75.結城と石動九

「はい、なんですか?」

「その探している男と、お前さん達ってのはどういう関係なんだい?俺もね。あんまりにも変な事件とかに関わりあいたくはねえもんだからさよ。」

 問われて桔梗ききょうは、ふむっと唇に指を一つ押し当てると、すうっと目を細めて、どこか分けあり気に笑みを浮かべて見せる。


「お兄さん。それは聞くだけ野暮っていうものじゃないですか?」

 緩く甘く、僅かばかりに淫靡いんびな笑みを浮かべて桔梗ききょうは男の問いを誤魔化した。

 途端、男はへっと鼻を鳴らして、不味いものでも食ってしまったかのように顔を渋らせて、しきりに頭を掻き始める。


「いや、そりゃまあ。女が男を探してるんだから、理由は仇討ちか色恋かぐらいしかねえか。」

 そう言う時代ではあった。


 そもそも旅をすると言うことには多大な危険を孕んでいるがために、女だけで旅をしているとなれば、余程の理由があると思われるものである。大抵は伊勢参りだの行脚だの宗教にまつわることが多いが、仇討ちで家を飛び出す女も多く、そして、それらに次いでくるのが駆け落ちだの慕情れんぼをこじらせての出奔しゅっぽんだのと、恋煩いが原因の旅であった。


 大概がそんなのであるから、田楽売りの男も、そう言うものだろうと勝手に得心したのだろう。


「そうさなあ……人の顔を見てるっていうなら、長良橋なばらばしたもとたむろしてる与太郎よたろう八次郎やじろうって奴らが良いかもしんねえな。そいつらに聞いてみたらどうだい?」

「あの……それは、どういう方々なんです?」


「ああ、そいつらは駕籠屋かごやだな。人を駕籠かごに載せて頼まれた場所まで運ぶ奴らだよ。」

「流石に駕籠屋が何かは知ってますけどねえ。その方々は顔が広いんですか?」


「なんというかね。大体からして、駕籠屋かごやって奴らは人を乗せては、市中をどこへでも言って回ってるから、道を歩いてる奴らの顔ぐらいはいろいろ見ているだろうよ。それにな、その与太郎よたろう八次郎やじろうって奴らは足が速くってね。他の駕籠屋かごやが半日で一往復する距離を、同じ時間で二往復でも三往復でもしてるくらいだからな。名古屋の人の顔を見知ってるって言うなら、そいつらが一番じゃないかねえ。仮に見ていないとしても、顔も広いし、人探しってんで、役には立つんじゃねえのかねえ。」


 ふむっと唸りながら、桔梗ききょうは椀の底に残っていた汁をするりと飲み込んだ。最後の口直しのつもりではあったが、あまりにも濃かったために、思わずのどに詰まってけほっとせ返ってしまう。んんっと喉を鳴らして顔をしかめながら、渋い顔を田楽売りの男へと返す。


「けほっ…けほっ…。」

「大丈夫かい?」


「だ、大丈夫です……ええっと、確か与次郎さんと弥太郎さんですか?」」

「おいおい大丈夫かよ。名前が混じってんぞ。与太郎よたろう八次郎やじろうな。」


与太郎よたろうと……八次郎やじろうと……。いやはや、あいわかりました。一度尋ねてみることにしてみますよ。田楽を売っていただいただけなのに、いろいろとありがとうございます。」

「いやあ、こっちも随分と食べてもらって助かったよ。朝っぱらからこんなに売れるとはねえ。」


 体を屈ませたまま、田楽売りはちらりと片目の視線をふでへと差し向けた。視線に気が付いたふでは、丁度、箸を使って椀の中から持ち上げたはんぺんを、ちゅるんっとまるで麺でもすするかのごとくに口の中に滑り込ませている所であった。それなりに大きなはずのはんぺんの固まりを、一気に口の中へと放りこんでしまうと、ふでは大仰に顎を上下させながら、何度も何度も咀嚼させていく。はんぺんから滲み出る脂っ気と、しみ込んでいた味噌の風味とが舌の上で絡みながら、口中に旨みのようなものが溢れてくるのを感じてふでは、思わずも口角を持ち上げながら、何とも嬉しそうに一気にそれらを飲み込んでいく。何とも周囲に響き渡る様な大きな音で「ごくり」とふでの喉が鳴るのが聞こえてきたほどでさった。


