70.結城と石動四

 言うや、桔梗ききょうは直ぐ様に立ち上がり、自らの帯へと手を掛けて、するっりと外してしまう。

 何重巻きかになっていた帯が外れると、さらに中に巻いた腰ひもの結びをさっさと解いてしまう。

 途端、着物の重ねが緩まることで、裾がふわりと揺らいで、桔梗ききょう前身まえみがはだけるようになる。


「おや、脱いでしまうのですか?」

 何のためらいもなく、着物を脱いでいく桔梗ききょうの態度に、ふでは妙に勿体なさそうな口調で尋ねると、彼女は視線を返しながら、しっかりと頷いた。


「こんな長着では動きづらいですからね。人を探すのには向いていませんよ、どうしたって走れやしない格好ですから、それじゃ困ることの方が多いじゃないですか。」

「確かに、昨日も裾を踏んで転げそうになってましたからねえ。」


「……あれ?私、昨日転びましたっけ?」

「それも憶えておりませんか。」


 幾分か呆れる心持でふでは呟いた。


「昨日、本当に何があったんですか?」


 教えてくれないだろうとは思いながらも、桔梗ききょうが尋ねると、ふでは案の定に口元を緩めて、

「面白いから教えませんよ。」

 と、首を振るった。


「全くもう、ふで殿、いつもそんなですね。」


 仕方ないと、それ以上尋ねるのはやめて、桔梗ききょうは羽織っていた着物を脱いでいく。腕から裾を外して、着物を脱ぎ切ってしまうと、それを折り目に合わせて丁寧にたたんでいく。黄色い地に梅の花が小さく一つ咲いている裾の部分を、折り返して全く見えなくなったとき、桔梗ききょうはこれをまたいつか着ることがあるのだろうかと僅かな感慨に襲われてしまう。恐らくは二度と着ることはないだろう、そう思いながら畳み込んだ着物を部屋の行李こうりの中へ仕舞しまい込んでいく。


 そこから更に繋ぎ止める紐を白い指先でさらりと解き、着物の下に纏っていた長襦袢ながじゅばんを脱ぎ去ると、桔梗ききょうは汗を吸いとる肌着となる肌襦袢はだじゅばんだけを残した。一夜分寝て過ごした肌襦袢はだじゅばんには幾分も汗が吸い込まれたせいか、木綿の布地がしんなりと水気を帯びていて、桔梗ききょうの凹凸の激しい体躯をくっきりと浮き立たせていた。


 その肢体のくっきりとした曲線を眺めて、ふでがほうっと吐息を漏らすものだから、桔梗ききょうは慌てて視線から逃れるように背を向ける。


ふで殿。こっち見ないでください。」

 僅かに非難めいた口調で桔梗ききょうが言うと、ふでは言われた通りに目を反らしながら、こちらも非難めいた言葉を返す。


「見たって減る物でもありますまい。」

「だって恥ずかしいですから。」


「どうせ前の宿で裸を見せ合った仲ではありませんか。」

「そうですけど……。肌襦袢はだじゅばんって、なんか……裸よりも恥ずかしいような気がします。」


「分からないではないですがね。肌に張り付く皺が、実に淫靡いんびでございますよね。」

「……やっぱり、ふで殿はこっちみないでください。」


「はいはい。」

 軽くふでは肩を竦めながら床に投げ捨てていた袴を拾い上げた。


 桔梗ききょう肌襦袢はだじゅばんの上に、昨日まで着ていた丈の短い服を身に纏っていく。裾に手を通して一本の帯を締めてしまえば、それでお終いであった。長襦袢ながじゅばんだの腰紐こしひもだの、結び方の決まった帯だのとつけるのと比べれば、簡素な衣服ではあるが、桔梗ききょうにとって随分と楽なものであった。


 桔梗ききょうがそうこうしているうちに、ふでも袴へと足を通して帯紐おびひもを結んでいく。そうして昨日、越後屋で買った刀を手に取ると、腰へと差し込んだ。


 最後に部屋に置かれているたらいの中へと手ぬぐいを突っ込ませて、中に張ってある水に布地を湿気らせると、それでふでは顔を拭う。同じようにして、桔梗ききょうは顔をぬぐい、そして寝癖になっていた髪の先へと手拭を押し当てていった。ただし、寝癖は完全に治らなかったようで、ちょいと髪を指先で抑えても襟足の髪はぴょこんっと跳ねてしまっていた。それを桔梗ききょうは指先で撫でながら、はあっと困ったように溜息を吐く。


