78.結城と石動十二

「貴女様は、何なのです?」

 刀へと手を掛けながら、ふでが尋ねてみるが、石動いするぎと呼ばれた女は口を開こうともしない。ただふでを睨み付けながら刀の柄へと添えさせた掌を、くっと握りしめていく。

 代わりにと言うように、石動いするぎの後ろから少女が顔を上げて口を開いた。


「い、石動いするぎさんは、私の護衛をして下さている方なんですよ。」

 ぴょんぴょんと飛び跳ねて、視界を塞ぐ袖の向こうから声を掛けようとしている少女を、石動いするぎは一層に身を乗り出させて、その姿を筆の目から覆い隠そうとする。

 少女の言葉に、ほうっとどこか値踏みした調子でふでは頷くと、多少に揶揄からかい混じりの声を上げた。


「護衛ですか。何ですかね。護衛と言うよりは、喧嘩を売ってきているように見えますがねえ。」

「黙れ下郎げろう!局長に汚らしい貴様の鳴き声なぞ聞かせるな。」

「おや、怖い怖い。護衛などと言われましたが、破落戸ごろつきかなにかの言い間違いではありませんか?」


 言いながらふでは足を一つ近づけさせる。

 それは傍らで眺めていた桔梗ききょうにも分かる、わざと挑発するような行動であった。

 途端、ぴくっと石動いするぎは眉を顰めさせる。


 石動いするぎは何も言葉を返しはしなかった。

 ただ、その表情は余りにも雄弁で、一切の言葉を発せずとも、周囲の人間には、彼女が何を考えているのかが直ぐに理解できてしまった。

 遠巻きに眺めながら道行を歩いていた人々も、一層に足を向ける先を遠ざけて、うへえっと声を上げながら足早に立ち去っていくのが見える。


 カチャッとつばの擦れる音が鳴り、石動いするぎの刀が鞘から僅かに口を見せた。

 応じてふでも自らの刀の柄を握りこむと、つばを僅かに浮かせていた。


「一つ聞いても?」

 乾いた空気の中に舞い立った塵すらも、その場で弾けてしまいそうなほどに、ぴりぴりとした空気の中で、さらりとした態度のままにふで石動いするぎへと尋ねる。

 何も石動いするぎは言葉を返そうとしなかったが、否とも言わず、ただふでの出方を見守っているようであった。

 それを感じてふでは、尋ねる言葉の続きを口にする。


「どうして、そんな態々わざわざと事を構えようとしているのですか?」

「何故も何も危険だからだ。一目にも腕が立ち……そして貴様は恐らくは不埒ふらちだろう。」

 短く言って石動いするぎは、傍らに居る局長を隠す様にして足を一歩ずらすと、ふでの顔を見つめて苦々しく端正な相貌そうぼうを歪ませた。


「不埒などど……否定はいたしませんがね。」


 にまりと口角を持ち上げて、ふでは歪な笑みを浮かべて見せる。それはわざとらしく、いかにも顔へ醜悪の見本を張り付けて見せているようであった。そんな彼女の顔に、石動いするぎは殊更に眉を引き上げ、忌々し気な表情を見せる。


「……そこで足を引くなら、こちらも相手はせぬ。」


 はつと、その言葉に傍らで様子を窺っていた桔梗ききょうが顔を渋らせた。

 そんなことを言えばふでが次に何をするか、彼女には手に取るように分かってしまう。


 ふでと言う女は、仮に警告を発すれば、挑発とも、誘いとも取る様な人間だ。それも警告と分かっていながら、わざと曲解して挑発ということにしてしまう性質悪たちわるである。

