72.結城と石動六

「女ですと、何か都合でも悪いので?」

「いやさね、身なりからして男かと勘違いしてたから、いっぱい食ってくれるかと思いやしてねえ。」

「美味しければ、幾らでも食べますよ。」

 ふでの言葉に、多少なりに傍らに居た桔梗ききょうは頬を引きつらせて、何とも歪な表情を浮かべたが、当の男は戯言と感じたのか軽く笑いながら、箱の蓋へと手を掛ける。


「はは、まあ、味は食べてからのお楽しみってことで。」


 言いながら男は左手側にあった箱の横縁よこべりへと手を掛けて、側面につけられた蓋を上へと引き開く。箱の内部には中ほどに板が横向きに敷かれ、それが中の空間を上下と二つの部分に分かれさせていた。上の段には椀が重ねられているのが見え、下の段には水の溜められたたらいが置かれているのか、蓋が開かれた勢いで箱が揺れ、わずかにちゃぽんっと水面の波立つ音が聞こえてきた。男は箱の下部の方へと手を伸ばすと、奥に掛けられていた柄杓ひしゃくを手に取って、たらいの中へと先端を突っ込む。水を汲み出すと、木製の椀を二つ取り出して、それに流しかけて中を軽く洗った。


 椀を手に抱えながら、もう一つの箱を開くと、途端にふわりと濃ゆい赤味噌の香りが周囲に漂い出す。


 右手側の箱には、小さな鉄製の箱が備えられていて、それが更に仕切りで幾つもの区画に分かれていた。鉄製の箱の中には赤茶黒い液体が満ちていて、僅かに卵や豆腐と言った具材が浮かび頭を見せている様子から、それが田楽でんがくだねを煮込む汁なのだとふでも何となく理解する。一の腕ほども長い鉄箸を、汁の中へと突っ込んで、具材を拾い上げると、男は二つの椀の中へと手際よく放りこんでいった。


 男の抱えた椀の中に、見事に茶色く染まった食材が盛られて、最後に器の端にべっと味噌が塗りくられると、木製の箸とともに、ひょいっと二人の目の前へと差し出された。


「へいおまち。合わせて三十文ってとこだね。」

 白く湯気を立ち上らせた田楽だねは随分と味が染みて見えて、桔梗ききょうは食べることが目的ではないと理解しながらも思わず喉を鳴らしてしまう。椀へと手を伸ばして受け取りながら、桔梗ききょうは懐から取り出した二人分の銭を男へと手渡した。掌に載せられた小銭をちゃりちゃりと鳴らしながら、男はにんまりと笑みを浮かべて「まいど」と軽く声を上げた。


 傍らで同じように男から椀を受け取りながら、ふでは自分の手に取った器の中身を眺めて、僅かに眉を顰めていた。それはどうにも腑に落ちないと言った表情で、一瞬桔梗ききょうは出された田楽でんがくだねの量でも気に食わないのかとも感じたが、どちらかと言えば不可思議なものを見るような目をしているのに気が付いた。


「どうかしましたか。ふで殿。何か気になることでも。」

 声を掛けてみると、彼女は不意と顔を上げるや、僅かに頭を掻いてすっと椀の中へと指をさして見せる。


「ああ、いえ……桔梗ききょうさん。私ははんぺんを頼んだはずなのですがねえ……。」

 どこか戸惑ったように言うふでの指先へと桔梗ききょうが視線を向けてみると、そこには大根とたこの足、そして魚のすり身を揚げた田楽でんがくだねが入っていた。話を聞いていた男も、間違ったものでも入れたかもと心配したのだろう、ひょいっと顔を覗き込ませてふでの器の中へと視線を向ける。


「へい、はんぺん。ちゃんと入れておりますね。」

 器の中を覗き込んで中身を確認すると、男はどこかほっとした調子で魚の擦り身揚げへと指をさしてみせた。ふでは一層不可思議そうに首を捻らせて、眉根を顰めさせると、奇怪なものを見る目で男の顔を覗き込んだ。


「貴方様。これがはんぺんですか?はんぺんですよ。はんぺん。はんぺんと言うのは白くてふわふわとしているものでしょう?これのどこがはんぺんだというのです?」

「へ?いや、しかし……。」


 まるで詰問されるかの様にふでに尋ねられて、男は僅かに戸惑った表情で体を引かせる。どこか助けを求めるような目をして男はちらりと桔梗ききょうの方のへと顔を向けた。隣で問答を聞いていた桔梗ききょうは、ふでの言いように、ようやく何が言いたいのかを察して、くっと彼女の袖を掴んで軽く引いた。


