86.結城と石動二十

「おに……藩主と仲が悪いっていうのは良く聞きます。あとは商屋から賄賂を受け取っているとか、米相場を弄って利ザヤを得ているとか……そう言うお金に汚いって噂ですね。」

 良くある話ではあった。商売の繁栄とそう言った賄賂とは表裏一体の所がある。賄賂を効くからこそ、商売人はお上の言うことなぞ気にする必要もなく伸び伸びと商売が出来て経済が回る。経済が回るから金に余裕が生まれ、至る所に賄賂が蔓延する。良い悪いはあるが、世情と言うものはそういう所があった。


 むしろふでが気になったのは、藩主と仲が悪いという部分だった。


 それは成瀬の家で老人本人から聞いたことと合致し、街で噂になると言うほどであれば、決定的に仲が悪いのだろうと感じさせる。

 ふむっと唸って、考え込んでいるふでの顔を覗き込んで、結城ゆうきは成瀬のことを悪く言いすぎたのかと思ったらしく、どこか慌てた様子で多少取り繕うように言葉を続けた。


「あ、でも、こういうのってやっかみが入ってると思いますから、そんなに気にしない方が良いと思いますよ。」

「そういうものですか。」


 どこか慌てた調子の結城ゆうきに、ふふっふと微笑んだふでは一つ肩をすくめて見せる。

 そうして手にしていた団子の最後の一玉を口に入れると、ふでは椀に残っていた煎茶をくいっと飲み干した。そうして、四人の並んでいた長椅子の一角に、ことりと椀を置く。


「さて、団子も食べ終わりましたし。そろそろ私たちはお暇いたしましょうかねえ。ねえ桔梗ききょうさん?」

「え?」

「えっ。」


 桔梗ききょうと、そして結城ゆうきとが同時に顔を上げた。桔梗ききょうは急に声を掛けられた驚きで、頬張っていた大福をのどに詰まらせそうにしながら、慌てて煎茶を口にしながらとんとんと胸を叩いてふでへと視線を向けた。もう一方の、結城ゆうきの、どこか寂しそうにしながらくっとふでの袖を掴んで軽く引いていた。


「もうですか?私はもっとお話ししたいんですけれど……。」

「ちょいと用事を思い出しましてね。多少急ぐこともございますしね……。ねえ、桔梗ききょうさん。」


 そう言ってふでが、桔梗ききょうへと目を向ける。


 桔梗ききょうは一瞬片目を瞑って、渋い表情を見せた後に、

ふで殿が言うのでしたら、まあ……そう言うことなんでしょうね。」

 と、小さく言って頷いた。


 桔梗ききょうに取ってみれば、今しがた聞いたばかりのことであったが、まあこの相手にとやかく言っても仕方なのないという諦めもあった。ふではそんな桔梗ききょうの諦めの態度に肩を竦めながら、結城ゆうきへと視線を向けなおす。


「まあ、そう言うことでございますから。ここでおいとまいたしますよ。それにね。このまま結城ゆうき様とたのしくお話ししているのも良いですが、悠長ゆうちょうにしていると、石動いするぎさんの眉間の皺が取れなくなりそうですしね。」


 愉快そうに肩を揺らしてふで石動いするぎへと目を向ける。視線の先で、石動いするぎ結城ゆうきに袖を引っ張られ慰留いりゅうされているふでねたましそうな表情で睨み付けているところだった。その表情はいかにも厳めしく端正であったが、その理由を察してどうにもふでは楽しい気分になってしまう。


「お話し楽しうございましたよ。」

 軽く笑みを浮かべながらふでは立ち上がろうとして、そうしてわざとらしく思い出したように石動いするぎへと顔を向けなおす。



「ああ、そうです。そうです。最後に石動いするぎさんに一言だけ。」

 そう言うてふでは身を屈ませると、訝しんだ表情を見せる石動いするぎの耳元へと顔を寄せる。


「なんだ?」

 一層に顔を顰めさせて怪しんだ表情を見せる石動いするぎに、ふでは「ちょいと内緒のお話しを」と二人にしか聞こえないような小さな声で喋り始めた。


石動いするぎさん。貴女様。そこの結城ゆうき様に懸想けそうなされていますよね?」

 耳元でふでがそういった瞬間、一気に石動いするぎの顔が真っ赤になった。


 懸想けそうとは恋い慕うことであり、言うてみれば石動いするぎ結城ゆうきに対して思慕を抱いているのだろうと、ふではそう言うていた。それを石動いするぎは頬を真っ赤にさせながら、ばっと体を引くと、キッとより一層にきつい目線でふでへと睨み付ける。


