74.結城と石動八

「まあね、そうさ、最近は暇っちゃあ暇かな。あんまり嬉しいこっちゃないけどねえ。客が来ない以上は仕方ねえ。手持ち無沙汰ってやつさ。」

「ははあ、だから、私たちが来る前も、ぼうっとして道を眺めてたんですか?」

「あー……、そんなとこ見られてたのかい?恥ずかしいな……。いやさねえ。道を眺めてたって言うか、人を眺めてたんだけどね。」

「人を?」

「そうそう!道を歩いてる人たちを見てるとね、たまに頓痴気とんちきな顔の奴らが居たりするもんだから面白くてさ。暇な時には、道行く人の顔見て気を紛らわしてんでさね。」


 多少立ち続けるのに疲れたと言った調子で腰をかがめた男は、やれやれと首を振りながら太ももに立てた腕に頬肘をつかせると、往来の方へと目をやって道行く人々の顔を眺めていく。ふうんっと興味深げにその視線を追うと、桔梗ききょうは同じように往来の人混みを眺めながら首を傾げて見せる。


「へえ……例えばどんなのが面白いんですか?」

「そうさな……。」

 ちょっと呟いて顎を一つ撫でると、周囲をきょろきょろと見回して幾つかの人の顔を見比べていく。そうして、一つ「おうっ」と声を上げると、ちょいちょいっと桔梗ききょうに向かって掌を拱いた。


「嬢ちゃん……あそこの木の下で突っ立ってるおっさんが見えるか?」

 桔梗ききょうが顔を寄せてみると、田楽売りの男は樫の木の根元に佇む一人の男を指さした。男の背格好は六尺ほどだろうか、多少は背も高く見えて、染めの良い鉄紺てっこん色の羽織を身に着けている、見た目にはそれなりの身分の人間に見えた。それのなにが面白いのか、桔梗ききょうには理解できずに、田楽売りの男へと顔を振り向け直す。


「あの人が、どうしたっていうんです?」

「まあ顔をよく見てごらんよ。」

「顔……ですか?」

「そうさな。良く見てると、ほれ、頭はつるぱげで、顎には首がない、唇がいかにも分厚くて、全体的に楕円みてえにぼってりとしてやがる。ありゃあ、まるでたこみてえな顔してっと思わないかい?」


 説明していて自分で愉快になっていったのか、唐突にくすくすと喉を鳴らして堪えられないと田楽売りの男は笑いだしていた。言われて桔梗ききょうも樫の木の下の男へと改めて視線を差し向けてみる。なるほど、確かに男の頭はつるりと見事な程に滑らかに剥げていて、顔全体が丸っこいというよりは縦に長い。背の低い鼻の下の分厚い唇は、確かに落書きにでも描かれるようなたこそのもの口にさえて見えてくる。そう見えてしまうと桔梗ききょうも思わず、くすりと笑ってしまっていた。


 そんな桔梗ききょうの様子を見て、田楽売りの男はにやりと口角を緩める。


「おっと、これでお嬢ちゃんも共犯だね。」

「いやはや……でも、なるほど確かに、あれはたこっぽいですねえ。」


 口に手を当てながら幾許か肩を揺らして笑ってしまうと桔梗ききょうは、最後にふふっとだけ微笑んで得心とくしん顔で頷いていた。共感してくれた人が出来たことが嬉しいのか、田楽売りの男は随分と気を許したようにしたり顔で何度も頷いている。


「そうでしょう?ああ言うのを眺めちゃ、何に似てるだの、鼻が長すぎるんだのと、適当に眺めては一人でたのしんでんのさ」

「それはまた、酔狂なお遊びですね。」

「いやあ、暇だとそれぐらいしかしたことがなくてねえ。いやしかし……。」


 言いながら田楽売りの男は、いけねえやと一人言ちながら、どこか困ったように顔を顰めて頭を掻いた。


「どうにもね。他人の顔を笑いの種にするなんざは、随分と下品な話だからさ。誰にも言わないでおいてくれるかい?知られたら、多分二度とここで売るなって殴りだされちまうわ。」

 自虐的に言う男の言葉に、桔梗ききょうも豆腐の一欠けを口に運びながら、気の無い風に頷く。


 そこら辺のこと、桔梗ききょうにとってはどうでも良い話ではあった、どうでも良いが、そうやって話を合わせてきたのは、彼女としてそれなりに理由もあって何となくの話の流れから不審に思われないための雑談でもあった。そう言うことで言えば、桔梗ききょうにとってはこれから尋ねることこそが本題の話であった。


