84.結城と石動十八

ふでさんと桔梗ききょうさんは、どうして名古屋に来たんです?昨日の様子だと、ここに住んでる人ではないって感じがしましたけれど。」


 問われてふではふむっと顎を撫でながら、少しばかり考えこむ仕草見せる。

 少なくとも「密書を運んできた」などと素直に理由を答えることはできようはずもなく、何と言うべきなのかと逡巡しゅんじゅんしながらふでは天井を見上げた。傍らの桔梗ききょうへと視線を向けてみるが、彼女は少し心配そうに目を向けてきているが、彼女自身からどうこう言うつもりはなさそうで、ふでの言葉を待っているかのようだった。


 仕方ないとふでは視線を下ろすと、適当に煙に巻こうと口を開くことにする。


「言う通り、こちらには昨日初めて来ましたよ。実のところ、私は腕試しに国々を巡っておりましてね。ここに来たのは、そのいでと言うものです。」

 素知らぬ顔をしてふではしれりと嘘を口にしていた。


 事実、腕試しをしていたと言うのは嘘ではないし、いでと言うのも嘘ではないのだが、来た理由としては完全に嘘であるが、それを全く感じさせないようにふでは素知らぬ態度をとっていて、その傍らで桔梗ききょうも何も言わずに軽く頷いて見せていた。


「腕試しですか?いわゆる武者修行とか、そう言うものですか?」

「そうそう、そう言うものでございますよ。見たことはございますかね?」

「見たことがあるというか……、取り締まったことがありますね。」

「おや……。」


 僅かに驚いてふでは声を上げてしまっていた。その反応を予想していたと言うように結城ゆうきは首を頷かせる。


剣華けんか組では、名古屋の街中での果たし合いを認めてないんですよ。していたら、喧嘩してる人達と同じように取り締まって、屯所の中に入ってもらうことになります。」

「それはそれは、困りましたねえ。」

「まさか、すでに果たし合いをしたとかじゃないですよね?」

「しておりませんがね。そうでございますか。それでは酷く退屈な滞在になりそうですか。」


 溜息交じりにふでがそう言い捨てると、傍らで桔梗ききょうが、

「退屈で良いじゃないですか。」

 と呆れ気味にそう言っていた。


 騒動に巻き込まれてきた桔梗ききょうからすれば、そんな心持にもなるのだろう。ふふっと、桔梗ききょうの言葉に、ふでは肩を揺らしながら微笑むと、「ああそうだ」と思い出したように言葉を付け加える。


「こちらの桔梗ききょうさんは、私の旅の友と言う感じでして、一緒に旅をしてもらっているのです。」

「へえ、一緒に旅ですか……。」


 どこか感心した様子でふでの言葉に耳を傾けながら、結城ゆうきは手に持っていた大福を一つ頬張った。ただ、頬張ったは良いが余りにも大きく口を開けて齧りついたせいか、勢い大福の齧り後から餡子が飛び出して結城ゆうきの口元へと小さな欠片がちょっとばかり付いてしまった。それに直ぐに気が付いて、石動いするぎはひょいっとその細長い指を、結城ゆうきの口元へと伸ばす。


「局長。餡子が口についてしまっていますよ。」

 するりと石動いするぎの細い指先が、結城ゆうきの下唇の僅か下を撫でて、小さな餡子の固まりを拭った。白く細い石動いするぎの指の先に、黒い餡子の固まりがちょいとついて、結城ゆうきの口元から僅かに離れた。


「す、すみません……。」

 自分が粗相をしてしまったという恥ずかしさからか、結城ゆうきは僅かばかりに頬を染めながらそう言うと、ふいと自分の口元から離れていく石動いするぎの指先へと視線を向ける。そこには小さな餡子の固まりがあって、丁度石動いするぎの左手が払い落そうとしているところであった。


「あっ、もったいない。」

 小さくそう声を上げると、結城ゆうきは思わずもひょっと口を大きく開けて、次の瞬間にはぱくりと石動いするぎの指先へと食いついていた。


「うえ!?」


 不意に、指先に感じる柔く温かい感触に驚いてしまって、石動いするぎは情けの無い奇妙な声を上げてしまっていた。そうして、すぐにそれが結城ゆうきが指先へと吸い付いてきたのだと気が付いて、「ひぅ!?」と更に素っ頓狂に悲鳴のような声を上げてしまっていた。