「き、貴様はっ!一体なにを言い出す!?」

 しどろもどろになりながら、慌てて食って掛かってくる石動いするぎの態度に、ふではむしろしんを得たりと言った様子でにいっと口元を緩めると、何とも可笑しそうにくすくすと微笑む。


「いえ。何。それならそれで、私も他人の恋路を邪魔するほどの野暮天やぼてんではありませんよと、そうお伝えしたかっただけで。局長様に手はお出しいたしませんから、ご安心くださいな。」


 そう言ってふでは視線だけ結城ゆうきへと向けさせながら、石動いするぎに対して揶揄うようにひらひらと手を振っていた。

 そんな彼女の態度に石動いするぎは余計に顔を顰めさせて、むしろギリっと歯ぎしりの音を立てるほどに苛立たしそうな表情をみせた。

 ふではそれをむしろ面白そうに肩を揺らすと、桔梗ききょうへと向かって振り返る。


「それでは行きましょうか。桔梗ききょうさん。」

「あっ、ちょ、ちょっと待ってください。」

 桔梗ききょうは少しだけ手元に残っていた大福を慌てて口に入れると、それをそのまま煎茶で思い切りに飲み下すと、ほうっと吐息を漏らして、それでようやく立ち上がった。

 そんな二人の姿を、結城ゆうきはどこか寂しそうに見つめていた。


「また、お会いできますかね?」

 名残惜しむ様に訪ねてきた結城ゆうきの言葉に、ふでは頭を掻きながら首を傾げる。


「そうですね……機運きうんが合えば、きっと会えましょうよ。」

 さぱりと最後にそう言って、ふでは出口へと向かって歩き出していた。桔梗ききょうも直ぐに歩き出して、二人はそのまま茶屋の外へと出てしまう。



 茶屋の外へと出てみると、往来は店に入る前よりも一層に賑わっているようで、どこもかしこも、わいわいと騒々しく行き交う人の話し声が交じり合い、濁った音となって二人の耳へと煩わしく伝わってくる。ただそれが、今の二人にとっては、互いの話を掻き消してくれる都合の良い雑多さともなっていた。


 二人が往来の人波の間へと入り込むと、ふではそのままふむっと唸った声を上げて顎を撫でる。道向かいから歩いてくる人々は、二人が横並びに歩いているの気が付いて、煩わしそうにきびすを返すと、大きく道を迂回して通り去っていく。桔梗ききょうは道幅をとっていることに申し訳なく思いながら、ふでの後について歩き、その顔を覗き込む。


 その表情は先ほどまで結城ゆうきたちと話していた、どこかのんびりとした雰囲気とは打って変わって、酷く真剣な顔で何かを考えこんでいるようでった。それは恐らくは、先の会話でふでが尋ねていた内容のことへと思慮を向けているのだろうと桔梗ききょうにも感じられた。



「あの……剣華けんか組の方達とのお話はもうよかったのですか?」

 尋ねてみると、ふでははたと顔を上げて、傍らについて歩いてくる桔梗ききょうへ気が付き、軽く頷いて見せた。



「ええ。あれで充分でございますよ。」


「で、どうでしたか?」


「いやはや、二人とも随分なお美人様でしたねえ。」


 惚けて言うふでの言葉に、桔梗ききょうは思わずも肩を下ろして溜息をついてしまいながら

「ふ、で、ど、の?」

 と、わざと仰々しく名前を呼んで、殊更な笑顔を浮かべながら、じっとその顔を見つめた。


 それでふでは思わずも肩を竦めて、冗談ですよと言い訳するようにして軽く笑っていた。



「いえ、なに、ただの感想でございますよ。彼女たちとどうなりたいなどとは思うておりません。」


「それは本当ですか?」


「本当ですよ。先もそうでしたが、桔梗ききょうさん、貴女様。嫉妬してくださっているのですか?」

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