89.襲撃直前三

 桔梗ききょうの方はふでのことを見つけられていないようで、窓から身を乗り出すとしきりに周囲へと首を回して庭を色々と見回していっている。その様子は、どこかあどけのない小動物が、餌を探して彷徨さまようている様子にも似ていて、どこかふでは可愛らしく感じてしまい、声を掛けることも忘れてそのままきょろきょろとしている桔梗ききょうを眺めてしまっていた。


ふで殿ぉ?どこにいらっしゃいますかー?」

 なんとも気の抜けた声で桔梗ききょうがそわそわと首を右へ左へと巡らせるのを見て、いい加減声を掛けるかとふでは口を開く。


「はいはい。ふではこちらに居わしますよ。」

 軽い調子でふでが返事をしてみると、その声にすぐに桔梗ききょうは気が付いて、はっと顔を振り返らせる。声のした方へと桔梗ききょうが更に身を乗り出させて、視線を巡らせていくと、彼女は庭の一角の小楢こならが生えたその近くに木刀を持ったふでが佇んでいるのを見つけて、すぐに顔をぱっと明るくさせる。


ふで殿!」

 そう言って桔梗ききょうがぶんぶんと大きく手を振る物だから、ふでも仕方なく小さく手を振り返して見せる。


「どうされましたかー?」

 二階を見上げながら、軽く声を上げてふでが尋ねてみると、桔梗ききょうは口元に手を当てて声を大きく響かせるようにして返事をしてくる。


「見つかりましたよ!」

「見つかった?」


 怪訝けげんそうに眉根をひそめてふでが尋ね返すと、桔梗ききょうは何かを言おうと口を開いていて、出すべき言葉に迷って少し狼狽うろたえているように見えた。ただすぐに、こんな大声を出して言いあってもらちが開かないと考えたのだろう、身を乗り出して彼女は庭へと向かって指をさした。


「あーえっと、ちょっと待ってください!そっちに行きますから。」

 待っていてくださいね、と更にもう一度だけ付け加えると、すっと桔梗ききょうは窓から身を引いた。そうして部屋の中から、窓の外へととっとっとと言う軽い足音が響いたかと思うと、徐々に遠ざかっていき、ふでが窓を眺めながらしばらくそのまま庭で佇んでいると、宿の入口のある方の庭の通路から桔梗ききょうが軽く体を揺らしながら走ってきた。


ふで殿、見つかりましたよ……って、なんて格好しているんですか!」

 駆け寄ってくるなりに、ふでの格好を見てとって桔梗ききょうは慌てて目を反らす。長着の上をはだけてしまって、乳房の全てが露わになってしまっているような姿に、何故だか桔梗ききょうは気まずそうな表情を浮かべて顔を赤らめていた。そんな桔梗ききょうの態度を見て、ふでふでで多少なりに不思議そうな顔を見せてしまう。


「なにを驚いてらっしゃるのです。桔梗ききょうさんと私の仲じゃありませんか、今更、裸など気にするようなものでもありますまい。」

「えぇっ……?そんな仲じゃないでしょう……。」

 顔を逸らしながらも桔梗ききょうはしっかりと眉根を顰めて見せる。


「……なんにせよ他の方の目があるんですから、ちゃんと服を羽織ってください。」

「分かりましたけれどね、ちょいとお待ちくださいな。」


 言うて、小楢こならの木枝に打ちかけておいた手拭を取ると、ふでは汗まみれになった上半身を拭った。そうしてから、ようやくふでははだけていた服の袖へと腕を通して、着物を羽織り直した。襟を引いて着物を整えながら、改めてふで桔梗ききょうへと顔を向ける。


