85.結城と石動十九

「確かに旅をすると言うのは面倒なこともおおございますね。妙なしがらみにも囚われたりもしていささかに面倒な事もあります。昨日も、なにやら尾張の家老だと言う方と出会いましてね。」

 そういった瞬間に、結城ゆうきは驚いて「えっ」と軽く声を上げた。


「家老って成瀬様のことですか?」

 先の説明からすればふで桔梗ききょうとは、単なる旅の武芸者ということになる。それが家老と会うなどということが信じられなかったのだろう、結城ゆうきの声には随分な驚きが混じっているようで、分かりやすく目をぱちくりとさせている。


「成瀬様。そう言うお名前でしたかねえ。」


 妙にとぼけた調子で、ふでは顎を撫でながらうろ覚えを装って言った。それは、相手に頓着していないと見せかけるつもりなのだろうが、それが一層に結城ゆうきの興味を引いて、少女はわくわくとした様子でふでへと顔を向ける。


「一体どういうわけでお会いになったんですか?」

「そうですねえ……。」


 どうにも勿体ぶった雰囲気で言葉を止まらせるが、それを結城ゆうきが早く早くと言うかのごとくに袖を引っ張るものだから、仕方なさそうに微笑んで、すぐにふでは言葉をつづける。


「まあ、私はこれでも腕の立つ方でしてね。それなりに名も通っておりますから、あちらも武家の方ということもあって、幾分と武芸に関して興味を持っていただかれたのですよ。それで家に招かれて色々と聞かれれることになりました。正味、面倒だと思いましたがね。」


 つらつらと、ふではそう言った。

 横で聞いていた桔梗ききょうは、いつもながらに何ともまあ、すらすらと嘘を並べられるものだと感心して耳を傾けてしまう。


 実際、いまだ戦乱の香りが残るこの時代、平和になったとはいえ、幕府や藩の上層部にも兵法家に興味を持つ手合いと言うのは少なからず存在していた。それどころか藩主ともなれば腕の立つ武芸者を剣術指南役として抱え込み箔をつける、と言うことは頻繁に見られることですらあった。より強い兵法家を抱えられるのは、家の強さを示しているともいえた。だからこそ、それが立ち合いで名を上げてしまおうと言う不埒な者共を助長もさせていて、逆説的に、未だ戦乱の世の中から抜け出せていないことを民衆に感じさせる遠因ともなっていると言ってよかった。


 それがひいては剣華けんか組が果たし合いを許容しないと言う態度にも繋がってはいるのかもしれない。そう感じると、桔梗ききょうは湯呑を手に取ると、そちらの方が自分には好都合だけどと心の中で独りちながら、一口煎茶を啜り上げていた。


 傍らでは服の袖を掴んでくる結城ゆうきふでが見下ろすと、穏やかな笑みを浮かべながら、今度は問い返す様にして自らの疑問を口にしようとしている所だった。


結城ゆうき様は、そのご家老様とお知り合いなのですか?どうにも、結城ゆうき様の態度を見るに、そのように感じてしまいますが。」

「えっと、そうですね。組の関係で御城に呼ばれた時とかに、お会いしたりしていますよ。」

「ほう、なるほど。そう言うことでしたら。多少なりとも成瀬様の人となりと言うものを、ご存じだということでしょうか?」

 僅かばかりふでは興味深そうに目を細めて、結城ゆうきの幼い顔を見つめる。


 唐突にそう言ったふでの心持は単純で、自らに依頼をしてきた当人の評判と言うものを、少しばかりでも良いから確かめておきたいという算段が含まれていた。そんなことは当然の如くに結城ゆうきが知る由もなく、先ほどまで興味深そうにふでの話を聞いていた彼女は、途端に躊躇とまどったような表情を見せた。


