81.結城と石動十五

「ご老人の真似、何ともお見事ですね。随分と似ておりましたよ。」

 話の内容には全く言及せずに物まねだけを褒めたふでの言葉に、結城ゆうきは一切に疑問を持たず素直に表情を明るくして、嬉しそうに顔を上げる。


「そうでした?似てましたか?」

「ええ、とても似ておりますよ。」


 褒められたことを単純にあどけない態度で喜ぶ結城ゆうきが、どこか微笑ましく感じて、ふではすっと腕を伸ばして彼女の頭へ掌を当てた。触れてみると、予想外なほどに柔らかく、一切髪にきしみを感じられないほどに触れるだけさらさらとした感触が伝わってくる。その感覚が気持ち良く、髪の毛一本一本を掬いあげるようにしてふでは彼女の頭を子供を褒める時のようにと軽く撫でつける。


 存外とそれが嬉しかったのか、結城ゆうきは一層に顔を綻ばせて、ぎゅっと嬉しそうに目を瞑った。


 ただ、途端にふでは刺すような怒気を感じてを顔を上げた。

 長椅子の端に座っていた石動いするぎが、今にも食って掛からんほどの険しい表情でこちらを睨みつけていることに気が付く。


「局長に汚らわしい手で触れるな。」


 やにわに、石動いするぎの手が伸びたかと思おうと、結城ゆうきの頭を撫でていた腕をはしりと掴んできた。その力は撫でるのを止めようというのには、明らかに強く、掴んだ指先がぎりぎりと手首へと食いこんできしむような音を響かせた。今にも腕を折らんばかりの力を指先に籠めながら、険しい顔で睨み付けてくる石動いするぎに、むしろふではふふっと笑みを返しす。


 その表情が意外であったのか、石動いするぎは虚を突かれたかのようにして、険しかった顔を僅かばかり戸惑わせた。


「ふふふ、石動いするぎさん、貴女様もお綺麗ですから、私としましては貴女様が相手してくれるのでも、それで良いんですけれどね。」

「あぁ?何を言ってる?」

 ふでの言っている言葉の意味が分からずに、石動いするぎは怪訝そうにして細い瞼を一層に細ませる。


 途端、ふでは掴まれている腕を、思い切りにくっと引っ張り込んだ。


 腕を掴んでいた石動いするぎの体はやにわに引っ張られた。咄嗟のことに足でぐっと地面を踏みつけて堪えようとしながらも、石動いするぎの体は前のめりにふでへと向かって近づいてしまう。くっと接近した石動いするぎの鼻先へと、すっともう一方のふでの腕が伸びてきて、細い鼻頭の傍らをすりぬけると、頬へと触れて指先でさらりと撫でつけた。細く白い指先が、すらりと細い石動いするぎの肌を伝ってなめらかに滑ると、すうっと顔端の線をつたって、そのまま顎先あごさきの突端でひたりと爪の先を押し当てる。


 僅かに尖った爪先が、石動いするぎの肌に小さな窪みを作らせていた。


「いえ、なにね……。貴女様のような綺麗な方ににらまれるのも楽しうてございましてね。どうです?私と良いことを致しませんか?」


 言いながら蠱惑こわく的に微笑んだふでが、すうっと体を屈めて、石動いするぎの眼前へと顔を近づけていく。互いの鼻先が触れそうなほどな接近して、ふでは口元を緩めると、糸のように細い石動いするぎの瞳の中を覗き込んでいく。そのままふでは触れさせていた掌を、動かして触れていた頬をさらりと撫でつけた。


 あまりに突然の行動に虚を突かれていた石動いするぎは、その掌のなまめかしい感触にはたと気を取り直すと、慌てて掴んでいた腕を離す。そうして、ばっと勢いよく体を仰け反らせると、触れられていた自らの頬を抑えて眉根をしかめた。


「何だ貴様は……。気色の悪い。」

 体を引かれて、虚空に漂うことになった自らの掌を僅かに握らせて、ふでは僅かに物足りなさそうな表情を見せる。


「おや、駄目ですか。残念。」


 そうふでが言った瞬間、着物の襟がくっと掴まれて、彼女の体は後ろへとぐいっと引っ張り込まれた。何をやと顔を振り返らせると、そこには、襟を掴みこんだ桔梗ききょうが、どこか唇を拗ねらせるように尖らせて見つめてきていた。おやと思いながら、ふでが首を傾げて見せると、桔梗ききょうは一層にぐいっと襟を引っ張り込んで、その顔を近づけてくる。


