71.結城と石動五

「……互いに言うてる意味が、大分にずれている気もするんですけどね。何というか、ふで殿のそれは猫や犬が獲物を狙うときのそれではないですか?」

「言うてしまえば、似たようなものですけどね。貴女様は食べてしまいとう御身体をしてございますし。」

「えっと、た、食べるですか……?」


「ああ、いえ。例えでございますよ。出来るなら口の中にいれてしまいたいと言うだけです。」

「口の中に……?どうして……?」

 むしろ一層に桔梗ききょうは不可思議そうに眉根を潜ませて、首を傾げて見せている。


「分からぬなら、分からぬで良いですよ。貴女様のような初心うぶな方は知らぬ方が良いこともございます。」

「またそう言うって、ふで殿は何かにつけて、私をかまととみたいに仰いますよね。」

 かまととと言うのは、蒲鉾かまぼこととで出来ているような誰でも知っていることをわざと知らぬと言ってのけて男を誘うような者のことを指す。


 ただ桔梗ききょうが言うたのは、当たり前のことを知らない無知であるかのように言ってほしくない、という意味ではあった。道を歩きながら、桔梗ききょうはふっと息を吐いて、どこか不機嫌そうに、いつの間にか歩幅を大きく取って、ずんずんを勢いよく道を進んでいく。ただ、それもふでの本来歩く速度からすれば微々たる差でしかなく、彼女がゆるりと歩いている間に、すぐに追いつかれてしまう。多少不機嫌そうに表情を不細工にさせている桔梗ききょうを横目に眺めながら、あまりからかっても良くはなかろうと、話を変えることにして、ふでは探す手立ての方に言葉を戻す。


「それで桔梗ききょうさんは、朝食の場を探すと言いましたが、店でも探すのですか?」

 問われて、ようやくそこで気分が変わったのか、桔梗ききょうは少しだけ歩く速度を緩めて、考えるように顔を空に見上げさせる。


「ええっと、そうですね。店でも良いんですが、なるべくなら外で食べましょう。」

「外、ですか?外とは?」

「まあまあ。説明するのもらちが開きませんし、とりあえずついてきてください。」


 どうせ、何を説明したとしても、ふでが混ぜっ返してきて話が進みやしないだろうし、そのまま黙ってやってしまう方が説明が速いのではないか桔梗ききょうは、そんなふうに思い始めていた。ふでに何やら言われるのが嫌なわけではなかったが、どうにも話が進まずにからかわれてしまうのが、面倒といえば面倒でもあった。


 名古屋はそれなりの町人街であるために、往来を進んでいっても、基本的には道の左右には家が続き、どこもかしこも人の気配で溢れている。道も仕事に向かう人々で溢れているが故に、歩いているだけで様々な人の顔が視界の中に、そして無数の会話が耳を伝って頭の中へと入ってくる。それを全部とまでは言わないが、なんとはなしに聞き耳を立てて桔梗ききょうは往来を進んでいく。そう言った会話の中に、何がしか探している人物達の手掛かりとなる情報がないかと気にはしているが、大抵の場合は何の役に立つこともない、ただの益体もない雑談ばかりだ。


 あまりにも騒々しいからなのか、桔梗ききょうの傍らで歩くふでなどは、時折、あからさまに辟易とした表情を見せたりしている。最終的には耳を掻くようなふりをして、片耳を指を塞いでしまっているぐらいであった。


 ただそれも、大きな往来の一番の繁華を過ぎてしまえば、次第と人が行きかう数も少なくなり、騒がしさは鳴りを潜めていく。そのまま、人の少なくなった往来をずんずんと進んでいくと、丁度街の中央を流れる小さな川へと行き当った。川と言っても、田舎の川の様に左右に河原の伸びたような悠長なものではなく、両端に石垣で護岸され水運のために整えられた人口の川であった。見栄えを整えるためなのか、両岸の土地を固定するためのものなのか、石垣によって出来た河岸の上には、川の流れる方向に沿って一列に桜やかしや桑の木が立ち並べられていて、二人が歩いてきた往来との交差する場所には丁度、見上げるような高さ程の葉の長くしな垂れた見事な幽霊柳ゆうれいやなぎが立っていた。


