやすい。隠れて拠点とするには良い場所なのだとは感じられる。



 ただ、一方でそれは、不意を打って襲うにも都合が良かった。


 恐らく中にいる者達は自分達は襲撃する側であり、己が襲われるなどということは露程にも考えていないのだろう。今から討ち入ろうと言うふでには何とも都合がよかった。


 ふでと同じように建物の陰に隠れながら、桔梗ききょうは尋ねてきた彼女の言葉に頷いて見せる。



「あの寺の中に唐傘からかさ陣伍じんごがいるはずです。ただ他にも結構な人数の浪人らしき男が入っていくのを見かけました。」


 それは依頼をしてきた老人の言葉とも一致した。


 不逞の輩は唐傘陣伍一人ではなく複数いるはずであり、徒党を組んでいるはずであろうと。だから複数人居るのは最初から問題ではなかった、重要なのはその人数である。


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