80.結城と石動十四

「私は結城ゆうき結城ゆうき紅葉もみじです。それでこちらが……。」

 結城ゆうきと名乗った少女は、すっと石動いするぎの方へと指先を伸ばした。

 それで言葉を促したつもりだったのだろうが、石動いするぎはすんっと澄ました顔で佇まいを伸ばしたままに何も言わずに顔を逸らす。それを見た瞬間に結城ゆうきは「もうっ」と途端と子供っぽい口調に戻って、顔を見る間に渋らせていた。


石動いするぎさんっ。名前ぐらい自分で言ってくださいよ。」

 結城ゆうきはそう言って袖をひっぱるが、全くを持って口を開くつもりもないのか石動いするぎは表情を全く動かすこともなく、ふで桔梗ききょうの二人を一顧だにしようとしていなかった。


石動いするぎさんってばぁ……。」

 せがまれてようやく仕方の無いと言った表情をするが、それでもふで桔梗ききょうには顔を向けず石動いするぎは口を開いた。


「既に局長が私の名を呼んでいるのですから、それでもう良いじゃないですか。」

「挨拶とか名乗りって、そう言うものじゃないでしょう?礼儀ですよ。」


 結城ゆうきたしなめられて、石動いするぎは大仰にふうっと溜息を漏らすと、その糸のように細い目をふで桔梗ききょうへと向けて、抑揚のない声で口を開いた。


石動いするぎしずだ。」


 短くそれだけを言った。余りにも端的で感情の無い言葉に、傍らで聞いていた結城ゆうきは目を白黒とさせて、すぐにやれやれと首を振ってしまっていた。先ほどから見ていても、二人の間柄と言うのが随分といびつであるような雰囲気があるようだった。結城ゆうきは局長であり石動いするぎが護衛だというのに、石動いするぎ結城ゆうきの言うことをろくすっぽ聞いていないようように見え、ましてや石動いするぎの方が一目にも成人しているであろうに、髪も結わぬ幼き結城ゆうきからたしなめられているような始末となっている。全くを持って二人の間柄と言うのが、ふで桔梗ききょうには奇怪なものに見える。


 ただそれよりも一層に桔梗ききょうが気になったことは、二人ともに姓を名乗ったことであった。

 家老の屋敷で聞いたことが事実であるなら、江戸の傍流だという結城ゆうき紅葉もみじが姓を名乗るのは兎も角も、護衛程度であるはずの石動いするぎが姓を名乗ったということは、彼女もそれなりの出自であるのか、そう思わざるを得ない。


 そこら辺の私事わたくしごととなる機微と言うものを尋ねても良い物だろうかと、桔梗ききょうが考えているうちに、女給が直ぐにお盆を持ってやってくる。


「お待たせいたしました。」

 昨日入った蕎麦屋とは全く違ううやうやしい態度で、そう言うと女給の女は、四人の座っている長椅子に向かって、順々に煎茶を並べていき、そのうえで甘味の注文相手を確かめるように置いていく。


 一瞬だけ、話の流れに乗って何か話すべきだろうかと、全員が感じながらも、差しあたっても、この並べられた甘味を手に取るかと言う雰囲気になって、とりあえずというようにふでは煎茶を手に取った。そうしてずずずっと妙に小気味の良い音を鳴らして茶を啜りだす。

 それで、他の面々もまあ良いやと言う雰囲気になって、甘味へと手を伸ばしていった。


 ふでの傍らに座る結城ゆうきと言う少女は、大人の拳ほどにも大きく丸々とした大福を両手でつかむと、その端に齧りついて、口を引くとむにーっと柔らかい皮を伸ばし、楽しそうにしている。そんな仕草や表情だけを切り取って眺めていると、背丈や容姿に見合った幼い年頃の少女にしか見えない。だが、それでいて彼女は名古屋の街を自警する武力組織の上に居るのだと言う。その余りにはたから眺めるふでからすれば、それが多少信じられないという心持にもなってくる。


「それで……結城ゆうきさん、でございましたか。貴女様が剣華組とやらの局長だとかいう話ですが。」


 更に一際大きく口を開け大福へと齧りつこうとしていた結城ゆうきは、ふでに言葉をかけられて、手をはたりと止めた。んぐっと口の中にまだ残っていた大福のかけらを飲み込むと、それからようやく返事をしようと結城ゆうきが口を開いた瞬間に、不意と横から被せるようにして石動いするぎの声が飛んだ。