到頭とうとう川まで来てしまいましたが、桔梗さん、どうするつもりなのです?」

「ええっと……多分、ここら辺に居ると思うのですが。」


 何かを探しているのか、桔梗ききょうは掌で目の上に日除けを作りながら、周囲にきょろきょろと視線を巡らせている。ふでも何を探しているのか知らないながら、川上に向かう道の方から、川下へと向かってぐるりと体を回して辺りを見渡していった。ふと、川下の方に植えられたかしの木の下に一人の男が、のんべんだらりと佇んでいることに気が付いてふでは目を向ける。途端、桔梗ききょうもその男に気が付いたのか、視線を向けると不意に「あっ」と声を上げた。


「居ましたね。ふで殿、あの方ですよ。」

 言いながら桔梗ききょうはその男へと指をさした。


 川縁かわべりに佇むその男は、傍らに二つの背の高い箱を並べて置いていた。その箱の頭には、それぞれ半円形となった輪っかが取り付けられていて、それを通す様にして細長い棒が横たえられていた。二つの箱を渡す様に通された、その細長い棒に肘をつけて体を寄りかからせながら、男はぼんやりと人の行きかう往来を眺めている。

 そう言う風体をしている人種を、少なからずふでも見知ってはいた。


「探していてたというのは、棒手振ぼてふりのことでしたか。」

 ふでの言葉に傍らで桔梗ききょうも頷いた。


 彼らは棒手振ぼてふりと呼ばれる職業の者達であった。場所や人によっては振売ふりうりとも呼ばれる。


 男の傍らにある様な背の高い箱の中には、それぞれに料理やら食材やらが入れられていて、それを担いで往来を歩きながら、箱に入ったものを売りさばいていく一種の行商の類だった。商いをする物品は人によって種々様々に違い、箱の中に単に野菜やら生の食材を入れて売り歩く者もいれば、七輪と鍋まで担ぎ込んで、素麺そうめんを茹でて道端で食わせるような豪快な者達も存在していた。二つの箱に渡らせた棒を担いで、振るように歩くから棒手振ぼてふりと言うらしい。


 先ほど見つけた男の箱には『田楽でんがく』と適当に崩れた文字が黒ずみで描かれていた。それも幾分か経年で掠れたのか、殆ど読めなくなってしまっている有様であった。とはいえ、それだけ長く続けてきたということは、それなりにも味がしっかりとしているのかもしれないと、何とはなくふではそこはかとなく期待しないではなかった。

 後ろ手に掌を重ねて、桔梗ききょうはまるで普通の小娘のような雰囲気で歩きだすと、かしの木の下でぼうっとしていたその男の元へと歩み寄っていく。


「そこなお兄さん。幾つかくれませんか?」

 話しかけてみると、ぼんやりと佇んでいた男は、パッと顔を上げて急に商売人らしい気さくな表情を見せてくる。桔梗ききょうの顔を見て、そうして傍らに居るふでの顔を眺め、男は二人も客が来たことに満足したのか、にいっと緩く口角まで上げてぎゅっと自らの両掌を重ねて握りこんでいる。


「へい。何にしましょう?」

「何にしましょうって、何があるんですか?」


「そうですね。田楽でんがくだねは、豆腐に大根、こんにゃく、竹輪ちくわにがんもどき。」

 つらつらと流暢な言葉で、そこまで一息に言った男は僅かに息を吸って、さらに言葉を続けていく。


「昆布に厚揚げ、はんぺん、牛蒡ごぼう、人参、菜の花に、あとはたこってところでさあ。」

 完全に言い慣れてしまっているのだろう、最後の一言まで一切も詰まらずに朗々と言いのけた男は、そうして「もう一度いいやしょうか」等と付け加えた。話を聞いていた桔梗ききょうは口の中で男の言葉を反芻した後に、ちょっと上を眺めて何を頼むのかを思案していく。



「ええっと、じゃあ、私は豆腐とこんにゃくに、あと竹輪と。それでお願いします。」


「へい。豆腐、こんにゃく、竹輪ね。」



ふで殿は何にしますか?ふで殿も食べますよね?」


 ふっと振り返ってきて、顔を覗き込ませてくる桔梗ききょうに、ふではふむっと一つ唸って僅かに思案した。



「そうですね。では大根、はんぺん、たこをお願いいたしましょうか。」


「あいよ……って、その声、あんた女かい?」


 箱へと向かって屈みこんでいた男がひょいと顔を上げてふで相貌そうぼうを見つめる。


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