「それで、なんでしたか?随分と慌てていらっしゃいましたが。」

 ふでが尋ねてみると、着物を羽織り直したことに気が付いて桔梗ききょうが顔を上げながら「そうです」と口を開く。


「ついに見つかりましたよ。」

「何がですか?」

「決まっているじゃないですか。唐傘からかさ陣伍じんご達の潜んでいる場所ですよ。」


 おやと、ふでは僅かに驚いた顔を見せる。


「ほう、もう見つかりましたか。早いものですね。」


 正直なところ、最初のころには探すのに一月はかかるかもしれぬと桔梗ききょうに言われていたために、ふでとしてはこうも早く見つかると思ってもいなかった。だからこそ、見つかったと言われても瞬時、何が見つかったのかと言うのが理解できなかった。


 ちょっと驚いたふでの様子を見て、少しばかり桔梗ききょうも気分が良かったのだろう、


「まあ。人探しには慣れています。」

 と、どこか得意げに胸を張って桔梗ききょうはそう言った。

 そんな態度に、ふではわずかばかり口元を緩めて肩を揺らしてしまう。


「いちいちに態度の可愛らしいお方ですね。」

 軽くぽそりと言うと、彼女は聞き取れなかったのか、不思議そうな表情でふでの顔を覗き込んでくる。


「え?なんですか?」

「いいえ、凄いものだと思いましてね。」

「そうでしょう?」


 殊更に言ってくる桔梗ききょうの態度に、思わずも再びふでは口元をきゅっと緩めてしまう。


「ふふ、そうでございますね。……で、それで相手方は、どこにいらっしゃったのですか?」

「ええっとですね……。どうやら彼らは街の東の外れにある、打ち捨てられた古い寺にたむろしているようで、そこに籠って何やら計画やらを練っているようです。」

「古寺ですか、なるほど潜むには良さそうなところですね。」


 ふむっと顎を撫でながら頷くと、ふではふと気になったことを桔梗ききょうへと尋ねる。


「それにしても、そんな籠ってるような輩たちをどうやって見つけたのです?」

「籠ってると言うても、外の出ずに生きて行けるわけではありませんからね。たとえ中で飯を食うにしても、どこかから集めてこなければなりませんし、なにより男の方たちは、そのう……あの……夜に出かける用があったりしますでしょう?」


 多少淀みませながら口にする桔梗ききょうの言葉に、何が言いたいのかふでは直ぐに察する。暗殺などを引き受けるような者達だ、血気も逸り溜まるものもあるだろう。数日もあればその手の男達は、一度ぐらい女を買いに街に出る。だから、そう言う手合いに聞いて回ったのかとふでは理解する。



初心うぶなくせに、そういう所は目端が利くんですね。桔梗ききょうさんも。」


 多少からかう心づもりでふでが言うてみると、桔梗ききょうはつんとした顔で首を振る。


「これは里で教えられた技術ですから。そういうのではありません。」


「そうですか。」


 言いながらふでは木刀を庭の隅へと向かって放り投げた。からんからんと軽い音を立てて木刀は地面に跳ねると、そのまま木塀のたもとまで転がっていった。そうしてふでは振りつかれた体をほぐす様に腕を思い切りに延ばす。足先から腕の先まで全身をたわませて、ほうっと大きく吐息を漏らすと、すうっと息を吸い込んで、桔梗ききょうと話して緩んでいた表情をどこか真剣な面持ちに整える。



「それは、その寺とやらに乗り込みましょうか?」


 さらりとふでが言うと、今度は桔梗ききょうが驚いて「えっ」と声を上げた。



「ええっ?も、もしかして今から行こうって言うんですか?」


「勿論ですよ。早い方が宜しいでしょう?いつ成瀬のご老人に襲い掛かるかもわかりませんから。依頼人に死なれては報酬がなくなって、困ってしまいますからねえ。」


 そう言ってふでがちらりと桔梗ききょうの方へと視線を向ける。それはどこか、貴女の身のためですよとでも言うているようでもあって、桔梗ききょうは僅かばかり反論しづらくなってしまう。



「そりゃあ、まあ、そうですけれど……。」


「むしろ何か心配事でもありますか?」


 問われて桔梗ききょうは前髪を掻きあげながら、額に手を当てると、僅かばかりに唇を突き出して悩んだような表情を見せる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る