「さん、ではない。様をつけろ。結城ゆうき様だ。結城ゆうき様と呼べ。」


 それは至極真面目な口調で、きっぱりと断言する口ぶりであった。

 余りにも平然と、きっぱりと、そのような傲慢な物言いをしてみせる石動いするぎに、ふでは逆に面白くなってふふっと僅かに吹き出してしまう。そうして一頻り肩を揺らした後に、ふでは目つきを据えさせてじとりと彼女の顔を見つめる。


石動いするぎさん。でしたか。それは本気で仰っているのですか?」

「当たり前だ。本来、こちらのお方は貴様らのような下賤げせんな輩が口をきいて良いお方ではない。だからせめて様をつけろ。」

「そうですかえ。」


 半ば呆れかえった口調で返事をしながら、ふではわざと眉をしかめて素っ頓狂すっとんきょうな顔を作らさせていた。


 そんな多少に滑稽味こっけいみのある態度をとりながらも、彼女の言わんとするところも少なからず理解はしていた。実際、成瀬とか言うあの武家屋敷に居た老人の言うことが確かならば、今傍らに座って何とものほほんとした態度をとっている少女は、日本を総べる将軍の親類であり、ありていに言えば貴種きしゅであった。こんなところで大福を食べているなどと知られたら、それだけで騒動となるやもしれぬ存在と言える。


 そう言う筋合いで言えば、確かに姓もないような、そこいらの一般人が軽々しく口を利ける存在でないだろう。

 無論のことながらに、ふでにとってしてみれば、そのようなことは関係ないと感じてもいたが、それでもむしろ、そう言う態度に乗ってやるのもいっそ面白かろうと、ぽりぽりと頭を掻くと、どこか楽しそうに笑みを浮かべてふで結城ゆうきへと向かって視線を下ろす。


「それで結城様ゆうきさま。」

 そう言ってふでは妙にかしこまった態度で言葉をつづける。


結城ゆうき様。貴女様が剣華けんか組の局長……一番上のお方なのですか?」

 尋ねてみると、結城ゆうきは屈託もなく素直な様子で、こくりと頷いた。


「はい、そうですけれど?それがどうかしましたか。」

「いえね。ちょいと気になりまして。貴女様のような方が、どういった経緯で、尾張の、しかも名古屋なんてところで街の警邏けいらの頭などになるってことがあるのですか?」


 それはちょっとした好奇心であった。

 江戸の傍流ぼうりゅうという確かな血筋の、それも年端もいかない少女が、どう言う理由であれば、こんな場所で暴力組織を取りまとめるなんて役職に就くことがあるのか。


 結城ゆうき石動いするぎも、目の前の平民にしか見えぬ女が、出自を知っていることなど思いもよらないだろうが、ふでとしてみれば興味のあることであった。

 そんなことを尋ねられて、結城ゆうきは「ああ」と頷くと、言葉を考えるようにして天井へと視線を向ける。


「ええっとぉ……。」

 言葉を悩ませて考え込んだ結城ゆうきは、とりあえずと言った様子で手に持っていた大福を皿の上へと置いてしまうと、煎茶を手に取って手癖の如くに一口飲み下して首を傾げた。思いついた言葉を選別するようにとつ、とつ、と結城ゆうきは口を開いていく。



「えっと……実は、私の御祖父様おじいさまが、偉い人なんですけれど。」

「ほう、そうなのですか。」


 相槌を打ちながら、ふで結城ゆうきの言葉を待つ。


 簡単に目の前の少女は「偉い人」などと言ったが、成瀬の所で聞いた話が本当ならば、間違いなくそれは今の日の下で一番に偉い人間であるはずで、聴いている側からすれば、その言葉には僅かばかりに滑稽味さえ覚えてしまう。



「それで、その、御祖父様おじいさまがですねぇ……。」


 喋っていた結城ゆうきが、不意に腰を曲げたかと思うと、途端に声を皺枯らせて、老人のような声真似をし始める。



紅葉もみじよ。お主も、そろそろ年頃だ。外に出て見分を広めねばならぬ。」


 そこまで言い切ったところで、結城ゆうきは声真似をやめて、すぐに屈ませていた背を戻す。どうやら自分の御祖父様とやらの、真似をしていたつもりらしい。



「とか言い出して、すぐにこの剣華けんか組を作ったかと思ったら、いきなり私を局長にしたんですよ。それで途端に城……えっと家から追い出されちゃって、それからわざわざ尾張まで来て隊員を集める所から始めよって言われたんですよ。なんていうか、酷いと思いません?」


 よよよっと目から涙を流しているかのように、まぶたを袖口で拭って見せながら、まるで自分の身の上が苦労の上にできているかのように結城ゆうきは語った。


 それに向かって、ふではしれっとした顔でパチパチと掌を鳴らした。

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