「そうですか。それはまあ、いいですけれどね。私も口が堅い方ですし。」

 硬いというよりは、基本的に秘密は死ぬまで言えぬように育てられた口であった。


「ただ、そんなに他人の顔を見ているっていうんならお兄さん。ちょいと尋ねたいことがあるんですがね。」

「うん?何だい?」


「いえ、何と言いますかねえ。ここら辺で最近、馴染みのない顔を見かけたってことはないですか?」

「ああん?馴染みのない顔だあ?」


「ええ。そう言う方を見かけませんでした。」

 尋ねる言葉に男は腕を組むと顔を傾げて、何かを思い出そうとしているのか、ちょっとばかりに考えるような顔を見せた後、ふっと桔梗ききょうふでとへと視線を向けると、指をすっと二人を相手に差しつけてくる。


「馴染みがないっていや、あんたらだわな。」

「そりゃそうでしょうけどね。」


 多少なりに呆れた顔を男に向かって返した後、歯ごたえの良いこんにゃくを口の中で噛んでしまいながら、桔梗ききょうは「そうでなくって」と仕方の無いように軽く笑って見せる。


「だって、馴染みのない顔なんて言われてもよ。そうそう出てこねえよ?何の用何だい?」

「いや……とある男の人を探しているんですけどね。風の伝えに聞いた話では、その男が最近、名古屋へと来たらしいっていうんですよ。」


「ほお、男探しか。いったいどんな顔してんだい?」

「目つきは鋭くて、顔と言うか顎が幾分細いですねえ。ただ何よりの特徴としては月代さかやきが随分と狭くって、拳一つ分の幅もないらしんですよ。」

「拳一つ分かははあ、そいつは随分と細いねえ。」


 月代さかやきと言うのは、基本的に額あたりの高さを境目として、頭の天辺まで髪の毛を全部剃ってしまうものであった。そうしなければ兜を絞めた時に蒸れてしまって仕方がなく、額に汗が垂れ落ちては危険になってしまう。そんな月代さかやきを細く剃るのは、戦が殆どなくなってしまい、兜を付けることも無くなった世代から始まった流行りではあった。それでも月代さかやき自体は反り際を多少真っすぐにするなどと言った程度の太さの変化でしかなかった。そんな中で、拳一つ分の幅程も細い月代さかやき等と言えば、一目に見ていぶかしがるものであり珍しい存在に違いはない。つまりはどうやったとしても目についてしまう。


 細い月代さかやきと言われて、ちょっと男は改めて腕を組むと、ううんっと考え込み始めた。それは男の考える時の癖なのだろう、腕をぐっと組みながら、左右に揺れながら首を傾げている。そうして数舜すうしゅんばかり考え込んだ後に、いやっと唸って顔を上げた。



「ちょいと記憶にねえな。そんな奴は。」

「さいですか。」


 最後の一欠けになったこんにゃくを口の中へと放りこんでしまいながら、桔梗ききょうは素直に頷いていた。最初に見つけた相手から都合よく目的の人物の手掛かりに行きあたるとも思ってはいない。ただ、この田楽売りのような男の人が見かけていないのならば、少なくともここら辺にはあまり足を運びはしていないのだろう。そうやって良そうな地域を少しずつ狭めていく地道な作業が人探しには重要なことであった。


 まあいいやと、桔梗ききょうは気持ちを切り替えて、他に尋ねたいことを口に続ける。



「じゃあ、お兄さんみたいに、よく往来の人を眺めているような方をしりませんか?」


「はあ?なんだい、いきなり妙なことを聞いてくるねえ。」


「まあ、人探しの一環ですよ。いきなり本人を探すよりは、人を良く眺めてる人から探した方が、見つかったりするんです。」


「ははあ、なるほどねえ。そういうもんか。いや、そうさなあ~……。」


 と、言いかけて、男はふと思いついたように桔梗ききょうふでの顔を見比べる。


 いぶかしそうに眉根をひそめて、二人の顔をじろじろと見つめた後に、「ううん」っと一つ悩まし気な声を漏らした。



「それは分かったが、じゃあ、こちらからも聞きたいことがあるんだけどよ?」


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