79.結城と石動十三

 すんでに石動いするぎは目端をふでへと向けると、右手の指先を僅かに擦れさせた。

 すぐにふでは彼女が何をしたいのかを察して、口元を緩める。

 途端に、石動いするぎの腕が蛇のようにしなやぐや、ふでの顔へと向かって跳ねる勢いで伸びた。


「っ……。」

 虚空を滑り突っ込んでくる石動いするぎの拳を、ふでは寸での所で咄嗟に躱す。

 僅かばかりふでの頬へと擦れた赤い線が一本浮き上がっていた。


 無言のままに頬を撫ぜながなら、ふでが睨みをつけると、石動いするぎはその糸の細い瞼の狭間に澄んだ黒い瞳を覗かせて睨み返してくる。その瞳には冷徹な意思が感じられて、ふでは少しばかり顔を強張らせた。


「なんなんですか?」

「貴様は……どうにも危険な感じがする。」


 ふでにだけ聞こえる小さな声で石動いするぎは呟いた。

 危険かと言われれば、それを否定出来る言葉をふでは持っていなかった。


「美人に睨まれるのは、中々に嬉しうございますがね……。」

 桔梗ききょうと少女とに聞こえないようにと呟くと、ふではやにわに、石動いするぎの顔へと向かって拳を突き出した。


 予測していたいのか、石動いするぎはその拳を紙一重で避け切った。


 一切に笑みをも見せずに、二人は視線を交わらせた直後、拳を握りしめて互いの顔をへと振り抜いていく。空を斬る音もせず、二人の間を拳が行きかって、それを互いに寸でのとこで躱していく。ふっと一瞬、ふで石動いするぎが微笑んだように見えた。


「――ねえ、ふで殿?」

 瞬間、桔梗ききょうの声がして振り向いたのに気が付き、咄嗟にふでは伸ばしかけた手をはたりと止めると、慌てて自らの背へ握りこぶしを隠した。



「あれ?どうかしました?」

「いえ、なんでも。」


 拳を隠しながら、ふでは素知らぬ顔をして桔梗ききょうへと首を振って見せる。ふいと横目で石動いするぎへと視線を向けてみると、彼女も彼女で振りかけた拳を少女の目から隠しているようであった。


「それで、どうかなさったのですか?」

 平静を装ってふでが尋ねてみると、桔梗ききょうは妙に人懐っこく笑みを浮かべながら頷いた。


「あ、ちょっとこの局長さんとお話ししてて、折角知り合いになったのですから、どこか茶屋で甘い物でも食べながらお話ししませんか?ってことになりまして。ふで殿はどう思いますか?」

「茶屋で甘いもの、……でございますか。先ほど田楽を食べたばかりですのに。」

「そうですけど、塩っぱいものを食べると、甘いものが食べたくなりませんか?」

「わからんではないですがね……それで、そちらの方も?」


 ふでが少女へと視線を向けてみると、少女は少女で石動いするぎへと向かってせがむ様に顔を見上げさせていた。



石動いするぎさんも。折角ですし、どうですか?」

 問われた石動いするぎは眉をしかめて、背の小さな少女へと向かって視線を見下ろさせる。


「局長。我々は見回りの最中です。そんなことでは他の隊員に示しがつきませんよ。」

 それは子供に言い含める世話役のような言葉ぶりであった。


「駄目……ですか?」

 悲しそうな表情を浮かべて、少女はじっと石動いするぎを見上げた。


 その表情を見るや、石動いするぎはぐうっと顔を渋らせて、それ以上に拒否の言葉を紡げないかのように口を歪ませていた。腕を組ませると石動いするぎは細い目ながらに、明らかに悩んでいると分かるような表情を浮かべている。

