87.結城と石動二十一 - 襲撃直前一

「嫉妬……と言うわけではありませんが、そうあちらこちらへ、ふらつかれましては、私なんぞやはり連れとして要らぬのではないかと思えてしまいます。」

 どちらかと言えば、それは不安を元にした言葉であり、桔梗ききょうは歩きながらも胸に自らの手を握りこませて、切実にそう顔を俯かせてしまっていた。

 それをふでは、ふうっと一つ息を吐いて、不安を笑い飛ばす様に口を開く。


「大丈夫ですよ。桔梗ききょうさんがいらぬことはありません。もう一人ぐらい楽しい旅のお供がいても良いかとは思いますがね。」

「それは……。」

 と、言いかけて、桔梗ききょうはその言葉を飲み込む。


ふで殿がそうしたいのならば……。」


 そう言われて、ふではやれやれと今度は寂しそうに溜息を漏らしていた。

「二人だけのが良い等と言われた方が、嬉しうございましたがねえ。」

 それは桔梗ききょうに聞かせるでもない、ぽつりとした独り言で、よく聞き取れなかったのか、桔梗ききょうは「え」と顔を上げる。


「何か言いました?」

「なんでもありません。」

 肩を澄ましてふでは素知らぬ顔を見せる。


 どうせごろまたなにか、自分のことを抜けているなどと言われたのだろうと、桔梗ききょうの方はそう独り合点して顔を俯かせる。ただ、そうして黙ってていても、余計に気が重くなるだけだろうからと、しいて桔梗ききょうは話題を変える。


「それで剣華けんか組のお二人に、ふでの聞きたいことは聞けたんですか?急に店を出たりなんかしましたけれど。」

「ええ。まあ。聴けましたよ。ねえ桔梗ききょうさん。」

「はい?」

桔梗ききょうさん、あの家老のご老人とやらは、中々に厄介かもしれませんよ。」

「え?成瀬様のことですか?」


 考えてもいなかったことを突然にふでが言いだすものだから、桔梗ききょうは驚いて顔を上げる。



「何故ですか?先ほどの話では、結城ゆうき殿も人の良いお方だとおっしゃっていたではありませんか。」


「そこですよ。昨日に屋敷で話を聞いていた分には、成瀬さんは確かに剣華けんか組を嫌っておられた、それでも結城ゆうきさんの前では良い人と思われるように愛想を良くしていらっしゃるようで。どうにも矛盾を感じてしまいます。」


「ああ、そう言えば、確かに屋敷では剣華けんか組を罵ってましたね。破落戸ごろつきの集まりだとか、信用できないとか、そんなことを。」


「まあ、あの屋敷の時にも思うてはおりましたが、あのご老人は大抵に腹の色の見えぬ方ですよ。そう言う手合いは、下手に信用すると痛い目を見てしまいます。」


 ただ何度も成瀬とは相対した桔梗ききょうからすれば納得いかないのか渋る表情緒を続けているのを見て、ふでは言葉をつづけていく。



「なによりも、そこもと達からすれば、依頼主は一番信用してはならないと言う言葉があります。考えても見てくださいな。人斬りに何かを頼むなんて人が、良い人なんてことがあるはずありませんでしょう?」


「それは……。」


 言い淀みながらも、言われてみてしまえば、確かにそうかもしれないと桔梗ききょうも感じてしまっていた。


* * *


十九


 ふで桔梗ききょうが、結城ゆうき達と共に甘味を食べてから数日後のこと。


 幾つかの雲を滲ませた青空を背景に、熊蝉くまぜみ油蝉あぶらぜみの短く唸るような鳴き声が周囲へと響き渡っていた。一面の庭には乾いた土埃の微かな香りが舞い立つや、きらめく太陽の光が真っすぐに真上から降り注ぎ、家屋にはほんの僅かな短い影が生じて、それもまた酷く黒く穴のようにぽっかりとした濃い陰影を作り出していた。中天には薄く引き延ばしたような白い雲が浮かんでいるだけだったが、遠く山の方へと視線を向けると、そこには上空遥か高くまでそびえた入道雲がうずたかく雲層を作り出してた。


