73.結城と石動七

「まあ、これはこれで、美味しいのではないでしょうかね。これは、はんぺんではありませんが。」

 多少なりとも満足そうなふでの言葉を聞いて、田楽でんがく売りの男はほっとした様子であった。


 そのままふでは手に取った箸を無造作に動かしては、丸い大根へと差し込むとひょいっと掬いあげるや、あんぐりと大きく口を開いて丸のままにがじりと噛みついていく。幾分に味は気に入った様子で、そのまま何も言わずにどんどんと田楽でんがくだねを口へと放りこんでいった。


 桔梗ききょうは、そんなふでの様子を眺めながら、自分もこんにゃくへと箸先を差し込んで持ち上げると、口先で思い切りに噛み切る。ぷっつりとした弾力のある歯ごたえを奥歯で楽しみながら、何となく世間話でもするかのような態度で、田楽でんがく売りの男へと向かって口を開いた。


「お兄さんは、いつもここで売ってらっしゃるんですか?」

 不意に問われて多少なりに驚いた顔を見せながらも、男は素直に頷いて返事をする。


「ええ、まあね。近く井戸があって水を使うのに便利だしな。ここなら往来の人にも目に留まるし、売ってて誰かに文句言われることもないですしね。」

「なるほど。」


 口の中でかみ砕いたこんにゃくの欠片を飲み込むと、桔梗ききょうは僅かに空を見上げながら納得するように頷く。宿を出たころには早朝めいて白かった空も、いつの間にか幾分か日が昇ってきて、一面に綺麗な紺碧こんぺき色を呈し始めていた。季節柄か日差しは強く、近くに生えている柳の葉先が一本一本の細部までくっきりと影として地面に映りこむほどに燦々さんさんと照り付けてきていた。僅かに東の端ににじむような薄い雲が現れてはいたが、少なくとも日陰を作ってくれるとは期待できないような小さなものでしかなかった。


「今日は随分と良い天気で。」

 余りの日差しの強さに、僅かばかり額に掻いた汗を指先でちょいとぬぐいながら、ぽつりと桔梗ききょうが言うと、田楽でんがく売りの男も合わせて空を見上げて目を細めると「たしかに」と頷いた。


「こうも日が良いときには、やっぱり食べにくる客も多くなったりするんでしょう?」

「いやあ、雨が降ってる時と比べりゃ、そりゃ客も来ますがね。こうも日が良すぎると、そうでもないんでさ。」

「そうなんですか?」


「ええ、こうも陽射しが強いと、みんな熱いのを嫌がるのか、さっぱりしたものを食べに行きまして、自分が売る様な田楽でんがくなんかは、あんまり売れなくなるね。夕べりの涼しい時間になって、ようやく人が来るような有様でさ。夏なんかは、別なもん出した方が良いかななんて思うぐらいですよ。」

「そんなもんですか。」


 呑気に感心したような口調で応じながら、桔梗ききょうは箸先で椀の中の竹輪を一口ほどに裂いてしまうと、口の中へと放りこむ。味噌のしっかりとした旨みと、香ばしく焼かれた擦り身の味とが舌先に馴染んできて、随分と旨く感じてしまうもので、料理をしている者の腕が良いのだろうとなんとなく感じる。ただ、それでも暑くなると人が来ないというのが、桔梗ききょうにはあまり信じられなかった。


「これだけ美味しければ、熱かろうが食べに来ようって気になりそうですがね。」

 桔梗ききょうがそう言ってみると、傍らで黙々と食べていたふでが、不意に頷いて口を開いた。


「確かに。これだけ美味しければ、充分でしょうに。」

 ぽつりと言うと、ふでは徐に男の方へと椀を差し出した。男はまた何か文句でも言われるのかと顔を覗き込ませると、ふでが差し出した椀の中身はすっかりと空になってしまっていて、僅かに滴った汁が底に残っているだけの状態になっていた。ちょっと話をしている間に食べきられてしまったことに驚いて、男は改めてふでの顔を見上げる。


「あ、食べ終わりましたか……?」

「いえ、おかわりを。」

 しれっとした顔をして、ふでは男に体を向けると、更にずいっと器を突き出した。


牛蒡ごぼう二つに、がんもどき、厚揚げ、あとは、はんぺんを一つ。」

「え、あ……へい。わかりやした。」

 多少とどぎまぎとした調子で、男はふでの差し出した椀を受け取ると、頭を一つ掻いた。


「いやあ、食べてくれたら嬉しいとは言いましたがね。それにしても、よう食べやすなあ。」

「美味しうございましたからねえ。約束したとおりですよ。」

「はは。そりゃ、ありがたい言葉だけどねえ。こうも食べる人は、そうもいやせんぜ。」


 軽い調子で言いながら、箱の中へと鉄箸を突っ込んだ男は、中から田楽でんがくだねを取り出して椀の中へと放りこんでいく。それを横から眺めていたふでは、男が箸を差し向けようとした厚揚げを眺めて、ひょいっと中を覗き込こませ箱の中へと指をさした。


「いや、その厚揚げじゃなくて、二つ隣のが良いですがねえ。」

 男が端に取ろうとしていたのは、中程度の大きさの厚揚げだったが、それではなく泳いでる具材の中でも一番大きいのを入れろと、ふではそう言っていた。男は多少呆れた心持で、ふでを見上げると、困ったように頭を一つ掻いた。


「あんた贅沢を言うねえ。大体そうも食べられるのかい?」

「大丈夫ですよ。いいですから、そっちの大きい方をくださいな。」

「はいはい。承知いたしやした。」


 ひょいひょいっと大きめの具を選んで椀の中へと入れていくと、男はほいっと声を上げて、ふでへと向かって差し出した。器の中に山に盛られた食材を見つめて満足そうに頷くと、ふでは椀を受け取ってふふっと笑みを浮かべる。途端、手に持っていた箸で牛蒡ごぼうを摘み上げると、ふではそれを直ぐに口の中へと運んでいく。歯を立ててばりばりっと硬い牛蒡ごぼうの繊維質を噛み砕く小気味の良い音が周囲へと響き、勢いよくふでは椀の中身を平らげ始めていった。


 余りの食べる勢いの速さに、田楽でんがく売りの男は目を白黒とさせながら「はぁ」っと気の抜けた声を上げる。



「何とも食べっぷりの良い御仁ですなあ。こうも食べる人は中々見ませんぜ。」


 感心した口調で言う男の言葉に、桔梗ききょう竹輪ちくわを口にくわえながら、軽く笑って頷いてしまう。



「あの方は、食べない時は全然食べないのですが、食べる時は一気に食べてしまうんですよ。とは言ってもこれは私も食べすぎだとは思うんですけれどね……。っと、それで何の話をしていたところでしたっけ?」


「ええっと、確か、こう晴れた日には田楽でんがくは売れねえって話でさあ。暑い時にこんな熱いもんは食べたくないんでしょうね。」


「そうそう。そうでしたねえ。じゃあ、お兄さんは、最近なんかは暇ってことですか?」



 ずばりと言われてしまって、男は渋そうに顔を顰めさせると、はあっと溜息をついて肩を撫で下ろす。


 自分で言ったことでもあるし、指摘した桔梗ききょうの言葉に揶揄やゆするような響きは一切なかったが、それでも暇と言われてしまっては、商売人としては嫌な気分にもなったのだろう。


 それでも、事実は事実であり、実際に暇なのだから仕方ないとでもいうように頭を掻いて頷いた。

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