 ざりっと音がして、ふでの足先が更に一歩石動いするぎに向かって近づいていた。


 当然であった。


 ふでにそのようなことを言えば、当然にそうなる。

 桔梗ききょうは苦虫を口いっぱいに噛みしめたように、大仰に顔を渋らせていた。

 ただ如何せん。

 石動いするぎからすれば、ふではただの不埒者であり、危険人物でしかなかった。


 一瞬、空気の消え果てたように、周囲には音がなくなっていた。

 と言うべきか、ふでと、石動いするぎとの行動に意識が集中し、他の音が全くを持って耳に入らなかったと言っても良い。


 気が付けば、石動いするぎは僅かに浮かした刀を、するりと音を立てて抜き始めていた。

 したりとでも言うべきか、ふでが喜色を含めて僅かに口角を上げる。


 もうすでに、二人の間には、斬り合うと言う意思が満ちているかのように見えた。

 ただ、その空気を全く気にも留めない勢いで、やにわに、石動いするぎの袖に隠されていた少女が慌てた様子で、その袖を引っ張り上げる。


「もう、石動いするぎさんっ。駄目ですって。こんな往来で刀を抜いたら。」

 何とも緊迫した空気に全く馴染まない幼けのない声を上げて、少女はぶんぶんと思い切りに石動いするぎの袖を振りたくる。

 その余りにも幼げな行為に、緊迫していた面持をはたと崩してしまい石動いするぎは抜きかけていた刀を止めた。


「局長。危ないですから。」

 思わずも振り返って石動いするぎがその腕の動きを制そうとするや、

「危ないのならやめてください!」

 と、まるでぎーっとでも声を上げそうなぐらいに、歯を噛みしめて少女は袖を力一杯に握りしめる。


 刀を抜くような空気から、途端と間を挫かれて、きょとんとなってしまった、石動いするぎふでの傍らで、はたと桔梗ききょうも気がついて腕を伸ばす。刀を握るふでの指先を包み込むようにして、掌を重ねると、それをぐっと握りしめた。


ふで殿。ふで殿もやめましょうよ。ね?」

 困ったように眉尻を下げて桔梗ききょうが顔を覗き込ませると、ふではその顔を眺めながら手を止めて肩を竦めて見せた。


「私は良いですけれど。あちら様が収まってくださいますかねえ。」

 その言葉は、どちらかと言えば収まらなければ良いとでも思っているような響きがあった。


 言いながらふでが目をやってみると、石動いするぎは糸のように細い目のままに、眉根をひそめて少女を見つめていた。袖口を引っ張る少女は懸命にうんうんと力を籠めているが、石動いするぎの体は微動だにもしようとせず、ただ悪戯に布地に大きな皺を作るだけになっている。それでも少女は一切に諦めずに、石動いするぎを見上げながら食って掛かるようにして口を開く。


「本当に駄目ですからね。石動いするぎさん。」

「ですが局長、この女は不審です。」

「不審ってだけで刀を抜かないでください。私の……えっと、局長の命令です!」


 手に掴んだ袖を振り上げながら少女がそう言うと、僅かに石動いするぎは唇をへの字に曲げながら、困ったように眉尻を下げた。


「む……ぅ……局長がそう言うのなら……。」


 悩みに悩んだ末と言った口調でつぶやくと、ようや石動いするぎは刀の柄から手を離した。

 抜きかけられた刀がするりと落ちて、刀身は鞘の中へと滑りこんでいく。かちゃんっと妙に軽くはばきと、鞘口のぶつかり合う音が周囲へと響いた。


 途端と桔梗ききょうは静まり返っていた音が蘇り、周囲の往来に行き交う人のざわつきが、聞こえてくるのを感じた。



「おやまあ、残念ですねえ。」

 石動いするぎが刀を手放したのを見てとって、ふでも握っていた刀の柄から掌を離す。


 それで少女と桔梗ききょうは安堵して、ほっと肩を撫で下ろしながら、大仰に安堵の吐息を漏らしてしまっていた。


 その吐息を漏らす声が余りにも大きかったせいなのか、少女と桔梗ききょうは互いに相手の吐息の音にびくりとして、一瞬顔を見合わせると、視線がかち合ってしまい、どちらも困ったと言った表情で眉尻を下げながら苦笑いを見せていた。



 自然、何とはなしに桔梗ききょうは、少女に対して心根の緩む感じがしてしまう。


 妙なものだが、同じく同行者の喧嘩早さに悩まされているのだろうと親近感を覚えなくもなかった。


 二人が笑いあってるのを見て取って、ふでも肩の力を僅かに抜くと、少女の笑みを眺めて思わずも口角を緩めてしまっていた。



 瞬間、不意と剣呑な気配を感じて咄嗟に石動いするぎへと視線を向ける。


 不意と石動いするぎの糸のように細い目の奥から鋭い視線を感じて、ふでは軽く口角を上げる。


 二人ともに刀を抜くような気はなかった。


 だが、見つめ合っているうちに互いの間へと満ちてくる感情のようなものがあった。


 ちらりと石動いするぎは少女の方を確認する。


 彼女は桔梗ききょうと笑いあっていて、石動いするぎを見てはいなかった。


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