 遠く蒼天に包まれた名古屋の、その街の一角にある宿の庭で、随分の年輪の重ねていそうな小楢こならの一本生えたその傍らに佇み、ふでは一心不乱に木刀を振るっていた。


 長着に袴を履いた格好から、袖を脱ぎ捨てたふでは上半身を裸にして、乳房も露わに手に握った木刀を鋭く振り下ろしては虚空を切り裂いた。ふでの腕が振るわれるたびに、ひゅんっと空の裂かれる音がしては、肌ににじんでいた汗が地面に跳び落ちて、すぐさまに蒸発していく。


「ふぅぅ――」

 肺腑の奥からふでが息を吐き切ると、全身が湯立つように肌から白い蒸気を立ち上らせる。

 蒸し暑い日差しの中ですら、肌は色の濃い白湯気を舞い立たせ、一層の湿り気を帯びていった。


 ふではすっと息を吸い込み、上段に構えていた木刀の握りを持ちなおすと、汗で濡れ切っていた左掌をすっと払って袴の裾野でそれをぬぐい取る。そうして僅かに右肩の方へと寄れた場所でふでは握りを持ちなおした。にじりと草履の先から飛び出した足の指先で、足元の土を握りしめると、寸で袈裟掛けに素早く木刀を斬り落とし、振り切った勢いで手首を返すと、一呼吸の間すらもなく、即座と横薙ぎに刀身が打ち払われた。


 二度振り切ったはずにもかかわらず、その素振りの音は一つながりの長い切り裂き音にしか聞こえなかった。

 それ程に、ふでの太刀筋は素早かった。


 僅かに呼吸を乱し肩を揺らし始めていたふでは、振り切った刀を手元に戻して正眼に構えると、武術の息吹の如くに強く短くはっと息を吐き切って、無理やりに息を整える。再びに地面を踏みしめて、前方の空間を見つめたふでは、僅かに数日前の始終のことを思い出そうとしていた。


 人探しを始めた初日、甘味処で結城ゆうき石動いするぎの二人と話をした後に、結局そのまま桔梗ききょうと共に長良橋ながらばしに居ると言う駕籠屋かごやを探しに行くことになった。長良橋ながらばしについてみれば、そこには随分な数の駕籠屋かごやたむろして駕籠を傍らに地面に座り込んでいたが、その中でも目的としていた与太郎よたろう八次郎やじろうと言う男達は直ぐに目についた。細身ながらに筋肉の浮き出たような男達の中で、一際に太ももの筋肉が太ましい男二人であった。ふでからしてみれば男の体など見ているにも辟易へきえきとした気分になったが、町民の娘子達からは幾分と人気のあるようで、人目にはばかりながらもちらちらと眺めているような女性がちらほらと見受けられた。


 ともかくもと与太郎よたろう八次郎やじろうとに話を聞いてみると、彼らの言い分では件の唐傘からかさ陣伍じんごと同様の風貌をした人間を見たことがあると言う。見かけた場所を聞き込んで絞り込むと、桔梗ききょうが言うには、そこから更に聞き込みやら張り込んで人を探していくのだと言う。話を聞いて、存外に早く見つかるのかもしれず、さっさとその見かけた場所とやらに行こうふでが考えていると、そこで桔梗ききょうから待ったがかかった。


 桔梗ききょうが言うには、そこからは自分一人探したいのだと。



ふで殿が居ると、色んな騒動に顔を突っ込まれて、余計に時間がかかりますから……。」


 申し訳なさそうにしながらも、そうはっきりと言われてしまうと、言わていることが確かにその通りであるがゆえに、ふでとしてはぐっと痛いところを突かれた気持ちで反論できず、唸りながら顔を渋らせることしかできなかった。


 独りで行動させるのは不安でもあったが、桔梗ききょうが一切に譲ろうとせずに強く言ってくるがために、結局、ふでは渋々といった形で彼女の提案を飲まざるを得なかった。そのためにふでは一人手持ち無沙汰となってしまい、ここ数日は桔梗ききょうが街で人探しをしている間、ずっと宿の庭で剣を振るってばかりいた。

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