 余りにもの勢いで一気に食べきったものだから田楽売りは多少なりとも目を白黒とさせながら、僅かに呆れた心持でふでから目を反らさずに眺めていると、彼女はふはっと僅かかばかりに吐息をもらし、そうしてすいっと田楽売りへと向かって、再び椀を差し出した。


 その椀の中はいつの間にやら空になってしまっていて、山盛りに持ったはずの田楽だねは綺麗さっぱりとふでのお腹の中へと流し込まれてしまったのが分かった。


「あ、えっと、お代わりで?」

 慌てくって田楽売りが尋ねてみると、ふでは口の端へと指をあてて、僅かにこびりついた味噌をぬぐい取ると目を閉じて首を振るう。それはどこか物足りなさそうな表情ではあったが、さぱりとしていて、充分に食べた顔のようにも見える。


「もう少し食べたくはあるんですがね、桔梗ききょうさんも、もう食べ終えましたでしょう?」

 言われて田楽売りが桔梗ききょうの方へと顔を差し向けてみると、桔梗ききょうの器も確かに空となっていて、丁度最後の竹輪の欠片を口の中へと含ませようとしているところだった。桔梗ききょうは二人の寄せてくる視線を受けて、僅かに「うえ?」と手に持った箸の動きを止めながらも、いやいやと小さく首を振るう。


「私のことならば……まだふで殿が食べたいのなら、いくらでも待ちますけれど?」

「ま、そこまでしていただくほどではありませんよ。探す方が優先でしょう。」

「そうですか。まあ、そうですね。」


 そう言いながら桔梗ききょうは唇に挟み込んだ竹輪の一欠けをちゅるりと口の中へと吸い込むと、ふでの食べ終えて空になった器の上に、自分の分の器も乗せ込んで、田楽売りの男の元へと椀を差し返した。


「ごちそうさまでした。」

 ふでが、しゃなりとした声で告げると、田楽売りの男は本当に空になった椀を、「いやいや」と呆れ気味の口調で受け取った。

 そうして、「うん」と手に取った椀を箱の上へと運びながら、二人へと向かって体を向けなおすと、ついっと腕を上げて往来へと向かい指をさした。


与太郎よたろう八次郎やじろうに会いに行くなら、この道を真っすぐ向かって、三本目の交差を左に行けば奴らが居る長良橋ながらばしに一等早く着けるよ。ま、橋のたもとだから、この川べりの道をずっと沿って歩いても付くがね。結構入り組んでいるから歩くんなら遠回りになるかな。」


 指を伸ばして田楽売りの男は往来をずうっと先へと指し示すと、その後に川縁の道を指さしてくねくねと左右に揺るがして見せた。その指の示す先を二人して眺めながら、ほうっと桔梗ききょうふでは感心したように頷く。正味の話、まさか道まで教えてくれるとは思ってもおらずに、素直にふでは感謝の言葉を口にしていた。



「左様でございますか。いや、道案内までいただいて、何ともありがたいものです。」

「なに。こんな時分にいっぱい食ってくれた礼と思ってくれればいいよ。」


 ひらひらと手を振って、田楽売りは謙遜するそぶりを見せるので、桔梗ききょうふでもそれ以上は何も言わずに、軽く手を振ってその場から立ち去っていくことにする。


 二人が立ち去ろうとすると、田楽売りは箱の中から柄杓で水をくみ出して、食べ終わった椀の中に注ぎ込んで洗い始めていた。何とはなしに、最後に軽く桔梗ききょうが会釈して見せると、田楽売りはそれに気が付いて、軽く手を振り返していた。


 そうして先に歩き始めていたふでを追いかけ、桔梗ききょうは一瞬だけ足を駆けさせる。とととっと軽やかな足音が二人の間に響いた。


 追いつてきた桔梗ききょうに顔を向けて、ふでは僅かに口を開く。



「それで、次は長良橋ながらばし駕籠屋かごやさんにお会いに行こうって言うんですか?」


「まあ、そう言うことです。見つかると良いんですけれどね。」


 桔梗ききょうが頷いて見せると、ふでは腕を組むと多少なりとも感心した調子でふむと頷いた。

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