ふで殿。ふで殿。」

 引かれていることに気が付いたのか、ずいっと問い詰めるように乗り出させていた体を僅かに引き留めて、ふで桔梗ききょうの方へと振り返る。


「なんでしょうか?桔梗ききょうさん。」

ふで殿。それは間違いなくはんぺんですよ。ここでは、その魚の練り物がはんぺんと呼ばれているのです。」


「はあ?」

 訝しんだ表情を浮かべながら、ふでは箸を伸ばして椀の中に入っている魚のすり身揚げを持ち上げた。香ばしい狐色に揚げられた薄っぺらい楕円形のそれは、箸でつまむとぺろんっと垂れて、煮込んで柔らかくなっていたのか、自重で半分に千切れていく。やはりとでも言いそうな様子で、ふでは一層に不思議そうな表情を浮かべて首を大きく傾げてしまう。


「私にははんぺんとは似ても似つかぬものに見えますが……。」

ふで殿の言うはんぺんとは、白くて柔らかくて分厚くて四角かったり三角だったりするあれですよ。」


「そうですよ。それです。それがはんぺんと言うものです。」

 したりと言った具合に頷くふでに対して、桔梗ききょうは聊か困ったように頭を掻いて、どこか言いづらそうに顔を渋らせながら口を開く。


「いやあ、何と言いますか。名古屋なまりというか尾張なまりのようなものでして、ここではそれをはんぺんと言うのです。」

「では、私の知っているはんぺんは。」


「名古屋にはありませんね。はんぺんと言ったら、その魚の擦り身を揚げたものが出てくるのですよ。」

 そう言われて、ふでは「はあ……」と妙な関心をすると、箸で挟み上げていた魚の擦り身上げを見つめて、どこか寂しそうな目を見せる。それはまるで、お使いで欲しい玩具が買って貰えなかった子供のような、寂し気な視線であった。


「そうですか。では、私の食べたかったはんぺんは……。」

「無いです。」

「そうにございますか……。」

 余程に白い方のはんぺんが食べたかったのだろうか、どこか寂寥せきりょうとした溜息交じりの声で言って、ふではかくりと首を曲げ下ろす。


「まあ、そのはんぺんも食べてみてくださいよ。それも美味しいものですよ。」

「そうですか?」

「そうです。」


 言いながら、桔梗ききょうは自分の椀の中にある豆腐へと箸を伸ばす。渋茶色に染まった長方形の豆腐を箸先で半分に切って、その片側を更に三等分する。それで丁度一口分になった。木綿豆腐らしく箸で切り裂いた箇所はごつごつと荒い断面と成っていて、僅かに汁気を吸い込んでいたのか表面からとろりと汁が染み出していく。小さく切った一欠けらを摘み上げると、桔梗ききょうはそのまま口元へと運んでいく。


 ひょいっと口の中へ放りこむと、途端舌の上に、濃い味噌の味が広がってきて、噛みしめると直ぐにじゅわりと暖かい汁が滲み出てくる。湯気の立つほどに温かい豆腐の中から染み出してきた汁の熱さに、思わず桔梗ききょうはほふほふと口を慌てさせながら、広がってくる旨みを噛みしめてて、こくりと喉の奥へと噛みしめて小さくなった欠片を流し込んでいく。

 んくっと喉が鳴って、ほうっと桔梗ききょうは大仰な吐息を漏らした。


「中々に美味しいですね。」


 桔梗ききょうが思わずつぶやくと、田楽屋台の男は「でしょう?」とどこか嬉しそうに言いながら頭を下げていた。


 その傍らでは、未だにはんぺんにむかって首を傾げていたふでが、ようやく食べる気にでもなったのか、箸を持ち上げて切れ端を口へと運んだ。楕円形をしたはんぺんの半欠けの更に先を口先へと含ませて、さくりと噛み切ると、ふでは首を捻ってあらぬ方向を見上げながら、何度も口をもごもごと動かして、口の中のものを噛みこんでいく。


 そうしてまた口先で、少しずつはんぺんの先へと噛みついていく。


 少しずつ、少しずつはんぺんを齧っていく様子に、どこかリスのようだなと感じながら桔梗ききょうが眺めていると、ふでは口の中にため込んだものをごくりと飲み込んで、僅かに唇に着いてしまっていた味噌を舌先で舐めとる。そうして、ふでは「ふむ」と少しだけ頷いた。

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