「えっと、桔梗ききょうさん……どうかいたしましたか?」

 そのどこか虫の居所の悪そうな彼女の顔に多少気まずさを感じながら、尋ねてみると、桔梗ききょうは一層に顔に顔をむすっと渋らせて、そうしてゆっくりと口を開いた。


「いえ、別に……ふで殿は、誰彼構わず手を伸ばすものだなと思いましてね。いえ、何でもありません。変なことを言いました。」

 どこか棘のある桔梗ききょうの言葉に、ふでは僅かばかりしどろもどろと言葉を迷わせてしまう。


桔梗ききょうさん……これはそう言うものではありませんよ。」

「……じゃあ、一体どういうものだっていうんですか?こんな風に誰でも彼にでも、手を出すのならば、私なんかと旅を共にする必要なんてないんじゃないですか。」


 あんまりにも拗ねた様子で言う桔梗ききょうの言葉に、心持あたふたと焦りながらも、宥めるつもりでその頬へと手を伸ばした。するりと掌を触れて、頬を撫でてみると、桔梗ききょうは僅かばかり顰めていた眉の皺を緩めるが、すぐに視線を逸らす。

 慌ててふでは眉尻を下げてしまう。


「そう言わないでくださいな。桔梗ききょうさん。貴女様が不要などとありえませんよ。あ、でも、それならば……一つ聞きたいのですが。」

「……なんですか?」

「こうやって私が誘うのを止めるということは、今後は桔梗ききょうさん、貴女様が色々と私のお相手してくださると考えて良いのでしょうか?」


 多少、やりこめるつもりで口にしてみると、桔梗ききょうは途端と顔を真っ赤にして、うっと顔を僅かに引いた。その顔は耳の先まで、余りにも真っ赤に朱に染まり、今にも火でも上がりそうな色を呈していた。そうして、桔梗ききょうはしどろもどろと左右に目線を移ろわせて、先ほどまでの威勢とは打って変わった消え入りそうな声を上げる。


「あの……相手って……。」

「剣の相手や、あとは、しとねのお相手でございますよ。」

 どこかしれりとした口調でふでが言ってのけると、桔梗ききょうは一層に顔を赤くさせる。頬どころか耳の天辺さえも赤くなって見える。


「それはっ……。」

 微かに喉から声を出すや、桔梗ききょうは掴んでいた襟の布をぱっと手を離して、やにわに顔を俯かせる。



「いえ、その……私にそう言うことが出来るわけではありませんが……。その……。」


 わたわたと掌を左右に振ってばたつかせると、緊張したように太ももの間に手を挟み込ませて、真っ赤にした顔を俯かせて桔梗ききょうは、もじもじと体を揺らす。そうして「ぐぅ……」と僅かに唸ると、桔梗ききょうは顔を赤くしたまま、押し黙ってしまった。


 結局のところは相手をしてもらえないと言う答えだったことは、それはそれで悲しくはあったが、ふでは取り立ててて口にすることもなく、掴まれていた襟を直しながら、引っ張り込まれて倒れそうになっていた体を引き起こす。そうして視線を戻してみると、今までの話の流れが全く意味の分かってないように、結城ゆうきはきょとんっと不思議そうな瞳をして顔を見上げてきているのに気が付く。


「えっと……皆さんは何のお話をされているんですか?」


 何ともあどけのない口調で言いながら、酷く無垢で円らな結城ゆうきの瞳が見上げてくるのを、ふではふむっと一息声を漏らし、自らの顎を指先で撫でつけた。


 素直に言うても良かった。こう言う全くの物知らずな無垢な少女が顔を赤らめるのも、それはそれで楽しかろうが、ただ、言うたとしてもどうせすぐに理解はできないであろうし、それで説明を求められて教える手間も今は面倒であって、それが故にふでは素知らぬ顔で適当なことを言ってしまうことにする。



「いえ、なに、石動いするぎさんが綺麗だという話をしていたのですよ。」


「はあ?」


 適当な戯言のつもりでふでうそぶいてみると、結城ゆうきの向こう側に座る石動いするぎが素っ頓狂な声を上げて、何を言い出すのかと言ったような訝しんだ表情を見せていた。


 釣り上がって見える程に目筋は細く、厳格な顔をしているのに、先ほどから、なんともまあ愉快に表情の変わる御仁だと思えてしまう。


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