 ただ、そこに幾つも手間をかけても詮方ないと桔梗ききょうは諦めることにする。元より、人を探すのに髪が跳ねていて何か困るわけでもない。そう考えていた。

 準備を整えて、二人して部屋を出ると、そのまま宿の入口から往来へと向かう。


 早朝ながらにも、往来には仕事場へ向かうのであろう男たちが行きかい、既に活気の良さげな雰囲気が溢れていた。この時間に仕事へと向かっているのは大抵が店子であり、商店で働く者達であった。そうして、もう少しすると大工などの職人たちが現れ始め、街は一層に活気づいていくはずである。そんな大工たちは逆に今が丁度朝飯時なのか、方々の家でかまどの煙が立ち上っているのが見えてくる。薄っすらと雑穀ざっこくの煮炊きされる甘く重い匂いが漂ってきているようでもあった。


「それで、桔梗ききょうさん。なにやら貴女様が探すとか言うておりましたが、何か当てでもあるのでしょうか?」

「そうですね。当て、と言うほどのことはありませんが、やってはみますよ。」


「ほほう、一体どうするので?」

「まあ、差しあたっては――。」


「差しあたっては?」

「適当に歩いてみましょうか。」


 桔梗ききょうはすっと腕を伸ばすと、道の先の方へと指をさして見せる。


「棒にでもあたろうっていうんですか?」

いぬじゃあないんですから。もう少し増しなことになりますよ。」


 気楽に言いながら、桔梗ききょうは往来を指の射した方向へと向かって歩き始めていた。その足取りはどこか軽そうで、自分が先導する気楽さなのか、ふでに後ろについて歩いていたときと比べれば幾分か跳ねた歩きようにも見える。桔梗ききょうが歩き始めたのについてふでもその傍らへと向かってついて歩き出す。桔梗ききょうの足を運ぶ速度はそれなりに早かったが、ふでの歩幅は幾分か広く、すぐに追いついて、隣を歩くようになった。


 額を一つ掻きながら、ふでは隣に歩く桔梗ききょうの顔へと視線を落とした。


「適当にと言うても、流石に何かは探して歩くのでしょう?」

「まあ、探すには探すのですけれど……。さて、何から探しましょうか。」


「何から等と……。何にせよ唐傘からかさ陣伍じんごから探すのではないのですか?一番分かりやすい相手ではありませんか?」

「えっと、何と言いますかね……ふで殿。実のところを言うと、人探しと言うものは、人から探すものではないのですよ。」

 僅かに筆は眉をひそめる。


「それはまた、何とも禅問答のようなことを言いますねえ。」

「そう畏まったものではありませんが……。急がば回れとか言う言葉の方が近いでしょうか。そうですね……先ずは食べ物から探しましょうか。ふで殿は、もうお腹はお空きですか?」


「お腹ですか?」

 人探しの話をしていたのにも拘らず、急に食事の話を振られてふでは訝しみながらも、確かめるように腹を一つ撫でた。


「ま、空くには空いておりますよ。そろそろ朝餉あさげの時間でもありますしね。」

「良かった。私も朝から何も食べてなくて、お腹が鳴りそうなんですよ。」


 冗談めかした口調で言いながら、桔梗ききょうも自らのお腹を撫でて見せる。すらりと細い体躯たいくを掌でなぞって見せているが、身細の桔梗ききょうがお腹が空いているなどと言ってしまうと、どこか餓死しかけのような切羽詰まったお腹の好き具合にも感じられてしまう。往来の向こう側からやってくる人々を足一本分だけ桔梗ききょうに向かい体をずらしてぶつかるのを躱しながら、彼女の稚気のある態度をふでは片目で見下ろして眉尻を撫でる。



「食べるのは良うございますがね。それが人を探すのに役に立つのですか?」

「立ちますよ。まあ、ここは一つ私に任せてみてください。」


 目を軽く閉じながら桔梗ききょうは、胸に手を当ててると自慢するような仕草で胸を張ってみせてくる。どうにも一々に彼女の仕草は幼けなくって、幾分にもふでは訝しんだ表情を見せてしまう。ただ、見せてはいたが、それでもだからと言って、自分に何か探す手立てがあるわけでもなく、とりあえずは任せてしまって良いかと言った心持にもなっていた。



「そうですか。しかし何分、桔梗ききょうさんの言うことですからね。話半分ぐらいに期待しておきますか。」


 言われて桔梗ききょうは唇の端をゆがませては、拗ねたようにふでの顔を見上げる。



「私の言うことって、そんなに信用無いでしょうか?」


「嘘はつきますまいが、能力に関しましては信用出来るような出来事が今までにありませんでしたので。」


「むう……、じゃあ見ててください。この件に関しては、ちゃんとやってみますから。」


「見ては居りますよ。ずっと。桔梗ききょうさんのことは出会ってから、こっち常に見ております。可愛らしいですから。」


 どこか喜色を含ませてふでが言ってみると、僅かに桔梗ききょうは目を細めて怪訝けげんそうな表情を浮かべる。

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