 びくりとして体を硬直させながら、自らの指先に吸い付いてくる結城ゆうきの姿を見つめて、石動いするぎはすぐに顔を真っ赤にしながらどぎまぎと視線を左右に狼狽えさせながら、緊張でこくりと喉を大きく鳴らした。


「あ……あの……きょ、局長……?」


 酷く緊張した石動いするぎの喉からは、裏返った小さな声が溢れ出ていた。


 そのおずおずとした言葉に気がついたようにして、指先へと吸い付いていた結城ゆうきが僅かに視線を慌てている石動いするぎの方へと向けると、はたと口を離した。ちゅぽっと僅かに濡れた音を立てた唇が、ついっと唾液を僅かに滴らせて離れると、結城ゆうき石動いするぎに向かって、多少恥じらうように微笑んだ。


「すみません。もったいなくて、つい……汚かったですよね?拭いちゃいますから。」

「い、いえっ!そんな、お気になさらずに!!大丈夫ですから!」

 慌てて酷く裏返った声を出すと、石動いするぎは必死で何度も首を振るって、その指先を手に取ろうとした結城ゆうきの手を振り払い、自らの腕を抱え込んだ。


「そうですか?」

「は、はいっ……大丈夫です。」


 不思議そうな表情で見上げる結城ゆうきに向かってそう言うと、石動いするぎは自らの指を胸元へと持っていき、どこか顔を赤らめながら唾液に濡れた指先をじいっと見つめる。妙に顔を赤くして呆けたようにぽーっと石動いするぎはその指先を見つめ続けていて、ふではちょっと微笑ましく感じながら、そんな彼女の姿を眺めながら目を細めて小さく肩を揺らしてしまっていた。


 結城ゆうきも、やはり少しばかり不思議そうに首を傾げながらも、それよりもと言った雰囲気で桔梗ききょうの方へと顔を向けなおした。


「それで、さっきの話の続きなんですけど。二人で色んな国を巡ってるってことですよね?」

「そうですね、まあ……。」


 多少なりに桔梗ききょうは言葉を濁す。本当のことを言えば、まだ出会って四日目であったが、それを説明すれば道連れとなった理由も説明せねばならぬだろうし、細かいことを根掘り葉掘りと尋ねられる可能性を考えられて、桔梗ききょうは曖昧に頷いておくことにした。


「自由に気の向くまま、旅するなんて楽しそうですね。」

「楽しいですか……そう思われますか?」

「そうじゃないんですか?私なんて生まれてからずっと地元か、名古屋の街ぐらいしか行ったことが無くて、色んなところ見て回ったら楽しいんだろうなって思うことがあります。」


 心底にそう思っているようで、どこか羨望と言うべきか、羨ましさの混じった結城ゆうきの言葉に、桔梗ききょうは僅かばかり仕方ないように吐息を漏らしてしまう。



「色んな所に行くのは物珍しさはあるかもしれませんけれど、楽しいかと言われれば……どうでしょうかね……。苦労の方が多い気もしますよ。それに道中には様々な危険がありますから。」


 その言葉の端々には随分と苦々しさを感じさせる響きがあり、桔梗ききょうは言いながらちらりと自らの腹部へと視線を向けていた。そこは先の道中で輩に襲われて刺し傷が出来た箇所であり、未だに少し痛むのか桔梗ききょうはそっと掌を沿わせて眉を潜ませていた。



「そんな大変なものなのですか?」


「大変ですよ。少なくとも、ふで殿と一緒に旅をするのは大変ですねえ。気が付けば喧嘩やら斬り合いやら首を突っ込もうとしまうすから。」


 どこか嫌味を含ませて桔梗ききょうが視線を向けると、ふでは目を閉じながら自分は知らぬとでも言いたげに肩を竦めて見せる。そんなふでの態度に、桔梗ききょうはふうっと仕方なく溜息をついて、やはり仕方ないという風に小さく笑った。



ふでさんも、旅するのは大変だと思ってるんでしょうか?」


 素朴な疑問と言った様子で結城ゆうきが尋ねてみると、ふでは少しばかり首を捻った後に、「まあ、そうでございますね」と素直に頷いていた。

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