 じいっと少女は石動いするぎを見詰めて、その顔を覗き込む。


石動いするぎさん……。」

 少女の声は甘く儚く、何とも切なくうような言葉であった。

 それで石動いするぎはぐうっと眉尻を下げて何とも困った顔を歪めながら、堪えきれぬ様子で溜息をついた。


「全く……ちょっとだけですよ……。」

「ありがとうございますっ!」


 嬉しそうに少女はその場でぴょこんっと飛び跳ねて喜びだす。それを見て、石動いするぎは頭を掻きながらも固い表情を緩ませているのが分かる。

 そんな二人を眺めながら、ふで桔梗ききょうへと顔を寄せて、ひそひそと声を掛け合う。


「これから飛脚さんを探しに行くって仰っていたのに、こんな悠長なことをしていて宜しいのですかねえ?」

「まあまあ、剣華けんか組さんは市中のことを良く知ってるでしょうし、仲良くなって置いて損はないんじゃないでしょうか。それに……。」

「それに?」


「今後もふで殿が喧嘩を吹っ掛けて、何か騒動起こしそうですから、何があっても良いように今のうちに印象良くしておきたいと言いますか……。」

「なるほど、なるほど。それは無駄と言うものですね。」


 しれりと言いきったふでに、桔梗ききょうはぐっと喉を鳴らして眉を顰める。


「騒動を起こす張本人が、そう言うことを言わないでください。」

 そんなことを、ひそひそと話していると、二人へと向かって少女が首を傾げてくる。


「どうかしたんですか?」

 桔梗ききょうは慌てて首を振るう。


「あ、いえ。何でもありません。それより、甘味処かんみどころにどこか心当たりはありませんか?私たちは、あんまりこの辺りに詳しくなくて。」

「そうなんですか。それなら良いところがありますから、着いてきてください。」


 そう言って歩き出した少女の後をついて往来を進んでみると、平屋のこじんまりとした茶屋へと辿りついた。周囲では珍しい一面の瓦屋根が黒々と光沢を見せて、板張り壁に塗られた漆喰の塗りものとの色合いの対比が綺麗映えていて、屋根から地面までに垂らされた紅い無地の垂れ幕が忙しない往来の中で随分と華やかに人々の耳目を寄せ集めていた。


 店の外にまで備えられた椅子には客と思しき女性達が所狭しと座っていて、幸せそうな表情を浮かべている。


「ここのお店が美味しいらしいんですよ。いつも見回りの時に見かけるんですけど、立ち寄れたことが無くって。」


 今日、この機会に立ち寄れることが随分と嬉しいのか、ちょっと跳ねた調子で言いながら少女は茶屋の中へと入っていく。茶屋の中へと足を踏み入れてみると、その中には結構な数の男が椅子に座り込んで煎茶を喉へと流し込んでいた。そもそも茶屋と言うのは街道の旅人へ、喉の渇きを満たすための茶を饗するのが始まりであり、街中にあっても仕事の行き帰りの喉の渇きを満たしていく男の客が多かった。それが甘味を出すような店ができるようになって女も立ちよるようになったのは最近の出来事ことと言って良い。だから、こういう手合いの店は珍しかったが、逆にそれが物珍しさを誘って町人を多く引き寄せていた。


 店内を眺めてみれば、男達の居並ぶ中に、ちらほらと煎茶の入った湯呑を手にする女の姿も見えてくる。


 くんっと鼻を利かしてみれば、周囲には煎茶のこうばしい香りの中に、みたらしあんのだろうか、どこか重く甘ったるい匂いも漂ってくる。店の中へと四人で足を踏み入れ、そのまま空いている一つの長椅子へと、左から石動いするぎ、少女、ふで桔梗ききょうの順に座っていくと、すぐに店の女給が用を伺いにやってきた。



「注文はありますか?」

「えっと、では茶を四つと……。」 

 少女が問われて、他の三人へと目を配らせる。



「団子。」

「大福ください。」

「私は団子を。」

「大福でお願いします。」


 めいめいに思い思いの注文を伝えると、女給は「はあい」と何とも間の抜けた声を上げて、店の奥へと注文を持って帰っていった。それで一区切りがついたかのようにして、禿髪かむろがみの少女はふで桔梗ききょうへと向かって顔を差し向けた。その瞳はくりくりとしていて、覗き込む顔は一目に生来の陽気さと人懐っこさを感じさせる。


 さしあたって尋ねようとして、ふとふでは相手の名前を知らぬことに気が付いた。



「とりあえず、名を名乗りあっておきましょうか。私はふでと申します。」


 ふでが名を伝えてみると、傍らで桔梗ききょうも体を乗り出させて、禿髪の少女達へと向かって口を開いた。



「私は桔梗ききょうって言います。よろしくお願いしますね。」


 多少にはにかんで桔梗ききょうが伝えてみると、禿髪かむろがみの少女も頷いて、自らの胸へと掌を当ててちょいと人差し指の指先を立てながら曲線を描かせる。


 どこか大人ぶったような芝居がかった様子で、少女は胸を張って口を開いた。

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