「少しは知ってますけど……それがどうかしたんですか?」

「いえね、どんな方かと思いまして。」

 軽くふではそう言ってみたが、結城ゆうきの方は少しばかりいぶかしんでいる様子で、不思議そうに顔を覗き込んでくる。


「ええっと……。どうして、そんなことを聞くんですか?」

 それは随分と素朴な言いようであり、きょとんとした表情を見せる結城ゆうきの雰囲気から、本当に単純な疑問から口にしているのだと思われた。


「なにと言うこともありませんが、これからもお付き合いがあるかもしれませんからね。その人となりを知っておきたいと言うのは変な事でしょうかね?」

「いえ、そんなことはないと思いますが……。まあ、理由は分かりましたけど、私もそんなに仲がいいと言うわけではないですよ?」

「それで構いませんよ。お教えいただけますか?」

「そうですね……私からすると成瀬様は、何というか、人の良いおじいちゃんって感じですかねえ。」

「ほう。それはどう言う?」

「いつお会いしても、にこにこ笑顔で接してくれますし、優しいこと言ってくれますし。お城では組のことに嫌なことを言う人も居ますけれど、成瀬様からそう言うことを聞いたことないですから。」

「なるほど、なるほど。優しい御仁なのですねえ。」


 言いながらふでは僅かに肩をすくめる思いでいた。昨日、あの屋敷で会った成瀬が言っていた言葉を思い出すに、かの老人は剣華組のことを苦々しく思っていたはずであり、その言葉が確かであるならば結城ゆうきの言う人物像とは正反対の人間である。軽く見ていれば確かに人の良い老人には見えなくなかったが、あの人を試すかのようにしたたかな目線を見せていた老人が優しい等と、彼女の前では偽りの仮面の被っているのだろうと言うことは想像に難くなかった。


結城ゆうき様以外の方は、どう思ってらっしゃるのでしょうか?石動いするぎさんなどはお会いしたことあるのですか?」

 ふでの問いに石動いするぎは軽く首を振るった。


「私も護衛で城に訪れたことはあるが、成瀬様と直接にお会いしたことはないな。私では会えるような身分のお方ではない。」

 結城ゆうきもその言葉に頷く。


「私以外に直接あったことあるのは、多分副長ぐらいでしょうか。」

「その方は何と?」

「ええっと……成瀬様に関して何か言ってるとかは聴いたことないですね。多分聞いたとしても、副長は笑顔見せるばっかりで何とも言いませんね。」

「そうなんですか。」

「そう言う方なんですよ。いつも笑顔で、みんなをからかったり、楽しいことを言ったりして、組を和ませてくれます。」

「ほう。」


 ここにいない副長とやらの話は、それはそれで興味深かったが、今はそれよりも成瀬のことが一番に気になることであった。


「他には成瀬様のことを知っている人はいないのでしょうか。」

 うーんと結城ゆうきは腕を組んで考えこむと、んっと不意に顔を上げて思いついたように口を開く。



「私以外の印象ってことで言うと、街で成瀬様の噂を耳にすることがあるんですけれど、噂は良い噂と悪い噂が半々って感じですねえ。」


「街の噂ですか。どんな噂があるのでしょうか?」


「良い方の噂は、今の名古屋がこれだけ華やかで栄えられているのは成瀬様のお蔭って言う人が結構いますね。手形の発行を整理して商売をやりやすくしてくれたとか、荷物を運ぶ街道の整備に力入れてくれたとか。」


「悪い方の噂は、どんな風なのです?」


「えって……こう言うのって言って良いんでしょうか?」


 育ちが良いせいなのだろう、あまり人の悪い所をあからさまに口にするのが憚られるのか、どこか周囲を気にしているように結城ゆうきはきょろきょろと視線を巡らせている。



「まあ、人がどんな噂をしているか言うだけですよ。本当に結城ゆうき様が思うておるわけじゃないと、皆承知しておりますから、お気になさらずに。」


「そう……ですね……。えっと悪い方の噂は。」


 それでも多少躊躇いがちながら、結城ゆうきは小さく口を開いた。


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